ずっと

変わらない背中

気合入りすぎって言われないよね。
お気に入りのワンピースに身を包み、私は地元の繁華街を一歩一歩ゆっくりと進んでいた。
会場となるその居酒屋は、何度も通った懐かしい場所。

居酒屋へと向かう道すがら、このラーメン屋も、この喫茶店も周りを見渡せばあの頃の私達が行ったところばかり。
思い出が多いだけに、暫くはここを歩くのも辛かった。
あの後何人もの彼が出来たけれど、あんなに笑いあったのはあいつだけだったから。そんな事を考えながら歩いていると、紺色の暖簾が目に入った。
入口の手前で足を止めた。
中からは、陽気な笑い声が響いてくる。
もう開始時刻から1時間半。きっとみんな出来あがっている頃だろう。
右手でぎゅっと胸を掴む。

――ちょっと顔を見れればいいんだから――
何度も自分に言い聞かせる。そう、声をきければそれでいい。
元気な声と少し大人になったあいつの顔をみればそれで満足なのだから。

何度も深呼吸をして、暖簾をくぐった。
ガラガラっと引き戸を開けると

「いらっしゃーい」と威勢のいい親父さんの声。
しわがれたその声はちっとも変っていない。
私は親父さんに軽く会釈をすると、店内から、大勢の視線が向いているのに気がついた。
唇の端を上げ
「久し振り」
と奥の席に歩み寄る。
視線の端に、しっかりと映したあなたの笑顔。
私は小さく目を伏せると、わざと彼から遠い席を選んで腰を下ろした。

来た途端に、注目を浴びてしまった。
案の定みんな出来あがっているようで、声が大きいのなんのって。
矢継ぎ早に飛んでくる質問を軽くいなしながら、運ばれてきたビールジョッキを手に取った。
幹事の沢渡が、私の名前を呼んで、きっと何度目かだろうカンパーイとグラスを合わせる。
萌子の痛い程の視線をしっかりと受けた。
半分程、ビールを喉にかきこんで、萌子に向かって小さく舌を出した。

中には、卒業以来の子もいて、近況を話合う。
そのうちに、前に座った沢渡が私の左手に視線を向けているのを気がついた。
慌てて、手を引っ込めるけど、そんな仕草も彼にとっては格好の材料だったようで。

「亜子ーお前も結婚したのか?」
なんて、言いだす始末。
「えー」とか「知らなかった」とかあちこちから言葉が飛んで来る。
流石に、あいつの顔は見れなかった。ここに来てからあいつの顔を見たのは暖簾をくぐったあの時だけ。意図して顔を見る事は出来なかった。
こんな事言われたんじゃ尚更、見れなくなってしまうじゃないか。

「してないよ」

そんな言葉も、沢渡が突っ込んでくる。
「だって、お前左手に結婚指輪。あっそうか相手がいるのか」
酔っぱらいはタチが悪い。私は曖昧に笑って
「どうだろうね」
なんて。ちょっとプライドもあったのかもしれない。
この年で働いて、仕事だけです。なんて淋しいじゃない。

その後も何か言われたけれど、萌子が助け舟を出してくれた。
なんでも萌子の隣に座っていた、名前が出てこない嘗ての友人がおめでただそうで、今度はそっちの話に話題が移っていったのだ。

そして、萌子がするりと席を抜け出し、私の隣に。
ここに来た事を突っ込まれると思ったのだが、萌子の突っ込みは違うところだった。

「亜子ー聞いてないよ」
そう言って私の左手を持ち上げる。

私は手を握って、あははとごまかしてみるも
「なるほどね、こんなシンプルなデザインじゃ結婚指輪に間違えなくもないな」
なんて、じろじろと私と左手に視線を向ける。

「誰に貰ったの?」
そう言う萌子は相当飲んだのだろう、ちょっと呂律が回っていない。

「誰だっていいでしょ」
言われた私も左手を意識して、ちょっと動揺してしまう。

「あー否定しない〜」
にやりと笑った萌子。私は勘弁してよとばかりに
「ちょっとトイレ」
と席を立った。きたばっかりで本当は用なんてないのに。
でも、そう言ってしまったがためにトイレに向かう。
ちらりとあいつに目を向けた。
ちょっとだけ猫背なあいつ。短い髪はあの頃のままだ。
あいつの隣にいるのはあの当時仲の良かった山崎だ。
一瞬山崎の視線と絡んだ。
山崎は声に出さずに
「おう」
と私に向けて唇を動かした。
私も同じように声を出さずに唇を動かした。
あいつの頭がこちらを向こうとしたであろう瞬間に私はあいつの背中を通り抜け、足早にトイレに向かった。
こんな正面きって、顔をみるのはまだ心の準備が出来ていなかったから。
話なんか、したくなかった。
あいつの口から結婚したとか、子供の話とかましてや彼の奥さんの話なんて聞きたくなかったから。
トイレの洗面台で鏡に移る自分の顔を見つめ、もうあの頃の私は何処にもいない事を十分すぎる程確認してしまった。