ポーカーフェイス

3話
誰もいない家の中は外とはまた違った湿り気のあるひんやりした空気が漂っている。
靴を脱ぎながら、さっきの事を思い返していた。

神様、仏様なんて考えた事なかったが、ちょっぴり過った赤い服の太ったおっさん。
俺へのプレゼントなのだろうかと。
何だってかこんなバカみたいな事を考えてしまうのはクリスマスだからなのか?
でも、偶然だろうとプレゼントだろうと、これからあいつのところへ行くのは事実なのだ。

シーンとした中俺の足音だけが響く階段。
誰もいない――。
俺の部屋にとも思ったが、警戒されてしまっては元も子も無い。
と言っても中学時代ならいざ知らず、今になってあいつの家に俺が行く事自体、おかしなことだとは思うけど。

部活も終わって気が抜けたこの一学期間は、空いた時間にあいつの事を考えてばかりだった。
あいつも俺もエスカレーター式の高校だけに、これからもまた同じキャンパスで過ごす事はありえない。
最後に負けた試合からほとぼりが冷め始めると部活仲間までもが、浮かれた奴らが増えてきて。
今までは男同士でつるんでいた奴らが、一人二人と輪から抜けていった。
仲良く昼飯を食ったり、下校したり。そんな奴らを羨ましいとは思うけど、俺にとっての相手はあいつだけだと決めていた。
あいつが共学だったら今以上の不安もあったと思う。
まだ大丈夫、まだ大丈夫。お袋があいつの母親と会話してきた内容を興味の無いふりをしながら聞き続けていたのだから。

ブレザーを脱ぎ捨てて、ドカッとベットに腰かけた。
段々と緊張をしてきたらしい。心なしか脈が早くなってきた気がする。
もし、駄目だったら?
どんなに強い相手との試合だってこんな風に思った事など一度も無い。
会場の何処かにあいつがいる、そう思うだけで、実力以上の力が出てきたのだから。
ふーっと大きな息を吐くも脈は静まってはくれなかった。
部屋の隅に転がっていたバスケットボールを手に取って指先でくるくると回すも、あまりもたずに指先から逃げていくボール。
目を瞑ったって誰よりも回し続ける俺なのに。どんだけ緊張しているんだって。

直ぐにでも部屋を飛び出したい気持ちを抑えて、落ち着け落ち着けと自分に言い聞かせた。
そっか、着替えか。着替えてくると言ったのに制服のままじゃおかしいよな。
一番気に入っているトレーナーを引っ張り出して袖を通した。
何でなのか解らないけれど、靴下まで履き替えてみたり。
時計に目をやると家に着いてから丁度30分。丁度良い時間だよな。

最近では記憶に無いほどの冷たい空気。はーっと手に息を吹きかけてポケットにねじ込んだ。
さっきとは違って小走りなっていたりして。3軒隣はものの数秒でついてしまう訳で。
ポケットから手を出して、人差し指でチャイムを押した。
直ぐに開いたドアから、おばさんがひょっこり顔を出した。
一瞬、考え込む顔をした後

「なるほどね、けんちゃんが来るからか」
ニヤリと笑って呟くと

「いらっしゃい、菜月は部屋にいるから」
とドアを大きく開けてくれた。

「お邪魔します」
そう言って目に入ったのは乱雑に転がったあいつの靴。
らしい、な。
おばさんは
「この前はありがとね、助かっちゃったわ。ゆっくりしてってね」
とリビングに消えていった。おばさんには会うんだよ。学校帰りとか、買い物先とか。
肝心な奴とは会わないのにな。

何度もきたはずなのに、今日はまるで初めてきた家のようだ。
部屋の前で、軽くノックをすると
「どうぞ」
と気のない返事。
多少汗ばみ始めた手でドアノブを引いた。

「進んだか?」
「ぼちぼちね」

こんな調子で果たして大丈夫なのだろうか?
ベットにの転びながら、顔も向けずに漫画に目を落とすこいつ。
きっと今しがた読み終えたばかりだろう1巻を手に取ってベットの淵に腰かけた。
それは、中学の時は当たり前の光景で。
だけど、はっきりとした決意を持ってきた今日は今までのそれとは全く違う。
どうにもこうにも、意識をしてしまって仕方がないのだ。
一度読んだ事のある漫画なだけにページの捲りは早い。
尤も、内容なんて全く頭に入ってきてないのだが。
俺の頭にダイレクトに響いてくるのは、こいつが捲るページの音や偶に噴き出す笑い声、それだけ。
うつ伏せになって読んでるもんだから、たまに足をばたつかせたりしているのは俺のことなんて何とも思っていない証拠なのだろう。

だけど、このシチュエーション。マジでやばいと思った。
心の中から今まで押し込めてきた感情が出てくるようで。
来たばかりだというのに。まだ早いだろう、と今日何度目か分からない自答をした。

いかん、どうしたって気になって思わず視線がいってしまいそうになる。
何を考えたか俺、こいつの隣に寝っ転がってみたりして。
だけど、どうしたって一緒の向きになんてなれなくて、これってどうだ?
ますます、ドツボに嵌ったような気がしてならなかった。

