ポーカーフェイス

1話
ベットに寝転がりながら乾いた指先を舌で舐めてページを捲る。大好きな漫画なはずなのに、ちっとも頭に入ってこない。
適当にページを捲るただそれだけ。

それというのも、このせまいベットで私の隣に平然と寝転びながら同じように漫画を読むこいつのせいだ。
隣といっても互い違いで寝転がっているから私の顔の隣には嫌味なほど長い脚がきてるんだけれどね。ふと、視線をあげた。
いつの間にか降り始めた雪が窓にあたってひらひらと落ちていくのが目に入った。粉雪か……どうりで寒いはずだ。


「早く読めよ、俺もうすぐ終わっちまうよ」
「へいへーい」
その声を皮切りに少しだけ止まっていた私の指はまた無意味な作業を繰り返す。話なんて入ってこないっつうの。
そう思いながら新たに捲ったそのページには、そのーなんていいますか思いっ切っり告白シーンだったり。
バスケ漫画なくせして、おい、今告白したばっかりなのにもうキスしちゃうってか。
一人で読んでるんだったらきっとニヤケながら読んでいたであろうそのページも、隣にいるこいつのせいでどぎまぎしてしまう私がいて――。

「うー寒いっ。私コーヒー淹れてくるけど、あんたも飲むでしょ?」
一呼吸置かなくちゃ。テンパリ始めた私の頭を冷やさなくては、と漫画を閉じてベットから身を起こした。

「俺、紅茶」
視線を向けずに単語だけの言葉ってどうよ? 
「紅茶? 面倒くさいからコーヒーでいいじゃん」

嘘。本当は面倒くさくなんてない。私も紅茶でも構わないっていうのに、どうしてこう言ってしまうのだか。
その時初めてこちらを向いたこいつ。睨んでいるようにみえるのは気のせいかい? 私はふーっとため息を吐いて

「はいはい、解りました。少々お待ちをご主人様」
と舌を出してやった。なんでこんなキャラになってしまったのだか。本当は自分が良く解っているんだ。これが私自ら望んだポジションなのだから。
部屋を出ようとした私に、ぼそっと呟いたこいつ。

「早く戻ってこい」

その言葉に、ドアノブを掴んだ手が固まった。だけどちゃんと意味があったようで。
「続き読めないだろ」って。そうだよね、そんなとこだよね。一瞬勘違いをしてしまった自分が恥ずかしい。

「いいよ、私よりあんたの方が読むのが速いみたいだから先に読んでも」
後ろ手でドアを閉めて、さっきよりも大きく息を吐いた。廊下の空気は冷たくて、私の吐いた息は真っ白だ。
出来るだけゆっくり階段を下りると、玄関で足をとめた。脱ぎ散らかした私の靴の隣に綺麗に揃えられたあいつの靴。
嫌味かっていうの。その昔は同じ大きさだったその靴は、もう全く違うサイズになっていて。
背だけじゃなくて、靴までもかと置いてきぼりになった気分。腰を屈んで大きくなったその靴の隣に自分の靴を揃えてみる。
でも並んだそれは何だかこそばゆくなってしまって、わざわざ角度を変えて置き直してみたり。
――――何やってるんだ私ってば。

リビングでサスペンスドラマの再放送を見ている母親を尻目に、食器戸棚からマグカップを2つ取りだした。
テーブルの上に並べたお揃いのマグカップを見て何だかまた余計な事を考えてしまう私。
少しだけ考えた後に、片方のマグカップを食器戸棚に戻して、わざわざ違うマグカップを出してみる。
うん、やっぱりこっちだよな、独り呟きながらお湯を沸かした。

「母さん、紅茶の葉っぱって何処にやった?」

「ちょっと待って今いいところだから」
間髪入れずに背中を向けたままの母さんからの返事。
「了解」
テーブルから椅子を引いて、腰を落とすとシューシューと音を立てるヤカンをぼっーと見つめた。
すると、自然とさっきの奴の声を思い出してしまったり

