独占欲・前編


「チョコなんて甘ったるいもん好きなわけないだろ。お前らもそうだよな」

周りの男に同意を求めているあいつ。
机の中の小さな箱に手を伸ばしかけたその手を
咄嗟に机の中から手を引っ込めた。

私の全神経はあいつの言葉に集中して、思わず息を止めてしまっていた。
黒板を目の端に映しながら、あいつの言葉を反芻していた。

チョコなんて甘ったるいもん好きなわけないかぁ

行き先を失ってしまった机の中の小さな箱。
あんまり大きすぎても変に思われるし、あんまり高すぎて引かれても嫌だ。
日頃の感謝を込めて、そんな感じて渡せればそれが一番だと迷いに迷って選んだチョコ。

他の子よりはちょっと近い場所にいるんじゃないか? そんな淡い思い。
幼馴染といえば聞こえはいいけど、ただちょっと近くに住んでいるそんな関係の私達。
男とか女とかそんな感情は全く持っていなかったはずなのに、中学に入り急に伸びた身長や声変わりをした低い声。
そんな彼に気がついたのは、私じゃなくて周りの女の子達だった。

カッコよくなったよね。
そんな噂話を聞く度に、少しずつ焦ってくる私がいた。
その焦りは何だったのか、初めは気がつかなかったけれど、今でははっきり分かるんだ。

そう独占欲。

私だけが知っていたはずのあいつのことが、みんなに知られていく。
何の食べ物が好きだとか、嫌いだとか。
どの映画が好きだとか。
あいつの興味のありそうなことを調べていく女の子達。
その情報源は私だったりする。
こんなこと教えたくなんかないのに。
私だけが知っていればいいことなのに。
それも言い出せずに、部屋に帰って唇を噛むんだ。
力を入れ過ぎた歯が、少し唇に食い込む。
右手の甲で口を拭うとうっすら赤い色がついたそうあの日。
私の気持ちに気づいた日だった。



とうとう渡せなかったチョコ。
だけど、あいつチョコが嫌いだなんて今まで聞いた事は無かったような。
去年だって、貰っていたじゃん。
なんか、俺に渡すなって釘を刺された感じがした。
一人で歩く帰り道、風が運んできた砂ほこりが目に入った。
手袋をした手で、目じりをこすると自然と涙が頬を伝った。

勿体ないから、兄貴にでもやるとするか。
兄貴にやれば、3倍返しして貰えそう。
無理にテンションを上げようとそう呟いた私の後ろから突然声が降ってきた。

びっくりしたなんてもんじゃない。私が教室を出る時にはまだ、話をしていたはずなのに。
そして何? 勿体無いなら俺にくれって。
甘ったるいのは好きじゃないって言ったのはあんたでしょ!
そう言いたいのに、咄嗟の事で声が出ない。
気持ちを落ち着かせるため、深呼吸しようと思った瞬間。
頬を撫でる冷たい風が――止んだ。

変わりに唇には暖かいぬくもりが。

手袋をしても指先まで冷たかったはずなのに、頭のてっぺんからつま先までもが沸騰したように熱くなるのを感じた。
一度離れたあいつの唇は角度を変えて、また私の上に落ちてきた。
ついばむように、何度も何度も。
突然の出来ごとに驚きすぎて、頭も体もついていけずに固まるばかり。

そして、今度は耳元に。
小さな声で囁かれた。

「これから、お前が渡すチョコは俺だけな」

まだ固まり続けた私の身体、唯一心臓だけが大きく跳ねた。
すると、
「返事は?」
と催促されてしまった。

余程の緊張のせいなのか、出したくても声が出ない。
言葉の変わりに、大きく首を縦に振る。
恥ずかしすぎて直ぐに顔をあげらず、赤茶のローファーのつま先をじっと見つめた。
そして、ゆっくりと顔をあげた先には、悪戯っ子のようにニヤリと笑うあいつがいた。