エイプリルフール

「お兄ちゃん大変ーバイト遅刻するよー」

妹の千夏の声で目が覚めた。まだアラーム鳴ってないだろ?
目を擦りながら枕元に置いてある目覚まし時計を手に取ると

何だって? もう9時ってか? 時計の針はしっかり9時を指していて。
アラームはちゃんと8時にセットされている。
一気に覚醒されていく頭。やばいって今日は遅刻出来ねえんだよ。
自分が起きなかった癖に、何でもっと早くに起こしてくれないんだって千夏に当たりそうになる。
取り敢えず身を起こし、スエットの裾に手を掛け一気に脱ぎ捨てる。
今日は9時半入りだから、このまま急いで自転車でダッシュすればギリギリセーフか?
 それとも嫌味を覚悟に母ちゃんに車で送って貰うか――。
あーマジやばいって。今日は年度初めだから絶対遅刻は駄目だって言われたばかりなのに。
寝癖がついた後頭部を手で撫でつけながら、部屋のドアを開けるとニヤニヤと笑う千夏がいた。
このやろう、面白がってと思うが、起こしてくれたのは感謝すべきかもしれない。
千夏の頭に手をやって
「サンキュ、起こしてくれて助かったよ」
と階段を駆け降りた。一瞬千夏が身を縮こませたのが気になった。
叩かれると思ったのだろうか? 兄ちゃんはそんなに心が狭く無いんだよ、と。


リビングのドアを開けるやいなや
「母ちゃん、悪い送ってって」
と頭を下げると。
「こんなに早く出るんだったらそう言っときなさいよ。そしたら起こしてやったのに。面倒くさいわね、折角束の間のひと時だったのに」
テレビのリモコンに手を伸ばし、腰を上げた母ちゃんにほっとするも、何か違和感。
こんなに早く? それに今テレビに映っていたのは――。
ポケットにねじ込んだ携帯で時間を確認する。
さっきの言葉撤回だ。

「ちぃーかぁー。てめぇ騙しやがったなー」
念押しで確認したリビングの時計もまだ7時じゃねえか。俺の目覚ましまで細工するなんて手の込んだ真似しやがって。

「だって今日はエイプリルフールだもん。午前中までの嘘だったらついていいんだもーん」
言い終わると千夏の部屋のドアがバタンと閉じる音が聞こえた。

――全くいくつになっても、騙されやすいっていうか素直っていうべきか――
母ちゃんの呟きが聞こえた。

いつもよりちょっと早くに朝食を取って、いつもよりちょっと早めに自転車に跨った。
レンタルショップでバイトしている。
開店時間は11時。いつもだったら10時にシフト入りしてミーティングして掃除って流れなんだけど今日は本部のお偉いさんが来るとかで、いつもより30分入りが早いんだ。

「おはようございます」
事務所を開けると見慣れた顔。

「おはよ」
そう短く言葉を返すのは岡山美鈴だ。
高校こそ違うけど同じ中学だった岡山は気の合う友人で――。
というのは向こうの感覚だろう。
ほのかな恋心を覚えているのは俺の方だけだ。
面接に来たここでこいつを見た衝撃ったら無かった。
あまりにも近くに居過ぎて、告白なんか出来なかった中学時代。
このまま想い出になるんだろう俺の初恋なんて思っていたのに。

「ほら、ボケっとしてないで早くエプロンつけないとミーティング始まっちゃうよ、お先に〜」
なんて。
岡山からしたら俺なんて対象外なんだろう。虚しいなかそれが事実って奴だ。
ロッカーからエプロンを取り出して大きく息をついた。

時間ぴったりに始まったミーティング。
開店前のレジカウンターの前に全員整列をする。程なくしてやってきたお偉いさん御一向。
気持ち悪いくらいの笑顔を張り付けた本部のお偉いさんは話が長すぎだ。
30分早いミーティングなのにこれじゃ開店時間までの作業が間に合わないんじゃないか? ほら店長の向坂さんが時計をちらりと見ているし。
その時、店中に響き渡った電話の音でお偉いさんはようやく時間を気にしてくれたらしい。
「これからも、期待してます」
満足そうに店を後にしたお偉いさん御一行。それから急いで開店準備だ。

