電車通学

勢いで
勢いで来てしまった。
まだ、郁の事を知らないあの頃、名前も知らない郁に会いたい一心でこの学校までやってきた時以来だ。
あの時と同じように校門の前のガードレールに寄りかかって郁を待つ。
早退したかいあってか、まだ郁の学校は下校時間をむかえていなかった。

一言でいうとそれは嫉妬というものだろう、俺の知らない学校での郁。
机に座って友達と話す姿だったり、授業を受けたり、学食や弁当を食べる学校での郁。

ずっと一緒の空間ですごせればどんなに良い事だろう。
離れてしまうなんて大げさかもしれないが、同じ時を過ごしたいと考えてしまうのは欲張りなのだろうか。
今こうしている時も郁の周りには沢山のクラスメイトがいると思うとやるせない気持ちになってしまう。
特に……あの写真に写っていた男。あの男の目は穏やかな見守るようなそんな目をしていた。

郁は、俺の。
俺の彼女なのにと。

だからと言ってここまで来たとしても何の事実も変わりはしないのだが。
はぁと大きなため息しか出てこなかった。

どの位この場にいたのだろう。どこかぼーっとしていた頭の中にうちの学校とは少し音色の違う鐘の音が響いてきた。
どうやら、終わったらしい。暫くすると、正面口から出てくる生徒達。目を細めて、じっと前を見据えた。

ここにいる俺を見て郁はどんな顔をするのだろうか。
俺はなんと郁に話しかければいいのだろうか。いつしかも思った自分への問い。
もし、あの男と一緒に校門から出てきたら。考えたくないことを考えてしまう。

いいさ、その時は思いっきり郁を引きよせて見せつけてやればいいだけの話だ。
郁には俺がいるんだって事を見せつけてやれば。自分の中に沸き起こるどす黒い感情。
只でさえ恥ずかしがる郁が良い顔をす訳もないことは承知の上だ。そんな事を考えていたら。

突然目の前に現れて、袖を掴まれて。
俺、郁に引きずられている?!

何にからだか分からないが、追ってから逃げているようなのでついて来ているのだが。足が止まったのは小さな裏路地で。
俺の袖をパッと放した、郁を見ると。
走ったせいで肩を弾ませ、赤く上気した顔で、零れるような笑みを浮かべている。

自分でも、驚いた。
気がついたら、腕の中に郁がいた。無意識の行動。って俺思いっきり怪しい奴じゃねえか?

郁は固まってしまっているし。
慌てて腕を解き”調子にのった”なんて言ってみたりして。
調子に乗ったって何だ?自分でも意味不明。それだけ、俺がテンパっていたのかもしれない。
さっきから、郁の声は全く聞いていないことに気がつく。
今も、ほほ笑むだけで。
だけど、ほほ笑むっていうのは否定されていないんだよなと、何処かでほっとしている自分もいた。

「何から逃げてきたの」やっと会話らしい言葉が出てきた。
郁はというと、俺の問いには答えずに
「圭吾君こそ、学校早かったんだね」といきなり鋭い処をつかれてしまった。

お互いにその問いには答えずに一瞬目を会わせて二人で噴き出してしまった。要は2人ともバツが悪かったんだ。

「この先に、良く行く喫茶店があるんだけれどどうかな?」
遠慮がちに、聞いてきた郁。

もしかしなくても、あの喫茶店、あいつに連れられて奢らされた。
だけどそれがきっかけで、郁とこうやって一緒にいられる事になったのは事実。
俺にとっては、ある意味思い出の喫茶店かもしれないな。まさか、知っているとも言えずに
「連れて行って」と言っていた。

郁の隣をゆっくりとした歩調で歩く。あの時には気がつかなかった周りの風景。
裏道一本入った住宅街はある程度の広さを持っていて、今流行りのガーデニングが多かった。
薔薇のアーチがあるものや、レンガで小洒落た花壇を作っている家。
郁も俺もさっきの照れがあってか、目を合わす事もなく、そうただ真直ぐにその道を歩いていた。

「ここだよ。」
そう言って着いたのはやっぱりあの店で、ドアを開けるとカラーンと澄んだ音の鐘。
鼻孔いっぱいに広がった香ばしいコーヒーの香り。
郁は俺に向きなおし

「ここのコーヒーはお勧めだよ」そうほほ笑んだ。
まさか知っているとは言えず、俺はこくりと頷いて一歩店へと踏み出した。

今日は学生の姿がなく、近所の主婦や、仕事の合間に立ち寄った会社員らしきスーツ姿の数名がいるだけだった。

郁が迷わず向かったのは何時ぞやのその席で、俺はここに来たということを郁に話ていないことを少しだけ後悔したりした。

郁と一緒にいると結構な頻度で喫茶店に入る。
大抵俺はコーヒーで、郁はケーキのセットを頼んだりするのだが。
いらっしゃいませ
と控えめな声でやってきたウエイトレスに
俺は郁お勧めのコーヒーを頼み、郁はあいつが頼んでいた大きなパフェを注文していた。
ここまで来るともしかして郁は俺がここに来た事を知っているのではないかという気もして、妙に気ぜわしくなってしまった。

久し振りだなとニコニコしている郁。
その久し振りというのはも勿論俺の事ではなく、ここのパフェの事を言っているのだろう。
なんせいまは夏休みだから。郁はきっと自分が独り言を言っているのを気がついていないんだろうな、窓の外を見つめながら何やら突然険しい顔になっている郁の顔を見つめる。

そうそうこの顔。電車の中で始めてみた郁の顔はこんな顔だったかもな。
くるくる変わるその表情、少し前の事なのにちょっと遠い昔のようなそんな感じがした。

郁は何かを決めたようなそんなしっかりとした目で俺を見つめてきた。
な、何を言うつもりなんだ。
いつもとは違う強い瞳で見つめられると少しドキっとしてしまう俺。
もしかして、俺が学校まで来た事と関係あるのだろうか。
俺と一緒にいるのを見られたくなくて逃げてきたとか?そんなマイナスな気持ちが襲ってくる。

「圭吾君。」
俺の名前を呼んで一つ呼吸を置く郁。
次の郁の言葉が出るまでほんの数秒にも満たないその瞬間、不安な気持ちに駆られる。
そして

「あのね、会って欲しい人がいるんだけど、いいかな?」
改まってそんな事を言い出す郁にさっきの不安な気持ちが一気に押し寄せた。

「会ってほしい人?」
俺の頭の中にはさっきのあの男の顔がちらりと浮かんだ。

「そう、私の大事な人」
まっすぐな瞳でそう言われて、俺は思わず頷いていた。