ずっと

あの日の約束

――私の事はいいのよ、それより高野こそどうなのよ――

そう言いたいのに、言えない私。
ここに来たのは、自分の想いを断ち切る為だったはずなのに。
いざとなったら、どうしたってその一言が言えないでいるなんて。
往生際が悪いとはまさにこの事だ。

聞いてしまうのよ、そして忘れなさい。頭の端で誰かが囁く。
本当にその通り、けじめをつけなくちゃね。
次は本気の恋をしなくちゃだから……
自分の都合のよい付き合いばかりをしてきたのはずっと高野の事を忘れられなかったから。
ここで、すっぱり思いを断ち切らないと。
そうしないときっとおばあちゃんになるまで本気の恋なんて出来ないだろうから。

さっき頼んだ甘めのカクテルをクイと飲みほし、右手で指輪をさすった。
頑張れ私。
そして、勇気を振り絞り、私が口を開こうとしたしたその時

「そんなに大事か?」
高野は視線を指輪に向けたままそう呟いた。

「ええ、とっても」
口が勝手に動いていた。でもこれは間違いなく本心だ。
こんなに長い時間会ってもいなかった貴方の事がこんなにも大事なの。
ここまで来ても肝心な事が出来ない私って情けないにも程がある。
ここまで捻くれてしまった自分が恨めしい。
言葉の続かない私を横目でちらりと見た高野が長い溜息をふーっと吐いた。

「これでけじめがつけられるかも」


ちょっと待って、今、なんて言った? けじめ?
それってもしかして……だって高野にはもう。頭の中は既にパニックだ。
これは私の都合のいい幻聴だとはいわないわよね。
もう一回整理してみよう。

そんなに指輪が大事かと聞いた高野。
そして私はええと返した。
その次はこれでけじめがって、やっぱりそう言う事だよね。

「お前怖いってそんな眉間に皺を寄せるなよ、俺可哀想じゃん」
それは、さっきのトーンとは違うちょっと砕けた物言いだった。
私にとっては確信に変わったその瞬間でもあった。
落ち着け私。だてにクールなお姉さまを演じてたわけじゃないでしょ。
だけどここで、それを発揮するんじゃなくて、素直になるのよ、素直に。
自分を落ち着かせるように、大きく息を吸い込んだ。

「これをくれた人とっても大事な人なの。忘れられないのもうずーっと」
こんなまどろっこしい事を言いたいんだじゃないのに、緊張がピークに達した私はもう心臓がバクバクしている。言葉より先に口から心臓が出るんじゃないかって思う程。そんな中、息をついた私の言葉の途中に

「もういいよ、分かったから」
拗ねたような呟きの後、口を窄めている。大人になった外見に似合わないでしょ、その口は。
学生時代の彼そのもの。懐かしいのその顔をみて、私の緊張がほぐれていくのがわかった。
ちょっと噴き出しそうになったりして、それは私が余裕がでた証拠そのもの。

「笑いたきゃ、笑えばいいだろ」
ほらまた。高野も私と同じ気持ちでいてくれた事が嬉しくて堪らない。胸の奥がジュンと音をたてるよう。胸が疼いてしょうがない。

「ねぇ高野」

「ん?」
拗ねた顔半分の不思議顔。
私はちょっと窮屈な指輪が嵌った左手をぎゅっと握り、高野グラスの前にそっと出した。
無言で私の手を見つめる高野。
そして私は、握った手の指を一本一本開いていく。
小さく光る私の誕生石が、高野の前に顔を出した。
高野はこの指輪を覚えているだろうか? そして、もうずーっと前のあの日の事を。

高野は一瞬、訝しそうな顔をした後、左手をゆっくりと口元に運んでいった。
「もしかして、これ――」

もう駆け引きなんていらない。まどろっこしい言葉なんていらない。

「もしかしなくても、あの時の指輪。私もずっと忘れられなかったから直希の事が」

「亜子」
真直ぐな瞳が私を見つめていた。

「笑いたきゃ、笑えばいいわ」
照れ隠しにそう言って、グラスをかかげた。



「ちょっと、待ってもう限界」
両腕で、厚い胸板を押し上げるもびくともしないってどういう事なの?
あの後、出張を兼ねて泊まっていると手を引かれ、この部屋にやってきた。
昨日は緊張して眠れなかったなんて言っていたのは何処のどいつだか。お酒の手伝いもあったかもしれないけれど、激しすぎでしょ。って私も人の事は言えないけれど。
大きな窓いっぱいに広がっていた夜景は跡形も無く消え、まぶし過ぎる程の朝日が部屋を照らしている。

「待たない」
とニヤリと笑うこいつに、ときめいてしまう私も如何なものか。だけど、若過ぎたあの頃とは身体が違うんだって。

「これから、何時だって会えるでしょ。今はもう無理だよ」
私の言葉を聞いて、直希が身体を急に起こした。私の両手は空を掴む。

「亜子、それ本気? 何時でもって本気だよな」
そう言えばあの後、なし崩しのようにベットに倒れ込んだから肝心な話は一切していなかった事に気づいた。

「えーっと、本気?」
今更ながらの自分の言葉にちょっと照れもあったりして。

「撤回なんてさせないから。あの日の約束も」
そう言って私の左手を優しく包んで抱きしめられた。


――次はもっとでっかい石ついてるのだから。この指には俺が買った指輪しか嵌めさせないから。これから先ずっと、だから待ってろよ俺が一人前になるまでな――

遠まわしのプロポーズ。本当はずっと待っていたんだ。
ねぇ直希、私確かにいろんな人と付き合ったけれど、指輪だけは誰からも貰わなかったんだよ。この指に嵌めるのは貴方からの指輪だけって決めていたから。
でもそれはまだ言ってやらない。遅すぎた罰だから。

私は直希の手を解いて、首筋に抱きついた。
そして耳元で囁いたんだ。

「一人前どころか、十人前になったみたいだから、うーんと大きいの買いに行こうね」
って。本当は直希に貰えるのだったら、どんなに小さくたって良かったけれどちょっと意地悪な事を言ったのは、今日の仕返し。
さっきから、バキバキいってるこの身体のね。

「おう、何だって構わないよ、亜子の好きなのを選べばいいから」
ちょっと声が上ずってるって。おかしくて堪らない。

「うん、たーっぷり吟味させて貰いますから」
抱きしめる腕に力を入れた。