電車通学

勘違い2

「郁、土曜日だけど夕飯どうする?」
突然お姉ちゃんが言ってきた。

「土曜日って何だっけ?」
はて?考えてみたけど思い当たらず、冷蔵庫に張ってあるカレンダーに目をやった。
そこには赤い文字で

―歌舞伎―

と書いてあった。
そっか、お父さんとお母さん歌舞伎を見に行くって言ってたっけ。
今週だったんだぁ。

私の視線を辿って、お姉ちゃんは私が気が付いたとわかったようだった。
「私はバイト入ってるから、郁だけなんだよ。カレーでも作っていこうかなってお母さん言ってたんだけど」
お姉ちゃんはそこで言葉を切って、にやりと笑った。
何?何なのその笑みは。

「きっと、郁は出掛けるからいらないと思うよ。って言っておいたから」
まだ変な笑みを浮かべつつお姉ちゃんはそう言った。

「出掛けるって、何処に……」
そこまで言って気が付いた、そうその日は高山神社の夏祭りの日だった。

「そうそう、だから誘って行って来れば?どうせ2人共帰ってくるのは遅いと思うからね。まあ”誰と”とは言わないけれど」
お姉ちゃんはそう言うと、冷蔵庫から冷えた麦茶をコップに注ぎ、ゴクリゴクリと飲み干した。

誘っちゃおうかなぁ

お姉ちゃんが隣にいるのをすっかり忘れ、お祭りの中を浅野君と2人で歩く姿を妄想してしまった。
気が付くと、冷蔵庫の前で一人ぽつんと立っていた。
お姉ちゃんはいなかった。


その晩も習慣になった浅野君へのお休みメールをしたのだけれど、お祭りの事は書けなくて。
だって、何だか断られた場合それが文字で残るのって寂しい気がしちゃったんだよね。
だから、直接会って言えばいいやって思ったんだけど、結局私が言い出せたのはお祭りの2日前だった。
いつものように私の使う駅で待ち合わせて、ぶらぶらと駅前を散歩して。
深呼吸して切り出した。

浅野君は一瞬の間があった後、”楽しみだよ”って笑顔で言ってくれた。
返事を貰うまではドキドキしっぱなしだったけれど、こんな風に笑顔で返事をらえるんだったら、もっと早くに言えば良かったかなぁなんて。
だけど、誘うって結構勇気がいるんだよね。

それはそうと今日の浅野君はいつもと違う?
いつもだったらもっと……どういっていいのか解らないけれど何か違うっていうのは私にも解ったんだ。
もしかして、お祭り嫌だったのかな?

日も暮れだして、私達はいつもの公園へとやってきた。
赤と青の交じり合う夕暮れの空を渡り鳥が群れをなして飛んで行った。
時折聞えるその鳥達の鳴き声は少し寂しそうに聞えるのは、そろそろ帰らなくてはいけない私の胸に響くからなのかな。
会話が途絶えて暫しの沈黙の後、突然浅野君は話出した。

「俺達、付き合い始めて1ヶ月だよな。そろそろ、けっけいごって」

そこまで言って下を向いてしまった。
ちょっとビクッとしてしまった。
何を言い出すかと思ったら、それにしても私そんなに敬語で話してるのかな?まあ確かに桜に話すみたいには話せないけれど。

「敬語?」
私が漏らした言葉に顔を上げる浅野君。
私の言葉が足りなかったよね。

「私、そんなに敬語で話してるかな?」
と聞いてみた。

すると小さな声で

「そうじゃなくて……」
と。私の頭に?が浮かぶ。
そうじゃなくてとは???
そんなことを考えていたら


「いく?」

と遠慮がちに言った浅野君。
その言葉が、私の名前を呼ばれたようで心臓がドキリと大きく波打った。
落着け私。落着くんだ。
夕日を背に負った浅野君はそれはそれは眩しくって。
1ヶ月経ったってこのドキドキはおさまってはくれなかった。
きっと、帰ろうって、行こうって意味だよね。
そう解釈して、

「そうだね、もう暗くなってきたから、そろそろ行こうか」
私の顔が赤いのは夕日のせいにしてもらおう。
顔を引き締めて名残惜しいけれどそう浅野君に返事をした。

「あ、あぁ」
浅野君が返事をしてくれた事でやっぱりこの解釈で合ってたんだよなぁ。
なんて、ちょっぴり恥ずかしくなってしまった。
私は勢いで

「ちょっと、勘違いしっちゃったよ」
と公園の出口に向かいながら、おどけてみせた。
”何に”と聞き返されたら、どうしようなんて思っていたのに浅野君の反応は素早かった。

「勘違いじゃなから。俺は帰りたいんじゃなくて、名前を呼んだんだ」

体の中を何かが走ったような感じがした。
そう電気が頭の先からつま先まで走りぬけたそんな感じ。
耳の中で何度も浅野君の声がこだまする。
私の名前を呼んでくれたんだと。

「郁って呼んでいいかな?それで、俺の事は圭吾って呼んで欲しい」

体中が熱くなってきた。
まるで、サウナに入ったみたいだよ。
ノックアウトです。
きっと私はゆでたこです。

私は声が出したくても声が出なくて。
大きく頷くのが精一杯だった。

すると、頭の上の方からあの低く響くあの声で

「郁」

と私の名前が聞えた。
いろいろな人に名前を呼ばれたことなんて何度もあるのに、浅野君が呼んだだけでどうしてこうも響きが違うのだろう。
まるで違う名前みたいだった。

自然と頬が緩んでいくのが分かった。
私はまた一つ頷いた。
恥ずかしくって顔をあげられなかったけれど。

それからあっという間に日は落ちて、私達はそれぞれの家に帰った。
家に帰ってからも私の顔は元に戻らなくて、散々お姉ちゃんにからかわれてしまった。
そういえば、明日の事を言うの忘れちゃったよ。
月に一度の委員会の集まりだった。

寝る前に携帯を開いてメールを送った。
さっきは言えなかった彼の名前。

――おやすみなさい、圭吾君 郁より――

と。ここで私は気がついてしまった。
”けいご”と入れて変換すると”敬語”となる事に。
もしかして、私はあの時もう一つ勘違いをしていたのではないだろうか……

私って、もしかして鈍感?