7歩の距離

緊張の一日

とうとうこの日が来てしまった。
目が覚めると、いつものように窓を開け放ち大きく深呼吸。
“ふーっ”と息を吐き、今日ですっきりするんだ! と隼人の部屋を見ながら自分に気合をいれた。

「おはようー」
台所にいる母へ挨拶。やっぱり人間、挨拶は重要よね。

「おはよう杏。今日も早起き結構結構コケコッコウ〜!」
お母さん朝からテンション高すぎです。
ここにお姉ちゃんがいたら、ズテーっとよしもとみたいにずっこけるんだろうな。
葉月お姉ちゃん顔は凄く可愛いのに、中身ぶっ飛んでるから。こういうところはお母さんに似たんだろう。
杏はずっこけてくれないのね。なんて小さい声が聞こえたのは気のせいなのでしょうか?
心の中でノッテあげなくてごめんねと侘びをいれつつ、冷蔵庫から牛乳を取り出した。
コップに注ぎ一気に飲み干す! ぷはーっやっぱり朝一の牛乳は美味しいわ。きっとお父さんがビールを飲んでる時もこんな感じなんだろうななんて思ったりして。

「杏は美味しそうに飲むね、でもそんなに飲んで大丈夫? そのうち杏より大きい男の子いなくなっちゃうのじゃないかとお母さん心配よ」
そんな事あるわけないでしょ! と思いつつ今のクラスでは私より大きいのは小山だけだったりする。でもこの1杯は止められないよ。

「あれお父さんは?」いつもだったらこの時間コーヒーを飲みながら新聞を読んでいるはずのお父さんがいなかった。
「あれ言ってなかったっけ?今日は隼人君のお父さんと一緒にゴルフよ。もう暗いうちに出掛けちゃったわよ」
そうなんだ。と言う事は
「そういう事で今日は杏と2人だけなのです」
お父さんもお姉ちゃんもいないなんて珍しい。
「久し振りだね、お休みの日にお母さんと2人なんて」
私がそういうと、お母さんは
「という事でお昼どっかに食べに行っちゃう? お父さんとお姉ちゃんには内緒ね」とウインクした。
いつの時代の人ですかお母さん! 何て思いながらも
「やったー」と親指を突き上げる私。
2人とも朝の6時からハイテンションです。

今日の朝食は私のリクエストでフレンチトースト。
お母さんの作ってくれるフレンチトーストは絶品なの! たっぷりの牛乳(また牛乳かい!なんて言わないで)で卵に浸して、フライパンを温め弱火でじっくり焼くの。簡単そうにみえて1度私も挑戦してみたけど真っ黒こげになってしまった。気がつくと部屋は、煙だらけで、大変な事になっていたんだよ。それ以来作っていません。近いうちにリベンジするつもりです。

出来上がったフレンチトーストに蜂蜜をたっぷりかけてお母さんと2人で食べ始めた。
そして今日の計画のため第一歩、ドキドキしながらお母さんに話かけた。

「お母さん、今日ってバレンタインじゃない? お父さんにあげるの?」

「どうしたの突然、ははーん。さては杏、誰かあげる子でもできたのかな?」
何だかとっても楽しそうなのは気のせいでしょうか?

「今さ、友チョコっていうのがあるんだよ。義理チョコとも違って女の子同士で交換するんだよ。今日子とかさ、何人かにあげようと思って。もちろんお父さんにもね」
予想通りの展開、上手に答えられたかな?
「ふーん。そうなの。まあそういう事にしておいてあげますか。じゃあ時間もあるし、午前中チョコでも作りますか!」

ちょっと意味深な微笑みがあったような気もするがここはスルーだ。
「一緒に作ってくれるの? やったー。ありがとうお母さん」
必要以上に高い声がでちゃったよ〜ごまかせるか?

「材料は一昨日お姉ちゃんが作った残りのチョコがあるから大丈夫。杏はあんまり難しいのはできないでしょうから、型抜きのチョコにしようか、それだったら湯煎にするだけだから失敗はしないと思うわよ」
それって私が不器用って事なのかしら? たしかにフレンチトースト真っ黒こげにしたよ、目玉焼きも半熟にはなったためしはないし、でも失敗しないっていうのだからそれがいいかも。それにあんまり気合の入ったのをあげて、隼人に突っ込まれたら私なんて答えればいいのか解らないし。うん、お母さんについていくわ! 何だか朝からこんなに絶好調でいいのかしら?
手早く朝食の後片付けをして2人で一緒に家の用事を済ませていく。
洗濯物を干して、掃除をして、今日はとても良い天気なので洗濯物も早く乾きそう。お母さんとする家事はとっても楽しくってあっという間に終わった。

「杏が手伝ってくれたから、こんなに早くに終わったわ。ありがとうね。じゃあ紅茶でも飲みながらチョコでも作りますか!」
「はーい」
そうして私の初めてのチョコ作りが始まった。