何か会話――そう思うが中々言葉が出てこない。
久し振りに会ったんだぞ? 何か話す事はないのか?
俺ってそんな存在か?
そんな思いがぐるぐると廻る。
そんな俺は
「まだ、終わらないのか?」なんてそんな言葉しか出てこなくって。
それに
「へいへい」と返すお前。
完全眼中なしって感じだな。

初めてふられた会話は
「寒いからコーヒーでも飲む?」
なんて、事務的な言葉。本当だったらそれに頷くところだけど、コーヒーって苦手なんだよ。
この年で、この体格でコーヒーを飲めないなんて恥ずかしいって思うけど苦いもんは苦いんだ。
ちょっとカッコ悪いけど
「紅茶」
と告げてみた。
呆れた顔をしていたけれど、きっとこいつは紅茶を入れてきてくれるだろう。
って最後のご主人様って何だよ。
怪しい響きじゃねぇか。

「よいしょ」なんてババ臭い掛け声を出して立ちあがると、隣がスースーした。
ぴったりとは寄り添っていないものの、こいつのぬくもりを感じていたのだ。
「早く戻れよ」
心の中で叫んだはずの言葉が洩れてしまったようだ。
ドアノブを掴んだまま、一瞬固まったこいつ。
何か言わなくちゃ、焦った俺から出たのは
「続き読めないだろ」
我ながらナイスっと自分を褒めてやりたいくらいだった。
ちょっと反応が怖かったこのやりとり。
バタリとドアが閉まった瞬間にほっとして、読みかけの本を閉じた。

心臓に悪い。

あいつがいなくなった事で改めて部屋の中を見渡した。
可愛げのない部屋。壁には俺も好きなバスケの選手のポスター。
本棚にはバスケット雑誌がずらり。
俺の部屋と大差ないっていうの。
まぁ、可愛すぎる部屋ってのは想像出来ないけどな。

本棚の隅には数枚の写真が飾られていた。
高校のユニフォームを着たあいつ、相変わらずの綺麗なフォームで3ポイントシュートを打つ瞬間を収めた写真。ため息が出そうになる。
これはきっと高校の引退試合の後に撮った写真だろう。集合写真の真ん中で目を真っ赤にして笑っている。
そして、その写真の隣にはうって変わって大口を開けて笑っている写真。
俺達の卒業式での一枚だ。
バラバラになる俺達の最後の集合写真。男バス、女バス入り混じってのその写真は俺にとっても宝物だ。
あいつと映った最後の写真でもあるからな。

ふいに向けた窓の外は雪がちらつき始めていた。どうりで寒いはずだ。
部屋の隅に置いてある電気ストーブもあいつが捻ったのだろう最大値になっている。
だけど、あいつのいない部屋はやっぱり寒いんだ。
飲みものを入れてくると出ていったあいつは中々帰ってこなかった。
どうしようか思ったが、何となくあいつが読んでいた本を手に取った。
さっきと同じように寝っ転がって、ページを捲る。
この巻はバスケが中心というより、人物像を中心に書かれた巻だった。
まるで恋愛漫画を見ているようで、背中が少しむず痒くなる。

まさに、今の俺の状態をじゃねえか。

何かヒントは貰えないだろうかと、告白すまでの過程を何度も読み返してみたり。
何度読んだって変わらねぇって。そうは思うが読んでしまうんだよな。
何度目か分からないそのページをリピートした時にドアが開いた。
紅茶が無いと言われた時は正直コーヒーになったかと焦ったが、ココア立った事に安堵する。
自然とお礼の言葉が出た。
俺の隣に座るもんだと疑わなかったのだが、あいつは自分の机に座りやがった。
お前がそこだと俺が寒いんだよ。今度は口に出さないように心の中で呟いた。
沸騰したての湯で入れたココアは熱過ぎて、ちびりと口に運ぶ。
視線を感じて顔をあげると、ニヤついた顔。
「猫舌」
それは突っ込むなっていうの。
でも、そんな会話が心地よくて仕方が無かった。
出来る事ならば、毎日でもこんな遣り取りを。
だから、それに向けて頑張るんだろ?
ココアを飲みながら、自分にそう言い聞かせた。

ポンポンと繋がった会話が途切れると、心の焦りが出てくる。
どんな風に切り出せばいいんだ?
そんな俺を悟られるのが嫌で、ココアを置いてまた漫画を読むふりをする。

「あんたって図々しいね、まさか本当に私の読みかけのを読むとは。で、今どの辺?読むのが早いようだから随分と進んだんでしょうね」
そんな憎まれ口も可愛いと思ってしまうのは病気かもしれない。
ほら、そんなに口を尖らせて。俺には目の毒だっていうの。
ページを捲って、その本いっぱいに書かれたキスシーンを見せつけてやった。
「ここだよ」と。

一瞬、目を見開いた後顔を真っ赤にしてそっぽを向いている。
高校3年のする反応なのだろうか?
そうは思いが、この反応にほっとしている俺もいた。

あわよくば、あの時の事を思い出してくれていないかと。
「こっちこいよ、寒いだろ」
それは、こいつに対してか、俺自身の事なのか。

今が勝負の時かもしれない。
後には引けないと、ベットに横たわった身体を引きあげた。