電車通学

突然だけど
何をやっているんだろう――

暗くなり始めたこの時間、たまねぎを買いに駅近くのスーパーへと自転車を漕ぐ俺。
その道すがら、仲良さそうに寄り添う2人組が目に入ってしまう。
慌てて目を逸らし、ハンドルを握る手に力が入った。


郁は俺を避けているのだろうか?
考えたくなくても、そう考えてしまう。
聞きたいけれど怖くて聞けない。
もし
――やっぱり駄目だよ、付き合えない――
郁にそう言われでもしたら。
マイナスな考えは渦のように何処までも俺について回る。
郁が俺から離れていってしまう?
そう考えるだけでおかしくなりそうだ。

不意に感じた、携帯の振動。
ポケットからくるその振動は多分母さんからだろう。
どうせ、追加の買い物とかだよな。
自転車を止める事なく目的地へと向かった。

色々な事を考えながら(って言っても皆、郁の事なんだけど)自転車を漕いでいたら、いつの間にかスーパーの前だった。
俺、信号とかどうしていただろう?
ここに来るまでには3つ信号があるはずなのに。
無意識って怖ぇ。

店の入り口付近には夕方の買い物客でギュウギュウ詰めの自転車置き場。
ざっと見渡しやっと見つけた隙間に自転車を押しこんだ。
店に入ると、丁度夕方の特売の時間だったようで、ワゴンの周りに人が群がっていた。
これのせいか。
さっきの自転車置き場を思い浮かべ、ワゴン中に我先にと手を伸ばすおばさん達を横目に通り過ぎると、 その先にあった棚から玉ねぎを掴みレジへと向う。
ふと思い出して、ポケットから携帯を取り出した。
後は何を買い忘れたのだろう。

何の気なしに開いた携帯。
飛び込んできたのは
「圭吾君」
と題した郁からのメールだった。
急に変な汗が出てきた。
大丈夫だと自分に言い聞かせながら、一度携帯を閉めると、手に取った玉ねぎを棚に戻し、店の外に飛び出した。

気を落ち着かせてメールを開くと。
携帯を忘れた事、寝坊していつもの電車に乗れなかった事。

そして……

画面を凝視して固まってしまった。
これ郁が書いたんだよな――
いつぞやの桜の悪戯を思い出すも、文面からみてもきっと郁に違いない。

顔を見れなくて淋しいよと綴られた文面にハートマークの絵文字。
直ぐ様、時間を確認して、俺は駅へと走り出した。

俺の方が会いたいって。
階段を上がるのももどかしく、降りてくる人々を避けながら一段ぬかして階段を駆け上がる。
早く会いたくて。
時間も遅いし、そんなに長い時間会えない事は分かっているけれどそれでも今、郁に会いたくて仕方が無かった。
サラリーマンの帰宅時間と重なるこの時間は俺の通学の時とは全く違う電車の混みよう。
普段では嫌でしかない混み合った車内や、何処からともなく漂ってくる、むさくるしいおっさんの匂いも郁に会うためだと思うと気になる事も無かった。
郁の住む駅に着くと我先にと電車を飛び降りて、ホームを駆け抜けた。
もう少しだから。
こんなに走ったのはいつ以来だろうか?
学校の授業だって、こんなに必死に走った事は無かったかもしれない。
学生服で走るのは正直きついけれど、そんな事は言ってられない。
郁の顔を思い描いて、走り続けた。
いつもの公園に着いた時には、汗びっちょりだった。
息を整えて、携帯を取り出す。

一文字一文字、文字を綴った。

――俺も会いたくて。いつもの公園にいるから、少しでいいから出てきて――

普段の俺は俺はこんな書き方をしたことがなかった。
時間大丈夫? 大丈夫だったら出て来てくれないかな?
そんな感じだ。
でも今は違う、駄目だなんて言われたくなくて。
こう書けば郁はきっと出て来てくれる。
そう考えて文字を打った。

返信が待ち遠しい。
あの時のベンチに腰かけ、ぎゅっと携帯を握りしめた。
向こうの道に行く近道みたいで、時折スーツを着た人が俺の前を通り過ぎる。
俺はじっと携帯を握りしめながら、その人達を恨めしく思った。
この人達は郁の近所に住んでいるんだなと。
それはどうしたってしょうがない事なのに、電車を乗らなくては会えない距離がもどかしくて。
待つ時間というものはこんなにも長いものなのだろうか。
ならない携帯をじっと見つめ項垂れる首。
たいして時間なんて経っていないにも関わらず、それも突然やってきたのは俺のほうなのに。
何をしても空回りをしているような最近の俺。
情けないよなぁ。
そう思った俺に影が落ちた。
項垂れた視線の先には、素足にサンダル。
ゆっくりと視線をはわすと、目の前には会いたくて仕方が無かった郁がたっていた。
郁も走ってくれたようで、息が少し弾んでいた。

照れたように笑って、後ろ髪を手で撫でつけた郁。
最近見つけた郁の癖。

「ごめん、突然」

「ごめんなんて言わないで、凄く嬉しいから」
郁はそう言うとまた髪を撫でつけていた。


何を話したらいいのだろう。会いに来る事でいっぱいだった俺の頭は上手く整理ができなくて。
少しの間の後、郁が俺の隣に腰かけた。

凄く嬉しいから
郁がそう言ってくれた事にほっとした。


「俺、郁に避けられているかと思って焦った」
思わず口を突いた言葉。
格好悪いにも程がある。

「ごめんね……避けるなんて……」
言葉を濁した郁。
もしかして、本当に避けられていたのか?
背中が固まり、手のひらに湿り気を感じた。

緊張が走った。


だけど郁の言葉は俺を飛びあがらせる程嬉しい言葉で。
昨日から、ずっと引っ掻かっていた胸のつかえが取れた瞬間だった。
もっとずっと話していたかったけれど、時間も時間だ、そう言うわけにはいかず。
ちょっとしたハプニングが切っ掛けで、帰る事になったんだ。

帰りの足取りの軽い事ったらない。
きっと気がつかないうちに鼻歌でも歌ってるんじゃないかっていうほど。

「ただいま」
機嫌良く、玄関を開けるとカレーの良い匂いがした。
にやけた顔を戻す為に一度冷たい水で顔を洗いリビングのソファに座った。

「圭吾、さぞかし高級なんでしょうね」
低い声が背後から聞こえた。

あっ、たまねぎだ。

すっかり忘れていた。
素直に
「ごめん」
と謝ったのだが、母さんの機嫌はあまりよろしくないみたいだった。
それだけではなく、後から食卓に着いた兄貴にまで散々突っ込まれてしまった。

玉ねぎの入っていないカレーは確かに物足りなかった。

反省とばかりに食器を洗っていたら

「圭吾はおつかいも出来ない子になっちゃったのね」
と母さんにちくりと言われて、何も言い返せない。

きっと明日父さんにも何か言われるんだろうなぁ。
横目でちらりとカレーの入った鍋を見てため息をついた。

全てを終えて、部屋に戻ると携帯を開いた。
さっきのメール。永久保存版だな。
何度見ても、ニヤついてしまう。

今日のメールは何と打とうか。
数時間前の俺が嘘のようだった。