贅沢な願い事

昔の面影

「じゃあまたな」

「うん、気をつけて帰ってね。」

進み始めた足を止める事無く”おう”と一言だけの返事。
段々と小さくなっていく彼の背中に私は呟く。


振り返れ、振り返れ


と。
でも願いは虚しく、結局彼は背を向けたままあの角を曲がってしまった。
やっぱり私だけなのかな……

彼、徳山俊平は小、中学校の同級生だった。
同じ学校にいた頃は、仲の良い同級生ってだけで特別の感情なんてなかった。
その頃の彼は、背も私より大分小さくて、格好いいって言うより可愛いって表現がぴったりだった。
そんな彼と再会したのはつい最近、中学を卒業して10年の月日が経っていた。
いつものように会社へ向かう為、駅のホームに立っていた時に急に肩を叩かれた。

「久し振り」って。
振り返ると私の目線より遥かに上、唇の端を少し上げた男の人がいた。

誰?私の記憶を辿ってみてもそれらしき人は思い出せない。
人違い?!だってこんなグッとくる声聞いたら忘れないでしょ、絶対人違いだ。
私は、彼の正面を向いて曖昧に笑ってみた。
どう?これくらいはっきり顔を見たら、勘違いって分かるよね。
我ながらいい案だ。私はもうおしまいとばかりに元のようにクルリと前に向きなおした。

「お前な、久し振りに会った同級生無視すんのかよ。香也ってそんな奴だったっけか?」
低い声が尚更低くなって、ちょっとムッとしているのが分かった。
って今”香也”って言った?同級生って?慌てて振り返るとそこにはやっぱりさっきの男の人でして。
思わずマジマジと顔を見つめてしまった。

「もしかして、俺の事忘れちゃったって言うんじゃねえよな。香也ちゃんよぉ。」

ん?んん――

見覚えがあるかも。
この目元の小さいホクロ。

「もしかして、俊平君?」
半信半疑で聞いてみたら

「マジで分からなかったんだ。ちょっと俺ショックかも。」
なんて、全くそんな事を思っていなそうな、ちょっと意地悪そうな顔をした彼。

この再会から私達は頻繁に駅で会うようになったのだった。
同級生だからといっても10年もの月日は人を変えるのには十分な時間だった。
あの頃の印象とは全く違う彼。
見上げる程の身長と低い声。
あの頃の大きい目も度の入った眼鏡で細く見える始末。
変わらないのはあの目元のホクロだけだった。

強引で、それでいて冷めているような。
あの頃とは似ても似つかない俊平。
教室で大きな口を開けて笑っていた俊平はもういない。
静かな笑み、それが今の俊平だ。
優しい人がタイプだったのに。
だけど私は、何度か会ううちに俊平にどうしようも無いほど惹かれてしまったのだ。


そんな私を見透かしたように何度目かの偶然の後、俊平は言ったのだ。

「どうせ誰もいないんだろ。俺と付き合うか?」

思わず頷いていた私。

そんな私を

「犬みたいな奴だな」

と言った俊平。
そうして私達は付き合い始めたんだ。
でも付き合ったっていってもそっけないんだよね。

今日だってそうだよ。
別れ際のキスや振り返って手を振って欲しいって思うのは、贅沢な願い事なのだろうか。
付き合い始めて3ヶ月の私達、初めっからそんな甘い別れ際なんて存在しなかった。
彼の見えなくなった曲がり角を暫くの間見つめてしまうのが私の習慣。


じゃあまたな

なんて言ったって、次の約束があるわけじゃない。
突然やってくるメールで待ち合わせて、食事をして。
家族と住むこの家に送ってもらってそれで終わりなのだから。

短大を出て隣町の小さな会社に就職した私とは違い、大学を卒業して、大きな会社へ就職した俊平は1年の本社研修の後、東北へ2年勤務そして今年また本社勤務になったそうだ。
きっと、バリバリのコースを歩んでいるだろう俊平の邪魔はしたくは無かった。

逢いたくても逢いたいと言えず、声を聞きたくても我慢をしてしまう。
もう駄目かな、そんな時決まって俊平からのメールが届く。
まだ大丈夫、まだ大丈夫。
いつの間にかに占領された私の心。

明日は土曜だけど、こんな時間に帰った挙句、明日の約束もない私達。
これって付き合っているっていえるのだろうか。


翌日、私は美容室へ出掛けた。
メールを待つだけの一日なんて堪えられなかったから。

彼に触れられるこの髪が好き、だからさらさらな髪にしておきたくてまだ早いかなと思ったけれど縮毛をかけようと思った。
何だかんだ言ったって彼のことを考えてしまう自分に苦笑してしまう。
順番を待つ間雑誌に手を伸ばした。

ペラペラと捲ったところに飛び込んできた文字。

――彼が自分に冷めてきたと思ったのはどんな時

そこにはいろいろな事が書いてあったけれど、最後の方に書かれた言葉に心臓がトクンと波打った。

別れ際に振り向いてくれなくなった時

そう書いてあった。
そうだよ・ね。
私の場合初めっからなかったけれど、やっぱりそういうことなのかも知れない。
私は店員に声を掛けた。

「よくお似合いですよ。」
私の髪を切ったその人は言ってくれたけれど、きっと失恋したと思われたのかな。
励ましてくれたのかもしれない、鏡に写った私の顔は今にも泣きそうな顔だったから。