電車通学

これからも2

「佐伯郁っていいます。」
ビックリするような大きな声だった。
笑いそうになるのを必死で我慢する。
くるくる変わるその表情。
今は目を見開いたかと思うと、恥ずかしそうに視線を下に向け――
そんな1つ1つのしぐさが可愛くて仕方がない。
こんな彼女の傍にいたい。
本気でそう思った。


隣に彼女が歩いている。
頭の先からつま先まで神経を集中して自分より少し小さい歩幅の彼女と歩調を合わせるように歩く。

そんなことに集中していて、会話は全く出てこない。
気の利いたこと1つ言えない俺って。
さっき階段から降りてくる時にちらっと見えた公園。
多分ここだろう。
駅のホームに面してその公園はあった。
通学途中、外を見ていたら目に入るはずの公園、電車の中は読書と決めていたからちっとも気がつかなかった。

ほんの2、3分歩くと目の前に公園の入り口。
「ここかな?」

「うん」
彼女が頷いた。

あっまた手が触れた。
そうなると、全身の神経が今度は手に移ったみたいに指先まで熱くなる。
にやけてしまいそうな顔を堪えるのは一苦労だ。
俺ってこんな奴だったろうか。


彼女は大きなケヤキの下のベンチに目を向け歩き出す。

実は緊張のあまり暑さも忘れていたようだ。
でもケヤキの下に入ると、駅からほんの少しの間に浴びていた日差しを遮ってくれ、とても心地良かった。
木洩れ日が彼女を照らして、着ているワンピースに影を作る。
それをみただけでも、自然と微笑んでいる。
怪しい奴だと思われないように、必死になってみるもこんな近くにいる彼女。
どうやったって無理だった。

彼女、佐伯さんは良くここにくるのだろうか?

「佐伯さんはこの辺良く来るの?」
ここへきて初めてまともに会話を切り出した。

佐伯さんはこの前初めてきたと。
あの日だ。
この会話で1つ解った、お姉さんがいるって事。
そんな小さな事でも彼女を知って喜んでいる自分がいる。

「そっかあの時ここに。」

どうりで捜してもいなかったはずだ。
あんなに必死になって、ロータリーの周りを走ったのに。
忘れていた悔しさを思い出す。
もしも、あの時と。
でも、今隣にいるのは紛れもないあの時の彼女、佐伯さんなのだから。
隣にいるのだから。

そうしてまた話せない。

そんな俺にみかねてか彼女がコーヒーを差し出してくれる。
俺も彼女にコーヒーを返した。
勿論自分が買った方を。
俺と同じ理由で買ってくれたのだろうか?
そう思いたかった。

コーヒーに手をかけ、一口飲んでみた。
それはいつもと変わらない味なはずなのに、いつもより美味しく感じた。
きっとそれは隣にいる佐伯さんのせい。
彼女がいれば、どんな事だって嬉しく思えてしまうような気がした。

彼女はプルタブを空けると、コクリコクリと何口もコーヒーを飲んだ。
そんなに喉が渇いていたのだろうか。彼女は満足そうにコーヒーを飲み終え

ほっぺたを膨らましたと思ったら、ふーっと息を吐き出した。

その仕草が何ともいえなくって。どうしてなのか解らないが、何故かあの時のかえるになった彼女を思い出してしまって、笑いがこみ上げてくる。
この前の失態をすっかり忘れ、耐えられなくなった俺は後ろを向いて笑ってしまった。

そんな俺に気がついたのか、佐伯さんは何ともいえない顔をしていた。
まるで恥ずかしくて仕方がないように。
そして、手で顔を覆い下を向いてしまった。

「ごめん。」
そう謝る俺に佐伯さんは

「いえ……」
と、でもまだ手は顔に。

そんな顔をさせたいんじゃないのに。
ここでこの前の失態を思いだす。
これじゃああの時の繰り返しだ。

さっきとは違う緊張感。
本当はもっと話してからと思っていたのだけれど
この前の二の舞だけにはなりたくない。
そう決意した。

「やっぱり、いいなと思って。そんな佐伯だから、俺――」

だけど、肝心の言葉が続かない。

自分を奮い立たせるように彼女の前に立った。
言え言うんだ。
自分で自分に発破を掛ける。
小さく息を吸い込み
そして、彼女を真っ直ぐ見据えて

「好きなんだ。どうしようもなく。佐伯さんの事が気になって気になって、こんな何も知らない奴に言われて戸惑うのは承知だけど、考えてくれないか?俺の事。」

緊張の一瞬。
彼女は何かを考えているようだった。
断りの言葉でも考えているのだろうか?
俺はロボットのように身体が硬くなるの感じた。

すると、彼女は突然立ち上がり俺の目の前に。
コーヒーをコクリと飲み小さく息を吸い込んだ。

「私も、ずっと見てました。いつの間にか浅野君の事ばかり考えている自分がいました。私の方こそ宜しくお願いします。」

断られるのかもという不安のせいだったのか、身構えていた俺の耳には素直に言葉が入ってこなくて。

「浅野君?」
俺の名前を呼ぶ彼女。

彼女の気持ちが知りたくて。
はっきり聞きたくて。
まさか、友達からって事は……ありえるかもしれない。

付き合うって友達じゃなくて、佐伯さんの事彼女って思っていいんだよね。

心の中で考えた事が口に出ていたようで佐伯さんは

えっ

と言った。
やっぱり俺の勘違いなのか?
もう一度聞いてみた。

「俺、期待していいんだよね。それって友達としてじゃなく……付き合ってくれるってとってもいいんだよね。」
不安を映し出すように小さな呟きともとれる声だった。
そんな俺の問いかけに佐伯さんは意外な答えを

「私でいいの?」
と真っ直ぐ俺をみてそう言った。

「佐伯さんがいいんだ、佐伯さんじゃなくちゃ。」
必死になって答える。
心を落ち着かせるように空を見上げ、佐伯さんの答えを待った。


「はい。私で良かったら、宜しくお願いします。」
佐伯さんはそういって、一旦空を見上げこちらを向いた。
その時、涙が一粒零れ落ちた。

愛しい。
これがどこから沸いてくる感情なのかは解らないけれどそう思わずにはいられない。
そして頭で考えるよりも先に彼女、佐伯さんを抱きしめている自分がいた。
会う事さえも儘ならかった彼女を。

思わず
「俺も泣きそう。」
と口にしてしまった。
かっこ悪いだろ、いくらなんでも。

「浅野君?」
佐伯さんの声に我に返る。
思わず抱きしめてしまった腕を慌てて放した。

そしてまたかっこ悪い一言を
「ごめん、嬉しくってつい……」
きっと俺の顔は赤いに違いない。
まだ腕に残る彼女の感触。

これからは一緒にいられる。
只彼女を捜すだけの毎日が終わるんだ。

俺の前ではにかんで笑う彼女を見つめていた。

これからずっとこの笑顔を近くで見れる。
幸せな時間の始まりだった。