電車通学

勘違い

いつものように待ち合わせをして、駅前をぶらりと歩いている時だった。
遠慮がちに佐伯さんが話し出した。

「あのね、今度の土曜日なんだけど……」

「土曜日?」
俺が聞き返すと

「うん、土曜日。近くの神社で夏祭りがあってね。もし、浅野君の用事がなかったら一緒にどうかなって思って」
佐伯さんは真直ぐ前を向いてそう言ったんだ。
初めてだった、佐伯さんから誘ってくれたのは。
これが嬉しくないはずなくって。
直ぐにでも返事をするところなのに、舞い上がってしまって思わず佐伯さんの声を頭の中で反芻している俺がいた。

「あっ、用事があったら無理にとは言わないから。やっぱり急に誘ったら無理だよね。」
俺が直ぐに返事をしなかったせいか、不安そうな顔で、そんなことを言わせてしまうなんて。
俺は慌てて
「行くよ、絶対。今から楽しみだよ。」
佐伯さんの顔をみながらそう言ったんだ。

すると、さっきの不安そうな顔がみるみるうちに明るくなって満面の笑みを浮かべてくれた。
「私も楽しみ」
と言葉を添えて。

付き合い始めてそろそろ1ヶ月たとうとするけど、未だに佐伯さん、浅野君と呼ぶ俺達だったりする。
悪友に言わせると、中学生だってそんな奴はいないと、笑われるのだけれど、きっかけがつかめなくて、こんな調子が続いていた。
付き合い始めた日に思わず抱きしめてしまったりもしたのだけれど、その後は手を繋ぐことさえ出来なくって。
俺だって、いろんな願望は山ほどあるのだけれど、いざ佐伯さんを目の前にするとどうしていいのか分からなくなってしまうんだ。
何をやってるんだろうな俺は。

それはそうと、土曜日って明後日じゃないか!
と暫しの回想。

「夏祭りに行くと夏が始まったって感じがするんだよね。お囃子の音色に誘われて、色とりどりのお面が並んで、射的に金魚すくい。それでもって、綿飴だったり、林檎飴、たこ焼きに焼きそば。もう考えただけでワクワクしちゃうよ。」
そういう佐伯さんはとても嬉しそうな顔して、本当に好きなんだなってのがよく解った。

「浅野君は?」
佐伯さんは両手を後ろで組ながら、俺の前にひょっこり顔をだして聞いてきた。

「俺は――」
今までは、親や友達の付き合いで行っていたくらいで、実のことを言うと”蚊”に刺されるし、あんまり好きじゃなかったんけれど……

「俺も好きかな」
何より、佐伯さんと一緒に出掛けられるならばね。

待ち合わせ時間が遅かったせいで、段々、日も暮れだした。
俺達はゆっくりと佐伯さんの家の方に歩みだす。

待ち合わせはいつも、彼女の駅。
別れるのは、彼女の家の近くの公園。

本当は家まで送って行きたいけれど、”いいよ”の一言に頷いてしまう俺。
そして、彼女が視界から消えるまで見送ってから帰るのがここ何日かの日課となっていた。
一緒にいると、こうも時間の経つのが早いものなのか。
いつもの公園に辿り着いてしまった。

そうだ、今日こそ。そう思うのだけれどいざとなると言葉が出て来ない。
他の奴らはどうしてるんだ?何て言っているんだ?
早く言わないと。
刻々と夕闇は近づいてきて。
よし、と自分に気合を入れて彼女と向き合った。

「俺達、付き合い始めて1ヶ月だよな。そろそろ、けっ圭吾って」
あまりの緊張に言葉が続かず。

――呼んで欲しいんだ――

肝心なことが言えずに、ゴクリと唾を飲み込んだ。
恥ずかしくって、言った瞬間下を向いた顔を上げられなかった。

すると、すんなりと佐伯さんは

「けいご?」

と言ったのだ!
佐伯さんの言葉に顔を上げると、佐伯さんは首を傾げて言葉を続けた。

「私、そんなに敬語で話してるかな?」

けいご違いだった。

「そうじゃなくて……。」
そこまで言ってふと考える。
そうだ、俺から先に名前を言えば良いんだ!と。
一つ大きめな呼吸をして。


「郁」


きっと俺の顔は赤いと思う。
心の中では何度も呼んでいる、その名前を初めて彼女を目の前に呼んでみた。
ちょっと緊張して語尾が上がってしまった。

彼女は大きな目を更に大きく見開いていたのだけれど。
何かに閃いたように、頷くと。

「そうだね、もう暗くなってきたから、そろそろ行こうか。」
と真顔で返してきた。

「あ、あぁ」
今度は”いく”違いだ。
俺のショックは計りしれない。




「ちょっと、勘違いしっちゃったよ。」
そう言って舌をだして笑った彼女。

俺は間髪入れずに
「勘違いじゃなから。俺は帰りたいんじゃなくて、名前を呼んだんだ。」
公園内を歩き出した、彼女の足が止まった。

「郁って呼んでいいかな?それで、俺の事は圭吾って呼んで欲しい。」
一度口にしたせいか、今度は最後まで言えた。
彼女は見る見るうちに真っ赤になってきて。
そういう俺も多分真っ赤だ。

恥ずかしくなって、目線を落とした。
その先には、彼女と俺のが重なりあった一つの長い影。
彼女をすっぽりと覆う俺の影だった。


その晩、俺の元に届いたメール。
明日は委員会があるので遅くなるので会えないという事が書いてあり。
文末は

おやすみなさい、圭吾君
郁より

と結ばれていた。
俺が眠れなかったのは言うまでもない。