電車通学

すれ違い
おいってマジかよ。
電車がプラットホームの端から消えて行くのを呆然と見送った。
確かにおかしかったんだよ、最近の郁は。
俺はバイトに浮かれて、っていうかその先の郁と出掛ける事ばかりが頭に浮かんで、気になりつつも良く話をしなかったんだ。

必ずといって良い程返ってきたメールも昨日は返ってこなかったし、朝のメールも。
おまけに、電車までいつもの場所に乗っていないなんて。
もしかして、俺避けられているんだろうか?
途端に背筋に冷たいものが……
俺から、郁が離れていくのか?
鳴らない携帯。
何度見ても、着信はないまま。
こんな事は初めてだった。


プシューというドアの開く音と降りてきた人にぶつかりそうになって初めて気がついた目の前の電車。
学校についても、意識は遠くに飛んだまま。
先生の声も真治の言葉でさえもあまり耳に入ってこなかった。
何度も確認してしまう携帯。
見かねた真治が俺の携帯を取り上げる。
「そんなに気になるなら電話すればいいだろ」
そういって履歴を見始める。
俺だってそうしたいよ。
だけど、メールの返信が返ってきていないのに……
「だってよお、郁ちゃん昨日疲れたって言ってたんだろ? お前がどうこうじゃなくて調子悪くて寝てたりするんじゃねえの?」
真治の言う事は尤もだった。
そっか、避けられているわけじゃないかも知れない。
考えつかなかった。何だか一人焦ってしまったようだ。
意を決して、電話を鳴らす。
郁の電話は8回程コールした後、留守番電話に切り替わった。

それほど調子が悪いのか?
その日はほんと、ポケットに入れた携帯を何度確認した事だろう。
結局、放課後まで郁から電話もメールも俺の携帯に届く事は無かった。

不本意だとは思うけれど、俺は携帯を取り出してあいつに連絡を取ったんだ。

「もっしもーし」
異常にテンションの高いこいつ。
「俺、浅野だけど」

「そんなの解るに決まってるじゃん、ちゃんと名前が出るんだから?」
ノー天気なその答え。俺はこんなに落ちているのに。

「郁の事何か聞いてる?」
この時俺は、風邪だとか熱だとかそんな答えが返ってくると思っていたのに

「郁? 聞いてなかった? 今日は委員会だからさっき教室出て行ったよ?」
俺の中で何かが崩れていった音がした。

「そっか、サンキュ」
それ以上何も聞きたくなくて、携帯の電源を落とした。
携帯の向こうでは、桜が郁が寝坊して携帯を家に忘れたと伝えようとしていてくれたなんて知る由もなかった。

「圭吾?」
だらんと垂れさがった腕の先の携帯を見て、真治は何かを悟ったのだろう。
何も言わずに俺の肩をポンと叩いた。
今日もバイトの日だった。
真治が心配してくれて駅までついてくる始末。
終わってるな俺。
別れ際
「元気出せよ、きっとお前の考えすぎだって」
なんて、真治に背中を叩かれたけれどどうしたってそんな風に考えられなくて。
頭の中では解っているんだ、真治が俺を励まそうとしてくれている事を。
だけど俺にはそんな余裕がなくて
「解ったような事言うなよ」
そんな事を口走ってしまった。
言った瞬間ヤバイって思った、それが顔に出たんだろう、真治は
「バイト頑張れよ」
ってそれだけ言うと、手を挙げてくるっと自転車の向きを変えて俺の視界から消えていった。

ガラガラの電車に揺られた。
このまま家に帰ってしまいたくなる衝動。
始めたばかりの俺にはそんな事は出来るはずもなくて。
結局改札口を通り抜ける。
さっき桜が言っていた、今日は委員会だと。
だからいるはずがないって解っているのにホームでも改札口でも郁の姿を無意識に探してしまう俺がいた。
バイト先への足取り重く、ロッカーにいって鞄を置くと書店のエプロンを身につける。
仕事は仕事だ。
そうは思ったのだけれど……。

「浅野君、体調悪いの?」
なんて声を掛けられてしまった。
固まった頬を釣り上がるように笑顔を作り、大丈夫です。なんて言っている自分。
滑稽だった。

どのくらいの時間がたったのだろう、時間の進みも解らない程ぼーっとしていたらしい。
本の整理をしている俺に影が落ちた。不意に見上げると昨日の女の子が立っていた。
昨日の今頃とは気持ちのモチベーションが全く違う俺。
いらっしゃいませの一言も出てこなかった。
そんな俺の顔を見て、一歩下がったその子は
「面白くて、一気に読んじゃいました……またお勧めを教えて貰おうと思って……」
尻すぼみの声で顔を赤くしてそう言っていた。

「当店は本マイスターがいますのでお呼びします。少々お待ち下さい」
マニュアル通りのお決まりの文言。
正直言って、本当は解る気がするこの子の好きそうな本が。
だけど、俺にはそんな余裕がなくて。軽く会釈をして、その子の前を通り過ぎた。
何か言いたそうな顔をしていたけれど見なかったふりをしてしまった。
その後、店長と何か話をしていたようだけど、今は郁の事で頭がいっぱいでその子がどうしたかなんて気にする事もなくて。

その後もただ黙々と本の整理をしていた。
もうすぐバイトも終わろうという時間、制服のズボンに入れてあった携帯が震えた。

もしかして、郁! 突然波打つように心臓がせわしくなりだした。
上がりの時間まで待つ事が出来なくて、店の隅のスペースで周りに人がいないのを確認してから、携帯を取り出した。
メール受信1件。開いた携帯の画面に書かれた文字。
郁でありますように。そう願いながら親指でその文字をクリックした。
そこには

――帰りに玉ねぎ買ってきて。母――
一気にクールダウン。
期待しただけに落胆は大きくて。
もう嫌だとばかりに電源を切ってズボンのポケットにねじ込んだ。


「お疲れ、もう上がりの時間だぞ」
柱にある時計を見るとシフト時間を10分過ぎた時間だった。

「お疲れ様です」
そう口にすると
「おう、本当に疲れているみたいだな。でもうちは客商売なんだから次からは勘弁してくれよな」
と店長が笑っていた。
ロッカーに入りタイムカードを押して、エプロンも外さずに、そのまま椅子にドカッと腰を下ろした。郁はもう家に帰ったのだろうか?考える事は郁の事ばかり。

俺何かやったのだろうか?
思い起こしてみるも、正直心当たりは……
何時までもここにいても仕方がない。エプロンを外して、鞄を手に取った。
店を出て、駅の改札口まで考えた。郁の家に行ってみようかと。
だけど、メールの返信がこない事が俺を避けているのかもなんて、マイナスな考えしか浮かばなくて、ヘタレ全開の俺はそのまま家に帰ってしまった。

「ただいま」
靴を脱いで家にあがろうとした時、奥から母親が顔を出した。

「おかえり、ありがとうね」

ありがとうね? 首を傾げる。

「圭吾。玉ねぎは?」すっかり忘れていた。

「今行ってくる」脱いだばかりの靴を履いて、自転車に跨った。