まずはチョコを包丁で細かく刻む。チョコを刻むだけなのに、案外難しかった。
だってチョコが逃げてるみたいなんだもん。普段は掃除や洗濯は手伝うけどちゃんとした料理はあまり作ったことがなかった。あるとしても、週末のお留守番の時にお母さんが作った夕飯を温めたり、作るのはサラダ位だ。サラダっていったってただ野菜を切ってドレッシングを掛けるだけだから作るうちにははいらないからね。でもそんな時はたいていお姉ちゃんも一緒だったりするからな。こんなことなら普段からお料理も手伝っていれば良かったよと、やっとのことでチョコを刻み終わった。

「杏、次は大事な工程だからね」
そういって目の前には大きめのボールが3つに温度計があった。

「これでチョコを湯煎にかけるのよ。1つは50度1つは氷水。ボールの中にチョコを入れて初めは50度のボールの方にいれるのよ。温度計を見ながらまずは45度になるまで、混ぜること。終わったら教えてね」そういうとお母さんは紅茶を飲み始めた。

「よーし、頑張るぞ」
腕まくりをしてボールと暫し格闘。ふと温度計をみると45度になっていた。
「お母さん次は?」
今度は氷水に入れて25度まで冷やすそうだ。
チョコを溶かして固めるだけだと思っていた私は少しびっくりだった。
そうしてまた湯煎で30度まで混ぜずに温めて、温め終わったら湯煎から外して手早く混ぜる。これで型に入れて冷蔵庫でゆっくり冷やして完成になる。
手際が良くなかったせいか作り始めてから1時間半も掛かってしまったが、失敗せずに出来たみたいだよ。後は冷えて固まったらおしまいです。チロルチョコと同じ位の大きさのチョコが思ったより沢山出来た。見た目はとっても美味しそうです。お母さんも
「びっくり!杏がここまで上手に出来るとは思わなかった」
なんていわれてしまった。何はともあれ計画は順調に進んでます。

チョコ作りも一段落してお母さんとランチをするために駅前まで出てきた。
ランチをする前に雑貨屋さんでチョコのラッピング用の可愛い袋を買った。頭の中では5つ位入れて渡そうかなんて、私の頭の中はチョコのことでいっぱいだった。
だからいつも行く洋服屋の前も素通りしてしまっていたことなんて全然わからなかったんだ。
ランチは最近出来た洋食屋さん。カントリー調のとても素敵なお店で置いてある小物1つ1つもとっても愛らしくて、雰囲気もとっても良いの。
お母さんと私は、店長お勧めのパスタを注文。
待っている間もきょろきょろしてしまって、お母さんに止められてしまった。ちょっと恥ずかしかったです。
パスタもとっても美味しくって、お母さんと私はすっかりお店の虜になってしまった。
丁度パスタを食べ終わって食後のオレンジジュースを飲みはじめたら、お母さんが

「杏、本当は誰かチョコあげたい人がいるんじゃないの?」
パスタに満足し油断していました!
「いないよ。今日子とかだよ。でも毎年あげているから和にいと隼人にはあげてもいいかな?とは思ってるけどね。あっもちろんお父さんにはあげるよ。さっきいったじゃん」
なんてありきたりな事しかいえないんだろう……

「そうなの?お母さんはてっきり誰かあげたい人がいるのかと思ったわ。だってあの杏の大好きな洋服屋さん素通りだったじゃない? いつもだったら、これが可愛い、あれが可愛いって絶対おねだりされるのに、上の空だったみたいだからね」

するどい! やっぱりお母さんなのね。なんて感心している場合かしら?

「そういえばそうだ。何だか朝からいっぱい動いたからお腹空いちゃってここにくる事考えてたからかな?」と笑ってごまかしてみました。
まだお母さんは疑っていたみたいだけど、無理やり話題を変えてみてなんとかやり過ごしてはみたものの、心臓どきどきしてしまったよ。
そんなこんなで「今度はみんなで来ようね」の言葉でお店を後にした。

その後は、ちょっと白々しいきもするが、あの洋服屋さんに寄って一緒に洋服を見たりして。一応ねだってはみたけどお姉ちゃんと来た時という事でみるだけで家に帰ってきた。ゆっくりしてきた事もあって家に着いた時には4時になっていた。
早速冷蔵庫を開ける。
「お母さん見て見てー」すっごく美味しそうじゃないですか。味見でお母さんと1つづつ食べてみる。
「ばっちりじゃない。杏もやればできるのね。お父さんもったいなくて食べれないんじゃないのかしら?」
褒めすぎじゃないかとも思うけど、自分で食べても美味しかったから一先ず安心です。
さっき買って来た袋に5つづついれて、リボンをつけたら出来上がり。5つ出来ました。
さてとドキドキも最高潮になってきた。このままじゃ辛いので早速渡しに行く事に。
まずは自分の部屋へ。お姉ちゃんに預かったチョコを引き出しからだして、私の作ったチョコはコートのポケットへ、いざ出発。
「お母さん、お向かいさん行ってくるね」一声かけ返事を聞く前に玄関を出た。

