7歩の距離
初めての気持ち
杏ちゃんずぅーっと一緒に遊ぼうね。
うん隼ちゃん約束だよ!
いつものように俺とあいつは手を繋いで幼稚園のバスを待っていた。
「こんなに仲良しなのに残念よね〜」
「本当、こんなところで区切らなくてもね」
母親達の会話の意味を知らない俺達は
「もう直ぐ1年生だね」なんてのん気に話してたんだ。
俺達は分からなかったんだ。だってそうだろ?たった7歩しか離れていない、俺の家とあいつの家の間のこの道が
“”学校(学区)の境界線だったなんて“”
「隼人いつまでぶーたれてんの、早くしないと入学式遅れちゃうわよ。 杏ちゃんはもう行っちゃったじゃない!」
「だって杏ちゃんは違う学校じゃん」
「文句言ったって始まらない。帰ってきてからも会えるのだから早くしなさい」
そうやって生まれてきてからずっと一緒だったあいつとの距離が始まったんだ。
「杏―っ」
「開いてるよー」
勝手しったる杏の家に上がりこむ。
「今日、また母ちゃん達カラオケだって? 靴ないみたいだけど葉月ねえは?」
玄関には、体の割には小さめなこいつの靴がおいてあるだけですっきりとしていた。
「そうそう、いつものだよ、よくあんだけ歌えるよね。葉月ねえは友達のところで誕生パーティだってさ。お母さん達より先に出掛けちゃったよ。和にいは?一緒じゃないの?」
顔はみせずにキッチンの方から大きな声だけが響き渡った。
キッチンへと続く廊下を歩きながら
「部活ないって、午前中から出掛けた。買い物でも行ったんじゃないかな?そのうちくるはず」
と答えた。
「ふぅ〜ん」
やっとみえた姿は後姿で、でもこれはいつものことだ。
何だその気の無い返事は、と思いながら手にしていたものをポンとテーブルに置いた。
「そうそうこれ、母ちゃんから、漬物だってさ」
その言葉に反応して初めてこっちに目を向けるこいつ。
「やったぁ。おばちゃんの漬けた白菜美味しいんだよね、嬉し〜い。」
と言葉通りに嬉しそうに頬を緩めはじめた。
年も近く気が合う俺達の両親はたまに週末出掛ける。 と言っても行きだしたのはここ1年位、俺と杏が5年に上がった頃からだ。
和にいも葉月ねえも中学生になったって事もあるのだろうな。
まあ、出掛けるといっても近くのカラオケがメインで8時頃には帰ってくるけど。
でも、たいていその後は俺の家でドンちゃん騒ぎが始まるんだなこれが。
そんな週末は決まって俺達兄弟は杏の家で夕飯を食べる事になっている。
ちゃっかりしているよ、うちの親は。
台所でなにやらやっている杏の後ろ姿を、今や週末の俺の定位置となっているダイニングテーブルの椅子に座り、頬杖をつきながら眺めていた。
カレーだからか、いつもだったらあれ取って、これやってという杏が静かだった。
そのせいか杏の姿が良く目に入る。
幼稚園の頃あまり変わらなかった身長が成長期なのか、いつの間にか杏の方が高くなっていた。
女の方が先に成長期が来るって知っているから、わかってはいるけど、悔しいものは悔しい。それにしても会う度にでかくなっていると感じるのは気のせいなのだろうか?
そういえば本人も気にしているのか、いないのか身長の話は一度もしたことがなかったな。
そんなことを考えていたら玄関の方からコトリと音がした。
「こんちはー」
「あっ和にい!」
おいおい、俺の時と態度が違くないか?
「よう!杏。いつも悪いねぇ。今日はカレーかぁ良い匂いするじゃん」
「へへっ」
杏、照れてやんの、お前が作ったわけでもないくせに、なんて思っていたその時。
ポンポン
と何気なく杏の頭に置いた兄貴の手。
その瞬間、杏が少し俯いてはにかんだ笑顔をみせた。
一瞬の出来事だった。ドキッっと心臓が波うった。それと同時にズキっという痛みが沸いた。
なんだよ、なんでそんな嬉しそうなんだよ。
”和にい”こと和弥兄さんは俺の兄貴で3つ上の中学2年だ。成長期に入ったらしくここ1年で随分と身長が伸びた。
サッカー部に入部して1年生からレギュラーになった事然り、たいていの運動はなんでもこなす、バスケなんてバスケ部よりも上手いんじゃないかと思う。
勉強のことは良くわからないが、弟の俺からみてもかなり良い男だと思う。
母ちゃんなんてべた惚れだ。
もしかして杏は兄貴の事好きだったりするんだろうか?
何年もずっと一緒にいたのに初めてそんなことを考えた。
そんな俺の心の中をさらったように今度は和にいが俺の耳元で囁いた
「心配すんなよ」
って 。なんだよ! 何を心配するんだよ! 解ったような解りたくないような……んっ俺って杏が好きなのか!?
好きなのかなんなのかわからなかったが、初めて杏の事を幼馴染としてではない意識をもってしまったからなのか、カレーを食べはじめてから、食べ終わるまでなんの話をしたのかさえ覚えていなかった。
「隼人!隼人ってば!どうかした?調子悪いの?」
気がつくと間近に心配そうに俺の顔を覗きこむ杏の顔があった。
またドキッと心臓が波うった。
きっと俺の顔は相当赤かったんだろう。
杏は俺の額に手を当て「熱いじゃん!」というと、素早く持ってきた保冷シートをピシっと、俺のおでこに貼った。
「和にい、隼人が風邪ひいたっぽいから帰ったほうがいいかもよ」
俺の顔が赤くなったのを風邪をひいたと勘違いした杏。
ニヤニヤと変な笑いをしながら一部始終をみていたであろう兄貴に
「全くだ、ここにいたらますます熱が上がっちゃうからな」
と強烈な一言をお見舞いされた。
俺は杏が好きなのか?!
家に帰ってからの和にいからの小出しのジャブは相当効いた。
そのせいで、自分でも驚くほどに好きって気持ちを自覚してしまった。
兄貴はそんな俺をみて満足そうに自分の部屋に戻っていったんだ。
起きていると何だかごちゃごちゃ考えそうだったので寝る事に。
ベッドに寝転び目を瞑る。一瞬あの時の俯いてはにかんだ笑顔の杏の顔が浮かんだ。
駄目だ駄目だ。寝ると言ったら寝るんだ。自分に言い聞かせるように目を閉じた。
いつの間にか両親は帰ってきていたらしい。
俺の具合が悪いと言う事なのでドンちゃん騒ぎはしなかったようだ。
そっと部屋に入ってきた母親に
「風邪ひいたって?大丈夫?」
と声を掛けられたが寝たふりをしてしまった。
母親の冷たい手がおでこに触れた。
“大丈夫そうね”
そう独り言のように呟いた母さん。
少しの間の後、静かに床を歩く音とパタリとドアの閉まる音が聞えた。