電車通学

登校日2
「おはようっ。随分とすっきりした顔してるねぇ。うん良かった、良かった」
桜は私の顔を見て満足そうに頷いている。

自分では分からないけれど、そんなに違うものかな?

「幸せそうな顔してるよ、郁。いいなぁ私も花火ついてけば良かったよ」
あのいつもの悪戯な笑み。桜は私の心の中が分かるみたいですんなりと答えをくれたんだ。
そう。やっと、自分の思いを圭吾君に告げることが出来たのは、桜のおかげだ。
そして、彼女、涼子さんのおかげでもある。

「幸せそうじゃなくて、幸せなんだから」
後ろ手に鞄を持ってくるりと桜に背を向けた。
言ってしまった言葉があまりにも恥ずかしかったから。

真後ろになった桜がぼそっと
耳が真っ赤だよ
って呟いたのが聞こえた。

あの時は花火の雰囲気に後押しして貰ったのも大きくて。
その後は照れもでてしまってか、ちょっとどぎまぎするもの事実だったり。
だけど、思いだすだけで顔がほころんでしまったり。

また、思いにふけってしまったようで、後ろから
ふーんと意味ありげにと言っている桜には全く気がつかなった。

久しぶりの教室は、いつもにも増して賑やかだった。
部活をしている子もそうでない子も、結構なクラスメートがこんがり日焼けしていて、夏を楽しんでいるようだった。
桜は元々インドア派だから、少数の色白組み。
私は中間といったところかな。

「郁ーっ久しぶり」
あっという間に席の周りを囲まれて、ちょっと驚いた。
なんでも、先日圭吾君と行った映画館に今、私の目の前にいる、美穂がいたらしく、私達の事を見かけたらしい。
私に彼が出来たというのは、桜が話てくれたお陰?!で皆に知れ渡っているけれど、私の口からは詳しく話たことが無かったからなのかもしれないけれど。
何なの、この質問の嵐は。

中には調子に乗って、恥ずかしくなる質問まで飛び出す始末。
何処まで進んだかって。
そんな事言えるわけないのに。
完全におもちゃのようになってしまった。
他人に頼っちゃいけないって思うけれど、いつもだったら、助け舟を出してくれる桜は――桜は何処に?
教室に入ってくるまでは一緒だったのに、はて?

教室をぐるりと見渡すと、慌てて手元を隠す桜が壁際に一人立っていた。
どうしてあんなところにいるんだろう?
不思議に思って、見つめてしまった。
桜は、私に気がついて鼻歌を歌いながらこちらに向かって歩いてくる。
そして
「はい、これでお終い。郁は恥ずかしがりやだからね。それ以上聞いても何にも話さないんじゃないかな。」
ハキハキと話す桜に私の周りにいたクラスメートが一斉に黙ってくれた。
やっぱり一目置かれている人は違うんだなこれが。
あんまり嫌味に聞こえない所も凄いんだよ。
私は自分の事を言ってくれたというのに他人事のように桜を眺めてしまった。
桜は、私の顔を見てばっちりウィンク。
私は小さな声で”サンキュ”って返した。

やっぱり誰が見てもかっこいいって思うんだよね。
美穂が興奮しながら圭吾君の事を聞いてきたのを思い起こす。
きっと圭吾君だから、圭吾君だったからあんなにも話を聞きたがったんだと思う。
何処で知り合ったとか、同じ年?だとか。
だって、桜が私の事を言った時だって、そこまでは興味もなさそうだったのに。
美穂は去り際に、今度彼の友達とカラコンしようよ。なんて言ってたっけ。

圭吾君とカラオケ……想像出来ないかも。
だけどあの低い声。
きっと歌も上手なんだろうな。
勝手に妄想に入ってしまった私。
思いっきり頭を振って、マイクを持った圭吾君を頭の中から追い出した。
駄目だ。そんな圭吾君を美穂達に見せるのは絶対嫌なんだから。
その前に、音程の外れる私の歌は絶対に圭吾君には聞かせられないんだけど。
自然と大きなため息がでてしまった。

