ポーカーフェイス

2話
「うー寒っ」

電車を降りた瞬間に冷たい風が吹き付けてきた。
今の今まで暖房ガンガンの電車に乗っていたからなおの事。
身体を縮こませながら、ふーっと吐く息がまた、真っ白で。風邪引きそう。一人呟きながらホームの端を歩き始めた。
駅を出て、自転車乗ると、また一段と冷たい風になるんだなこれが。横目でバスを睨めながら気合を入れてペダルを踏み込んだ。

今日は終業式だった。
部活も夏で引退したから、学校に残る事もないし。カラオケに誘われたけど流行の歌なんて何一つ解らないし。
と言いつつ実のところは面倒くさいっていうのが本音だったり。駅前の商店街からはジングルベルの曲が大音量で流れている。
それでもって、やけに仲良さそうな奴らが見に入る。そういや、今日はクリスマスだっけか。
さっきもそんな話をしたとこだったなと思い出した。
どっちにしても、俺には関係の無い事だ。サンタなんかいる訳ねぇし。まぁ高3にもなってサンタもクソもないが。

そう思っていたんだが。

これもクリスマス効果なのだろうか?それともサンタがいるのか?

通りかかった古本屋の前で、目に入った奇抜な色の自転車。まっ黄色のそれは紛れも無くあいつの自転車だ。
ブレーキを掛けて中を覗いてみると、趣味の悪いマフラーをしたあいつの背中を見つけた。
近所に住んでいるというのに、高校が違ってからはほんのちょっとの偶然も無かった俺とあいつ。
気がついたら、自転車のキーを抜いていた。

気だるそうにレジの前に立つ店員の前を横切ると、外から見えたあいつの元にそっと近づいた。
真剣な顔で、本棚を見ているこいつ。視線の先には、ちょいと前に完結になったバスケ漫画が並んでいた。
俺もこいつもバスケ部だったから。この手の漫画には興味があるよな。これはチャンスなんじゃないか?

「よお」
さも偶然のように、声を掛けた。必要以上に声が低くなったのは構えてしまったから。
「よお」
それは、毎日会っていたあの頃のような返事で。自分の事を棚に上げてそっけない奴だと思ってしまう。
解るか? 俺とお前が顔を合わせたのは引退試合の会場で、半年も前なんだぞ。
こいつは返事をした時にちらっとこっちを見ただけで、またもや本棚をじっと見はじめてるし。

さりげなく、隣に並んで違う目の前にあった野球漫画を手に取ってみたり。
少しだけ視線を下げると、こいつの長いまつげが視線の隅に映った。昔っから長かったよな、なんて。
読んだ事のない野球漫画をペラペラと捲りながら声を掛けた。
「読んだ事ねぇの?」
俺らの部活仲間じゃ、連載されていた週刊誌の発売日に競って本屋に立ち読みに行ってたぞ。

「うん、先が気になるから一気に読みたくて待ってた」
ぼそっと呟いたこいつ。らしいっていえばらしいな。

「ふーん」
なんだよ、ふーんって。自分って言っておきながら気のきいた事一つ言えないって情けないったらない。

「やっぱ、お年玉まで待ってるかな」
財布が入っているだろう、スポーツバックに視線を落として呟いたこいつ。
要は金が足りないってか。

「俺も読みたいから、半分づつ買うか?」
ナイス俺! 我ながら妙案なんじゃねぇの? こいつの返事を心待ちにしている俺に。

「は? 何で」
ときたもんだ。そこは素直に「うん」だろうが。

「欲しいんだろ」
よし、勝負だ。これで上手い事転がれば、その後の繋がりも出来るってもんだろ。
こいつの頭の上を通り越し、24巻もあるそれを順に本棚から抜き出した。
唖然としているこいつに追い打ちを掛けるように
「手出せ」
と言うと、反射的に手を出したこいつ。半分の本を持たせると俺は背を向けレジへと歩いた。
性格は熟知しているつもりだ。きっと文句を言いながらもついてくるはず。
ほらな。
「何だって言うのよ一体」
そう言いながらも、足音が聞こえる。自然と笑みが漏れた。
レジの前に立つ事数秒。
「全くもう」
と口を尖らせ、俺が置いた本の隣に、半ばヤケクソぎみに置かれた本。
ピピピとバーコードをあてる音。カウンターの中にはさっきと違う大学生らしき女の人がいた。
「お会計は――」
と言った店員に、俺達の声が合わさった。

「一緒で」
「別々で」

「何言ってるだよ、半分よこせ」
「やだね、あんたが勝手にレジに持ってきたんじゃない。――私は来月買おうと思ったのにー」
口ではそういうが、ちゃんと手には財布が握られている。
そういう奴だよ、お前って。まあ、行っている事はこいつの方が正しいんだけどな。
本当は、全部買ったっていいんだけれど、それじゃ駄目なんだよ。
さっきから、浮かんだこの後のシミュレーション。
それには俺とこいつが半分ずつ持たなくてはいけない訳で。
そうこう思っているうちにこいつは財布の口を開いて、ちゃんと半分の金額を出している。
そうそう、良い感じだ。

そして、並んで自転車を走らせた。
さっきまでの寒さは何処へやら、はやる気持ちのせいなのか、身体が火照っているようで逆に暖かいくらいだ。
隣で口を尖らせているこいつは昔のまんまで。
本当は、こうやって高校生活を送るはずだったのに。

それもこれも、こいつが女子高なんて受験するからいけないんだ。
何を今更、そう思うが思ってしまった事は仕方が無い。
今日こそは――。
いろんな妄想で頭が膨らんで、パンクしそうだった。

「じゃあ、俺着替えてくるから、先に読み進めておけよ」
あっという間についたこいつの家の前。
俺はちゃんと日本語を話したっていうのに、きょとんとしてやがる。

「は? 聞いてないし」
遅れてでた言葉。だけど、きっとこいつは嫌とは言わないはず。

「じゃあ、後で行くから」
自転車の籠から本を出して、手渡すと返事を待たずに自転車をころがした。
ここから2軒挟んだ俺の家までゆっくりと歩く。これはあいつへの執行猶予。
俺の家に着くまでに断られたら潔く諦めよう。でも、俺が家に入るまでに何も言われなかったら―その時は――。

息を止めて、一歩一歩踏みしめながら。
ハンドルを握る手は力が入り過ぎて、痛いくらいだった。
きっと、立ち止まったままであったろうあいつ。
そりゃそうだ。当たり前のように行ききしていたのはもう何年も前。言葉を交わしたのだって半年振りなのだから。
図々しいのは百も承知。だけど、これくらいしないと俺達は変わらない。
遠慮をしないで、ぶつかり合う男友達みたいなそんな位置はもう嫌なのだから。
あいつの隣に俺以外の男が歩くなんて、見たくないのだから……。

あっという間のその距離。門を潜るその瞬間に恐る恐る振り返ると、すでにあいつはいなかった。
ほっとしたのと同時に待ってろよと再び口元がゆるんでいた。