――早く戻ってこい――

何様だって言うのよ、全くもう。私の気も知らない癖に。
微かに聞こえていたテレビからの効果音が段々と大きくなってきて、くるりと顔を向けると岸壁の上で項垂れる犯人だろう俳優が見えた。
そしてお決まりのように刑事役の人に両腕を掴まれてフェードアウト。
エンドロールが終わるその時まで画面を見つめ続ける母親。
私にはまだ、サスペンスドラマの良さが解らないだけに「早く紅茶の場所を教えてよ」とそればっかり思っていたり。
コマーシャルになってやっとこソファーから立ち上がった母親も私の事なんて気にも留めてなさそうだ。


「はいはい、紅茶の葉っぱね。どれどれー」なんて。さっきそこは私が探したっていうの。
とは思うけれど口には出さずに、母親の動向を黙って見ていた。
本当のところあんまり会話をしたくないのだ。折角被り続けている私のポーカーフェイス。
鋭い母親の事だ。あいつがいる今は絶対、動揺したくないから。

「ごめん、切らしちゃったみたい。けんちゃんだったらココアがいいかもよ、今日は寒いし、昔よく飲んでたから」
そう言って、ココアの袋をテーブルに出してきた。

「だったら、コーヒーでいいや。もう子供じゃないんだからココアなんて好きじゃないんじゃないかな」
母さんの隣をすり抜けて、コーヒーの入った瓶を手に取ると。

「でもね、きっと母さんココアが正解だと思うんだけどなぁ」
ニコリと笑ってココアの袋を持ち上げた。

そんなもんかなぁ。だって外見からみたら絶対ココアって感じはしないと思うけど。
でも自信満々な母さんを見ているとそんなものなのかな? と思ってみたり。

結局、母さんの言う通り、ココアを入れている私がいた。
ついでに、ポテチもお伴に加えてみたり。
リビングを出るとさっきよりも増して廊下の空気がピリッとしている。
きたとき揃えた靴を横目に階段をのぼる。何で自分の家でこんな緊張しなくちゃいけないんだっつうの。

呪文のように念じてみる。
あいつはただの同級生。あいつはただの部活の仲間。あいつはただの幼馴染。
あいつは、あいつは――。
駄目駄目ー自分でドツボに嵌ってどうするの。危うく初キ……とか念じそうになってしまった。
私って馬鹿か?

再び足を持ち上げて、部屋の前で一呼吸。ついでにお皿に乗せたポテチを摘まんでみたりして。
私がこんな思いをしているっていうのに。ドアを開けた先、目の前のこいつはさっきと同じように寝っ転がって漫画読んでるし。
自分で言っておいて何だけど、今こいつが読んでいるのはさっきまで私が読んでいた巻でして。何だか微妙だ。

「ほれ、淹れてきてあげたよ。紅茶の葉っぱが無かったからココアになった」
有難く思えとばかりに、むんずとココアを差し出した。

「サンキュ」
と出された手はごつくてでかい。思わず見とれてしまいそうになったのは危なかった。
気恥かしくて、隣になんて座れなくて、窓際の勉強机の椅子を引いた。

廊下に出て冷えた手を、両手で包むように持ったマグカップで温めながら、こいつを眼の端に映してみたり。
フーフーと息を吹きかけながらチビチビと飲んでいる。そんなところは昔と変わってない。
身体が大きくなって、声も低くなったりで自分の知らない奴になったような気がしたけれど、そんな仕草をみて少しだけ喜んでいる私がいた。

「気持ちわりぃな。何ニヤケてんだお前」
一瞬ひるむ。だけど長年被ったポーカーフェイスは伊達じゃない。間髪入れずに

「猫舌、相変わらず」
ってちょっと嫌味な声で言ってみたり。

「そう簡単に変わる訳ないだろ」

お、うろたえてるー。なんて、何だかそんな他愛もない遣り取りがとっても心地よかった。
そんな私の余裕が無くなったのは、それから直ぐの事だった。