閉店後に店の外に置く返却ボックスから商品を取り出して、チェックをし、元の棚に並べていくやつ。
床にモップをかけるやつ。それぞれに分担された仕事を急ピッチでこなしていく。
俺は返却された商品を棚に戻す分担だ。そして、岡山も。
数列向こうのアニメのコーナーに岡山はいた。
棚の隙間から横顔を盗み見しているなんて、岡山が知ったらなんて思うのだろう。
「何見てるのよ」
なんて大声で叫ばれるかも。

俺は岡山と一緒のバイトで満足していたんだ。
岡山は言っていた、家から近所のこのバイト先きっと卒業まで続けるだろうな、って。
後1年半、彼女と一緒にいられる。俺も彼女も学校こそ違うけれど付属の高校に通っているから単位さえ落とさなければ、よっぽどの事が無い限り、大学へは進める。ようは大学受験が無いんだ。

作業の音だけが響いていた店の中、少し大きめのBGMが鳴り出した。
開店時間だ。

春休みとあって結構な人がやってくる。今年は天気が今一だから余計かもしれない。
何処へも出掛けず部屋でDVD観賞をしたりするのが多いんだと思う。
地元だから、結構見知った顔も見る訳で。男の輩なんて岡山の顔見てぎょっとするのもいたりするんだよな。
特に岡山がカウンターに入ってたら訳もなく店内をうろついていたり。
そう男の事情ってのだ。エッチなDVDを借りてるのなんて知られたくないってな。

一番奥の棚で商品を並べていた俺の前に岡山が立ったのは、開店から暫くした時だった。

「井上、ちょっといい?」
珍しく小さな声で岡山は俺に声を掛けたんだ。

「いいよ、何?」
内心ドキっとしたがそれをばれないように必死で棚を見つめる。
ちょっとの間の後、岡山は言ったんだ。
信じられない一言を


「私、井上の事ずっと好きだったの」


岡山が? 俺の事? 舞い上がりそうになるけれど、朝の千夏の一件を思い出した。
今日はエイプリールフールだって。
時計を見た訳じゃないから確信は無いけど、きっとまだ午前中だ。
岡山がこんな嘘を言うなんて。もしかしたら俺の気持ちを知ってて?
だとしたら、こんな嘘、趣味悪すぎだって。自分でしっかり眉間の皺に気がついた。
フツフツと怒りが沸いてくるけど、沸いてくるけど。必死で抑えた。

「残念でした、騙されないよ。今日が何の日だって事くらい知ってるし」
上手に笑えただろうか。
岡山は、数秒黙った後

「なーんだ、残念。井上なら引っ掛ると思ったのになぁ。ってか分かるか、こんな『嘘』なんか」
悪い悪いなんて、岡山は俺の前から去っていったけど。どうにもこうにも胸の内が鎮まらない。
手に取ったDVDまでもが俺を馬鹿にしているかのよう
「失恋」
って一体どんな映画なんだって。こんな映画誰がみるかっていうんだ。
それからというもの、仕事がはかどらない事といったらなかった。
こんなに時間の進みが遅いと思ったのは初めてかもしれない。
やっとの思いでバイト上がりまであと30分。今日のシフトはきっかり5時間。あれから一度も岡山と話す事は無かった。
というか一度も目を合わす事も無かった。避けられているような気がする。いや無意識に俺が避けていたのか?
だが何のためにあそこで頑張って笑ったのか。悔しいけれど、確かにあんな嘘をつかれてムカつくけど俺はまだ岡山の事嫌いになれない。
4年間の片思いは伊達じゃない。
嘘だと分かっていながらも、岡山に好きだと言われた事は俺にとっては衝撃的な事で。
もし、今日じゃなかったら。せめてあんな時間じゃなくて、バイトが終わった後にでも言われていたらきっともっと――。

「井上、今日暗くないか?」
そう話掛けられたのはバイト仲間の竹内だった。
同じ年の竹内は気さくで明るくて、この店のムードメーカーだ。
エイプリールフールのお陰で異様にテンションの低い俺と、いつにも増してテンションの高い竹内は本当に対照的だ。