「夏ボケか?」
笑いをこらえたような震える声が背後から聞こえた。
少し掠れたその声は大山だ。

「夏ボケって何?夏バテでしょ?」
振りかえって、そう言うと大山は

「じゃあ色ボケ?」
なんて言い出した。

「どっちにしても、ボケてませんから。」
ちょっとむくれて、言い返すと。

「良い事あったんだろ?良い顔してるよ」
って、無邪気な笑顔。
ごつくって、男って感じの大山だけれど、今見せた笑顔が少年っぽくて大山こそ良い顔してるじゃんって思った。
きっと桜はそんな大山の事が気になっているんだろうなって私は思ってるんだ。
桜と話をしている時にたまに思ってた、私の頭をすり抜ける桜の視線に。
きっとそれは大山に向かっているんだろうなって。
だけど、それを言ったら何を反撃されるか恐ろしくて口にしたことがないんだけれど。
私じゃ頼りないのは重々承知だけど、いつかきっと桜は私に話してくれるだろうから、その時まではじっと我慢しようって決めているんだ。

秘密だよ

いつかノートに書いたみたいに大山にそう告げていた。
エアコンの効いた快適な部屋で過ごす習慣はめっきり私の体を怠けさせてしまって、蒸し暑いこの教室で話す先生の声はあんまり耳に入ってきてくれなかった。

やっとの事で学校が終わって、帰り支度を始めるとまた美穂達が近寄ってきた。
「郁、ちょっと本気でカラコン考えてくれない?」
ちょっとすがるようなそんな声。
カラコンって……。
桜にだって会わせていないっていうのに。
それに、私が圭吾君を誘って合コン?!駄目駄目絶対に考えられない。

「ごめんね」
これ以上何か言われるのはちょっとまずい。それだけ告げて、美穂達から逃げるように鞄を掴んで机から離れた。
幸い今は夏休みだ、そのうち諦めてくれるだろうと期待を込めて。
ちっらと桜を見ると、それだけで分かってくれたようで携帯を握ったその手を軽く振り上げてくれた。
後でメールするね。
そんな合図だと思う。
美穂が何やら言っていたけれど、言葉を聞かずに
「じゃあね」
と教室を出た。
追いかけてくるとは思わなかったけれど、なんとなく急ぎ足に。
昇降口は、普段部活の子も休みとあってか結構な人がいた。
今日は久しぶりに桜と帰ろうと思ったんだけどなぁ。
いっか、桜の好きなあの喫茶店からメールでもしよう。
そう思いながら、校門に近付くと前を歩く女の子達が何やらきゃあきゃあしているのが聞こえた。
あんまり気にしていなかったけれど、一歩校門を出たその先にはガードレールに腰かける圭吾君がいた。
瞬間後ろを振り返り、美穂がいない事を確認する――うわっもう昇降口にいるじゃん。
急ぎ足で教室を出たのは正解だった。
私は、圭吾君に挨拶するよりも先に圭吾君の腕を捕って、走り出した。
「いっ郁?」
呆気にとられているみたいだったけれど「ごめんね説明は後でするから」と皆が通る駅への道から一本外れた裏路地に圭吾君を引っ張りこんでしまった。

やっと落ち着けて一息吐いた。
「郁、どうした?」
その声にはっとした。
まだ掴んだままの圭吾君の腕をそっと放す。

何から話せばいいのか分からずに曖昧に笑ってしまった。
すると、圭吾君はがばっと抱きしめ始めたんだ。
やっと落ち着いた心臓はまた逆戻り、私は何が何だか分からずあたふたしてしまう。

それは、一瞬の事だった。直ぐに圭吾君は私から離れて
「ごめん、調子に乗った」と一言。

またもや曖昧に笑うことしか出来ない私だった。