電車通学

大きなため息2

「来週からなんだ。週2、3日位のつもりだけど」

それはとっても唐突で。
いつものように帰りの駅で待ち合わせして、いつものように駅前を歩いて。
学校が違う上に、今はお互い文化祭の準備のためにあう時間が少なくなっているこの時期に圭吾君はバイトを始めるって言ったのだった。
それだけじゃない、咄嗟に過ったのはそれよりも、もっと現実的な不安。
「そうなんだぁ」
余裕のない私は、そんな言葉しか出てこなかった。

「何処でするの? って聞いてくれないの?」
悪戯な笑みを浮かべて私を見た圭吾君。

「何処でするの?」
顔に出ないように注意を払いながらのオウム返し。

「ここなんだ。ここの3階の本屋」
圭吾君が見上げた先は――
洋服や本、CDショップなどの専門店の入るここら辺では大きなショッピングモール。
要するに私の地元だったりする。 そう言えば確か、圭吾君も何度か来た事があるって言ってたっけ。

「ここなら、バイトが入った日でも郁に会えるだろ」
そう笑う圭吾君だったけど。
さっきの不安が更に現実味を帯びてきてしまった。

だって、こんなに人目のつくお店に圭吾君がいたら絶対目立つに決まってる。
こうやって歩いているだけだって、女の人の視線を感じるっていうのに。
見れるだけで嬉しいって思っていたはずなのに、段々欲張りになってしまう私がいる。
こうやって、付き合えたにも関わらず。

「郁?」

圭吾君に名前を呼ばれて我に返った。

「駄目だった?」
さっきまでの笑顔が不安気な顔に変わった。
いけない、いけない。
私は自分の不安を吹き飛ばすかのように

「駄目なわけないよ」
そう言って笑顔を作ったんだ。
その後の会話は正直全く頭に入ってこなかった。
笑顔を作る事に必死だったから。


そして、数日後。
「郁ー今日帰り、お茶していかない?」
桜に誘われたのだけど。

「ごめん、今日はちょっと」
そう言って桜の誘いを断ってしまった。

「圭吾君とデート?」
半ば呆れたような目で私を見る桜。

「違うよ。今日は会わないっていうかなんていうか……」
途端に目が泳いでしまう私って。
動揺しまくりだ。

「何を隠しているのかな」
だから、その横目で見るのはどうにかして! っていつも言ってるのに、桜はお構いなしだ。

「別に、隠すって程の事でもないんだけれど……」
内心穏やかでない私に。

「じゃあ、言っちゃいなって」
楽しそうな桜。毎度の事だけど結局私の口は開いてしまって。

「んーとっ。今日から圭吾君バイトなんだ。だからこっそり見てみようかと思って――」
段々小さくなっていく私の声。

「それいいじゃん! 私も行くからそれ」
桜の言葉は言わずと知れた決定事項。

渋る私の事なんてお構い無しで、ちゃっかり電車で私の隣に座っている桜。

「へぇ、わざわざ郁の駅でバイト探すなんて、あんた愛されてるね」
だからその変な笑みはやめてって言ってるのに。

「そうなのかな?」

「郁ってば、そうに決まってるじゃん」
桜は笑いながら私の背中をバシっと叩いた。
桜さん、非常に痛いです。

その本屋はとても広くて、きっと端っこのほうにいたら気が付かないと……思う。
私と桜はこっそりと本屋に入る事に成功し? 4つの目で店内をくるりと見回す。

いたいた。後ろ姿でも直ぐに解った。

私の小さな呟きと、追った視線で桜も気が付いたようで、少しだけ移動した本棚の間に隠れて圭吾君の様子を伺う。
傍目からみたらかなり怪しい2人組だ。

圭吾君は私達に気が付いていないようで、雑誌を綺麗に並べなおしていた。
「うん、やっぱりいい男は何をやっても様になるね」
なんて、一人呟く桜。

丁度その時、一人の女の子が圭吾君に話掛けた。
圭吾君とその女の子のやりとりは全く聞えなかったけれど、時折笑いあいながらとても楽しそうに話しているようだった。
胸がズキンとした。
圭吾君が他の女の子に微笑みかける姿なんて見たくなかったな。
自分から見にきたのに、矛盾してる。

桜は私の気持ちを察したようで、私の背中をそっと撫でてくれた。
小声で
「しょうがないよ、バイトなんだから」
そういう桜も複雑そうな顔をしていたのだけれども。

再びレジから圭吾君が遠のいた時を見計らってお店をでた。
「そんな顔しないって、ほらあそこのアイス食べに行こうよ」
桜は私の手を引っ張って、あのアイス屋さんまで連れて来てくれたけど。
私の気持ちは全く晴れなくて。 真夏を過ぎ、少し涼しくなったからかさほど待たずにアイスを手にした。
大好物を食べてもやっぱり気持ちは晴れなくて。
「やっぱり、嫌だな」
自然と本音が漏れた。
アイスの味は全くしなかった。

「そんなに嫌なら、郁も一緒にバイトしちゃえばいいのに」
桜は半分本気とも冗談ともいえることを言うのだったが。

「出来ないよ、そんな事」
本当に自分が情けない。

その後無言でアイスを食べ終わり、気落ちした気分のまま桜と別れ家へと向かった。

部屋に入ってからもあの楽しそうな圭吾君の顔が、うーん違うな。圭吾君とあの女の子の顔が浮かんでくる。
まだ初日だっていうのに私の気持ちはどんどん落ち込むばかり。
暫くしてから、メールが入った。
圭吾君だ。
「バイト終わったよ、今何処にいるの?」
きっと終わって直ぐにくれたのかもしれない。
いまだ、はっきりとさっきの光景が浮かぶ私は、折角もらったメールなのに、そっけない事しか書けなかった。

その晩もいつもだったら、お休みのメールを打つのにそんな気力もなくて。
違うな、打てなかったんだ。
もう少し落着いたらメールを打とうそう思っていたのに。
一人でいじけてやきもち焼いている自分が情けなくって、圭吾君は仕事をしていただけで全く悪い事をしていないのに。
自分が嫌になる。
結局返事は出せなかった。

中々寝付けなかったせいで、寝過ごしてしまった私。
慌てて着替えて家を出た。
当然、いつもの電車にも乗れなくって。でも良かったのかもしれない。昨日の今日で圭吾君に笑いかけるだなんて出来なそうだったから。
寝坊の代償は電車に乗り遅れただけでなく、携帯も持ち忘れるというおまけ付き。
何をやっているんだ私は。ため息しか出てこない。

とほほな一日の始まりだった。