「そんな事は無いと思うけど」
思いっきり違うだろと笑って突っ込まれるけど、それに返す余裕もなくて。
俺の事はほっといてくれとばかりに、俺は竹内に話題を振った。
「竹内はテンション高いな」
それは本当に何の気なしに言った言葉だったけど――。

「よくぞ聞いてくれました」
そう言って俺の肩に手を回した竹内は、耳元で俺にとって今日何度目かの衝撃の言葉を放ったんだ。

――俺、昨日岡山に告ったんだよ。春休み一緒に遊びに行きたくてさ。本当は今日にしようかと思ったけど、なんせエイプリルフールだからな、冗談にされちゃ堪んないって。あいつ満更でも無い顔してたように見えたんだよ。今日のバイト上がりに返事貰う約束してるんだ――

首に絡んだ腕をとっぱらいたくなる衝動。
マジで? 岡山が竹内と? 満更でもないって?

「そうなんだ」
そんな気の無い返事しか出来なくて。
竹内は言って満足したのか、するりと俺の肩から腕を外して

「応援してくれよな」
と笑った。

昔っから受け身だった。嫌な仕事を押し付けられても嫌と言えず。
というか自ら手を挙げて人が嫌がる仕事を引き受けてしまうという我ながら損な性格だ。
だけど、だからこそ岡山の事を好きになったんだ。
岡山はいつも
「やれやれ、またやってんの?」
なんて嫌みを言いながらも
「しょうがないな、付き合ってあげるよ」
なんて毎回手伝ってくれたのだから。
そんな関係が心地よくて。

「ごめん」
背を向け始めた竹内に向かってごめんと言った。
竹内は首を捻りこちらを向いた。
「ごめん?」
そう言って俺の言葉を繰り返した。

「うん、ごめん。俺、竹内の事応援出来ない。俺も岡山の事好きだから」

竹内は一瞬真顔になった後、ニヤリと笑って「了解」と手を振った。
男の俺からみても竹内は良い奴で――。
竹内と岡山が並んだ姿はとてもしっくりいくもので。
容易に想像できるからまた悔しい。

今日は厄日だ。

俺と竹内と岡山は同じ仕事上がりだというのに、俺がタイムカードを押した時既に2人の姿は見えなかった。
もしこの場にいたとしたら何と言えばいいのかも分からないのに。

自分は何も行動を起せなかった癖に、2人の事が気になって仕方が無かった。
いつの間にか着いた家。一体どうやって自転車を漕いだのかも分からない。
精神的に疲れるって体力を使う時より遥かに酷い疲労だと思う。
力無くベットにダイブするけれど、脳裏に浮かぶ岡山の顔。

仕方ないなぁとあきれ顔の岡山。プクっと頬を膨らませて怒っている岡山。
いろんな岡山の顔が浮かんでくるけど、笑った顔が思い出せないのはどうしてなのだろう。

いろんな顔がめぐる中で最後に浮かんだのは、俺を好きだと言ったあの横顔だった。
あれは演技だったのか?
もしかして、竹内に返事をする前に俺に――。
いくら何でもそれは俺にとって都合良すぎか……

布団に顔を押しつけて、大きな声を出していた。
そう頭の中の考えを全て追い出すかのように大きな声を出したんだ。
何度も何度も。

気がついたら寝ていたようだった。
控えめにノックされた音で気がついた。
少しの間を置いて顔を覗かしたのは千夏だった。

「お兄ちゃん、朝はごめん。まさかあそこまで気がつかないとは思わなくて……」
ドアに隠れた顔半分、実際どこまでそう思っているかは分からないけど、あの時千夏に騙されなかったからエイプリールフールだって気がつかなかったからな。

「じゃあ、ポップスのシュークリームで許してやるよ」
本当はそこまでの事じゃないけど、食べれたらラッキーくらいの感じで言ったのに

「それは何の冗談でしょう?」
とゆっくりとドアを閉められた。
そういや今何時だ? 開けっぱなしのカーテンから街灯の明かりが見えた。
手に取った目覚ましで時間を確認する。
9時だって? 寝すぎだろ。ぎょっとして起き上がって考える。
そういや時計なおしてないかも。
携帯の時間を確認するとやっぱり……
7時丁度だった。

