電車通学

彼のため息

目に映るもの――
周りの風景だったり、学校の仲間達だったり、この日常はいつもと同じはずなのに、俺の目には全てが明るい色に見えるのは今の俺の気持ちと関係しているのだろう。
学校までの道のり、いつもだったら黙々とその道を進んで行くだけだった。
でも今日はちょっと違ったんだ。
今届いたばっかりのメールを見ながら電車の中で見た佐伯さんを思い浮かべていた。
それはほんの少しの時間。
電車ですれ違う一瞬、声に出さない声を出しお互い”おはよう”と言い合った。
俺は照れてしまって、あんまり顔を見れなかったんだけど。
きっと彼女もそうだと思う、顔を真っ赤にしてハニカンダ笑みを浮かべて。
勿論、俺に向けて笑ってくれたんだけど、それはそれは可愛くって思わず俺の周りの奴の目を覆いたくなるほどだった。

だってそうだろ、あの顔を見れるのは俺だけでいいのに。

違う方向に進んでいく電車を恨めしく思った。
窮屈そうな電車に乗って、小さくなっている彼女を守ってあげたいと。
あんなに向こうの電車に乗りたくなかった俺が、今は向こうの電車に乗りたいと切望するようになるなんて、半年前の俺ならこれっぽちも思わなかっただろう。

佐伯さんも今頃、この空の下学校に向かっているんだと思うと妙に足取りも軽くなったりするんだ。
携帯の画面には

――今日は天気がいいですね♪ このまま何処かに出掛けたいくらいです!――

俺も行きてーっ

心の中で叫んでいた。



「よう!」
物凄い衝撃が背中を襲った。

「よう、じゃなえよ。馬鹿力君」
言わずと知れた悪友だ。
佐伯さんと思いが通じて数日経った。
俺はここのところこいつにおもちゃにされっぱなしだ。

「今日もセーラーちゃんは可愛かったか?」

だから、セーラーちゃんは止めろって言ってるじゃねえか。
ジトリと睨んでやった。

「おお恐っ、そんな顔してると写メで今の顔送ってやるから」
豪快な笑い声で携帯をちらつかせた。

一瞬動揺してしまうものの、こいつが佐伯さんのアドレスを知るはずもなく、只単に俺をからかって遊んでいるだけなのだ。
こいつの事、いい奴だと思った俺は忘れよう、マジでそう思った。
こんなことを考えているにも関わらずおかまいなしに続ける悪友真治。

「それにしてもお前ここ何日かでキャラ代わりまくりだぞ。一体クールなお前は何処へ行ったんだ」
手を目の上にかざして遠くを見るこいつ。

自転車を蹴飛ばしてやろうかと思ったけれど、無視して自転車を漕ぐ足に力を入れた。

「浅野君待って〜」
この期に及んで何が浅野君だ。友達止めようかと本気でそう思った。

学校へ行っているのだから当たり前のことなんだけけれど、登校中の生徒が目に入る。でもそれは今までなかったことで。
でも、ここのところ嫌でも目がいってしまうのだ。
それは、仲良く並んで登校する奴ら。
ぴったりくっついて歩いていたり、中には手を繋ぎながら歩いているのもいて。
自然と手を繋ぐまでにはどのくらいの期間が必要なのだろうか?
そんなことを考えてしまう自分もいた。

ありえないだろ俺。

これじゃあからかわれるはずだよな。
俺の隣で自転車を漕ぐ悪友をみて、思わずため息をついてしまうのだった。
そして、そんな俺をこいつは見逃すわけもなく。

悩み事があるなら、聞きまっせ

妙な関西弁でまた俺をからかいやがる。
俺が無視を決め込んだのは言うまでもない。

その日の休み時間のことだった。
「浅野君、最近良い事あった?」
突然クラスの女子に声を掛けられた。

その言葉に、今この瞬間まで自分顔が緩んでいた事に気が付いた。
気を引き締めて顔を戻し
「……」
俺は改めて、無言の笑みで答えを返した。
するとそいつは
「ごめん、何だか最近表情が柔らかくなったみたいで、何かあったのかな? って素朴な疑問だよ。気に障ったらごめんね」
と言い終わるや否やそいつは何処かへ消えていった。

そして、タイミングよく近くにいる真治。
「いいねぇいい男は。これがそこらの奴じゃ、最近一人でニヤニヤしてて気持ち悪いよね〜って感じだぞ。モテル男は待遇が違うよなぁ」
一人自己完結したようで、こいつは”うんうん”と頷きながら俺の顔を見るのだった。

「くだらない」
そう一言いい、本に目を落とした。
でも本を見たのは確かなのだが、一向に文字を追うことは出来なくて。
俺って怪しい奴になっているのか?
自分で気がつかないうちににやけているのかもしれないとちょっとばかし、不安になった。

そして、考える。
浅野君かぁ。
さっき声をかけられた女子にも他の子にも、俺は浅野君と呼ばれている。
それは、佐伯さんも同じで。
同じ名前でも彼女が呼んでくれると、それだけで嬉しくなる俺がいる。
同じこと言っているのにな。
でも本音は、名前で呼んで欲しいと思うのだけれど。
どうすれば……どのタイミングで切り出せばいいのだろう。
俺が”佐伯さん”って呼ぶことにしたってそうだ。
折角、思いが通じたっていうのに、いくらなんでも苗字で呼んでいたんじゃ他人行儀だよな。
ってよりか、俺は彼女を名前で呼びたいんだ。
彼女を思い出す度に本当は呼んでいるんだ。
彼女の名前を。
でも、今日こそはって思うのだけど、いざって時には呼べなくて――意気地がないよな俺って。そう思ってまたため息がでた。