大きく深呼吸をしてみる。ドキドキはあまり変わらなかった。落ち着くどころか、余計にドキドキしてきたのは気のせいなのだろうか?
緊張しながら、チャイムを押す、今までこのチャイムを押すのにこんなに緊張した事はないよ。
がちゃっとドアが開き
「はい」
そう言って出てきたのは和にいだった。
ちょっとだけどきどきが治まった。
「よう杏、どうした?」
私の事をみて優しく微笑む和にい、お姉ちゃんが好きになる気持ちが少しわかったような気がした。
「これ、お姉ちゃんから」そういってチョコを渡す。和にいは私に向けた笑顔より数段嬉しそうに、チョコに目をむけた。私はチョコより下なの? なんて思ったことは内緒にしておこう。
「ありがとうな、実はどうした? なんて言ったけど葉月がさ、杏に渡したからって昼頃電話もらって待ってたよ」 

「和にい嬉しそうだね。それと……」私のチョコを渡そうと思ったその時

「あのーすみません。久保隼人君のお家はこちらですか?」
振り返るととても可愛らしい、背の小さな女の子が顔を真っ赤にして立っていた。

「そうだよ、でもごめんね。今隼人遊びに出掛けてるんだ。もう帰って来ると思うけど何かようかな?」
和にいの言葉を上の空で聴いていた。そっか隼人いなかったんだ。

「……はい、じゃあ外で待たせてもらいます」
そういうと女の子はペコリと頭をさげ門の外にいってしまった。
「可愛らしい子だね」私がぽつりというと和にいは複雑そうな顔をしていたけど
「大丈夫だよ」と笑ってくれた。
女の子の事が気になってしまって、話をしていても2人ともどこか落ち着かなくて、私はすっかり和にいにチョコを渡すのを忘れてしまった。
そんな時、カレンが“ワン”と吠えた。
隼人が帰ってきたんだ。

私の心臓がドキドキしてきた。これでもかというほどドキドキしてきた。
和にいはぽんぽんと頭に手を置いてくれた。

これは私が一番安心するおまじないみたいなものなの。
小さい時から泣きたい時や、頑張りたい時、お父さんがしてくれたんだ。
この話をした時から、隼人は私が落ち込んだ時や、泣きたい時、頑張りたい時いつもしてくれたの。いつのまにか、お姉ちゃんも和にいもしてくれるようになったのだけどね。

無言だったけど頑張れって言ってくれてるのがわかった。
時間がたったようにも思えるけど、きっとそんなにかかっていなかったのだろう、門から隼人が入ってきた。一瞬びっくりしたような顔をしていた気がする。
チョコを持った隼人をみて、本当は泣きたくなってしまったけど、頑張れ私! 勇気を振り絞って声を掛けた。

「良かったね隼人。家まで持ってきてくれるなんて、隼人ってもてるんだね」
頑張って言ってみた。そんな私に返ってきた言葉は

「うるせーな」

だった。あーもうなんでこうなるのよ。私だってこんなこと言いたくないよー

「照れてるのかな?」
どうしても会話を続けたい私は凝りもせず話かけた、もう限界に近かった。半分目には涙が浮かんできたみたい。でも隼人は私の顔を見る事もなく、何も言ってくれなかった。黙って私と和にいの間を通って家にはいろうとしたの。
もう駄目みたい、そう思って和にいの顔をみた。

そしたら和にいは「ありがとな」ってまた頭ぽんぽんってしてくれたの。大丈夫だよ、頑張れって、そう言ってくれてるんだよね。
私も頑張ろうって気持ちで、笑って
「うん」って言ったんだ。そうだチョコ!チョコあげなくちゃ。

玄関に入っていった隼人を呼んでみた。絶対聞こえているはずなのに、隼人は振り返ってもくれなかった。
私はポケットからチョコを1つだけ取り出した。
「和にい、これね、これ……私が初めて作ったチョコなの。頑張って作ったんだよ! 和にいの分です。いつもありがとう」そういって精一杯の笑顔で渡したんだ。
和にいは
「ありがとう、嬉しいよ。隼人にもあげるつもりだったんだろ? 渡しといてやろうか?」
といってくれた。
「うううん! いいの。何だかちょっと気まずいし、渡すのだったら自分からあげたいからさ。いつもありがとね。じゃあまた」

私は自分の家に向かって駆け出した。近くで良かった。だってもう少し離れていたら走りながら絶対涙がでちゃう。
ただいまも言わず自分の部屋に駆け込んだ私。そのままベッドにダイブすると涙が出てきた。いつまでも涙が出るものだと思ったら違うらしい、3すじ流れただけで止まってしまった。精神的に疲れたのか、私らしくもなく夕飯も食べずに寝てしまった。