岡山、何て返事したんだろう。
そう考えたら、いてもたってもいられなかった。
家にいるか?
同じ中学だった岡山の家まで自転車で5分と掛らない。


何も考えず俺は家を飛び出してしまった。
あっという間についてしまった岡山の家。
来たはいいが、何て言えばいいんだ?
家の前でうろちょろする俺ってすっごく怪しい人になってるんじゃないか?
そう思ったのは通勤帰りのサラリーマンが訝しそうに俺を横目で見ているのに気がついたから。
ここまで来たのに往生際悪く、呼び鈴を押せない俺。
勢いで来てしまったものの本当は怖かったんだ。

自転車のハンドルを握ったまま、玄関の前に立っていた俺の背中に衝撃が走った。
痛ってー、そう思って振り向くと。
そこにはバックをくるくると回し
「うちの前で何やってんの?」
と言う岡山がいた。

「話がしたくて」

「私はしたくない」

間髪入れずに返ってきた言葉に面食らう。
まさかそんな事を言われるとは思ってなかったから。

俺をスルーして玄関に向かう岡山。
何処から沸いた勇気なのか、さっきまで岡山がくるくると回していたバックの紐を掴んだ。

「いいから、聞けって。直ぐ済むから」
自分でも思った”らしくない”って。
案の定、背中を向けながらも「井上の癖に」なんて憎まれ口。

これでもかって程大きく息を吸った。そしてそのまま

「俺はお前の事好きだ――今日だけじゃなくて、365日ずーっと。エイプリールフールなんて俺には関係ない。それだけ言いたくて。じゃあ」

じゃあって。
そこまで言って『じゃあ』って言うか普通。自分で自分に突っ込みを入れながらも言ってしまったものは仕方ない。
バックの紐から手を放し自転車のハンドルを握った。
岡山は何も言わなかった、というかこっちも向かなかった。
自分勝手な告白だと思う。
迷惑なのも承知だ。
もしかしたら竹内と付き合い始めたかもしれないのだから。

ペダルに掛けた右足に力を入れた時だった。

「井上の癖に」
という岡山の小さな声が聞こえた。
井上の癖にって。さっきも言ってたけど俺ってどんな奴なんだよ。

「いつもは受け身でどんな嫌な事だって引きうける癖に――私の勇気ある告白をエイプリールフールだからって無いものにして……。
エイプリールフールなんて関係ないっつうの、そっくりそのままお返しするわ」

バタンと音がして、目の前から岡山が消えた。
おいって、そこでいなくなるか? まさにさっき自分がしようとしていた事なのにそんな事はすっとんでいた。
私の勇気ある告白って言ったよな。
そっくりそのままお返しって言ったよな。

やっぱりここはいなくなる時じゃないだろ。自分の事はすっかり棚の上だ。
それこそ、いつもは何でもずけずけ言う「岡山の癖に」だ。

っていうか竹内とはどうなったんだ?

モンモンとしながらも、ヘタレな俺は自転車を漕いでしまった。
まさか、玄関に岡山が張りついていたなんて気づきもしなかったんだ。

翌日、竹内から
「人生いろいろ経験だな」
と言われた。要は玉砕してしまったらしい。
だけどこの2人、今までとあんまり変わらなくて。
それは竹内と岡山の性格あっての事だろう。
俺はと言うと――。

全く進展無しときた。
むしろ後退しているような。

だけど、あんな言葉を聞いて諦められるはずもなく。
受け身だった俺が、アプローチなんてするなんて。
ちょっとだけ岡山が面白がっているように思える事もあったのだが。
今から思えば、竹内の事も気にしていたからだと思う。
中学の時良く言われたフレーズを聞けたのは、なんとあのエイプリールフールから半年後の事だった。


「しょうがないな、付き合ってあげるよ」

いっけんして、上から目線のその言葉だけど。
顔を真っ赤にして、俺に抱きついた岡山を見たらそんな言葉なんて関係ないんだ。
それに俺の方が好きなのは事実なんだから仕方ないだろ。

俺にしがみつきながら小さな声で

「井上の癖に私の事振ったら承知しないんだから」
そんな憎まれ口を叩く岡山がどうしようもなく可愛くて。

「はいはい」
とにやける顔を抑えられない俺がいた。