電車通学

きてみれば2
待ってるね、なんて言ったものの……

ばっちり目が合ってしまった圭吾君のお母さん。ほほ笑んでみたつもりだったけれど、私上手に笑えているだろうか。 圭吾君はお母さん似かも、綺麗に通った鼻筋とかそっくり。思わず見とれてしまいそうになってしまった。

「コーヒーと紅茶どっちが好きかしら?」
聞いてくれた言葉に
「お構いなく、大丈夫です」
と答えた私
「あら、ケーキだけじゃ淋しいでしょ」
とにっこり笑ってくれたのもだから
「じゃあ、紅茶でお願いします」
と大きな声で言ってしまった。恥ずかしいったらない。またやらかしてしまった。どうやら私は緊張すると声が大きくなるという事を今更ながらに気がついてしまった訳で。
「じゃぁ淹れて来るわね」
今のほほ笑みは笑われたって事かもしれないと、どうしようもなくなってしまった。

圭吾君早く帰ってきてー。行ったばかりだというのに本当に私大丈夫なのだろうか。
「ごめんね、レモン切らしちゃってミルクティーで良かったかな」
キッチンからの声に
「はい、ミルクたっぷりのミルクティ大好きです」
なんて余計な事まで口走ってしまったり。
圭吾君と一緒にいる緊張とはまた違った緊張でいっぱいになってしまった。

「はいどうぞ」
目の前に出されたカップはとっても可愛くて。
「可愛いカップ」
とうっとりしてしまった。
「やっぱり女の子は違うわね」
なんてニッコリ笑ってくれて。
きっと私の顔は真っ赤に違いない。

「あっそうそう。この前ね見つけたのよ。引き出しの中にとっておきの一枚を」
そう言って何処からかあらわれた一枚の写真。

そこには、幼稚園くらいだろうか顔をクシャクシャにして泣いている圭吾君がいた。
今の圭吾君からは全く想像できなくて。それにしてもこんな泣き顔も可愛いなんてもんじゃない。
自然と顔が緩んでしまう。

「ね、傑作でしょ。これ、前はアルバムに挟んであったのだけど、圭吾がはがしちゃってね。捨てられちゃ困ると思って隠してたのよ」
その時の事を思い出しているのか圭吾君のお母さんの顔はとっても柔らかい表情をしている。
無性に思ったのは他の写真も見てみたいって事で。
そんな私の気持ちを察してくれたのか
「他のも見て見る?」
と悪戯っ子のような笑みを浮かべる圭吾君のお母さん。

私は間髪入れずに
「是非見てみたいです」
なんて言ってしまった。

圭吾君のお母さんは何だか無愛想な子になっちゃってね。なんて言いながら1冊のアルバムを持ってきてくれた。
そこにはまさにお宝の圭吾君がいっぱいあったわけで。
「この写真はね」
なんて説明を受けながら小さい頃の圭吾君の写真をいーっぱい堪能する私。
初対面の圭吾君のお母さんはとっても気さくな人で、笑うとやっぱり圭吾君に似ている。
ついさっきまでは圭吾君もいなくて大丈夫かななんて心配していたのに、アルバムの効果なのか会話も弾んでいる私達。
何より、どうしたものか圭吾君と一緒に居る時より緊張していないってどう言う事なんだろう。
不思議な感覚だった。
解ってる私? 今、他でもない圭吾君のお母さんと一緒なんだよ。
そんな事をちらっと脳裏に浮かべてみるも、やっぱりどうしてか、圭吾君と2人っきりの緊張にはならない訳でして。

「そうそう、ケーキも召し上がれ。って郁ちゃんが買ってきてくれた方だけどね」
なんてウインクを頂きました。こんな感じだからなんだろうか? それにしても圭吾君のお母さん可愛すぎです。

フォークで一掬いして口に入れると、それはもう絶妙な甘さで。喉の奥からごっそりと唾が……。
最高に美味しいケーキだった。
その時ふと圭吾君が言っていたいた事を思い出した。

「圭吾君のお母さんはお菓子を作るの上手だって聞きましたよ」
と話掛けてみると
「あら、圭吾そんな事言ってたの? 私には上手だなんて言った事ないけれど。そうね、最近は作ってないかな。張り合い無くて。あっ郁ちゃんがまた遊びに来てくれるのだったら張り切って作っちゃうわよ」

「いいんですか。是非お願いします。うわー楽しみだな」
そこまで言って気が付いた。圭吾君に断りもなく遊びに来るなんて言ってしまったと。
今日だって学生服を取りに来るっていう名目なのに。 図々しくも遊びに来るだなんて調子に乗り過ぎたのかもしれない。
ちょっと心の焦りが出てきたその時。

「ただいま」
と圭吾君が帰ってきた。
息が切れているのは相当急いで来たのだと思う。
うっすらと光る額の汗。無意識にだろう腕で拭ったその仕草。
ドキッとした。

そんな圭吾君を直視出来なくて。
「お帰りなさい」だなんて言葉にもちょっと照れもあったり。

そしてアルバムに気が付いた圭吾君は私の目の前のアルバムを閉じてしまった。
まだ、幼稚園だったのに。すっごく残念なんですけど。そんな事を考えている私の頭上で繰り広げられる漫才のような2人の会話。つい「可愛かったよ」なんて余計な口を挟んでしまった。
すると、圭吾君はお返しとばかりに

「今度は郁の見せて貰うからね」
なんて。これには私の方がちょっと焦ってしまった。聞かなかった事になるかな? なんて甘い考えは通用しなかった訳で。圭吾君のお母さんが席を立った時、私の耳元とびーっきり優しい声で囁かれた。

「約束だからね、郁のアルバム」って。
「見せなくちゃ駄目?」って言ってみたのだけど

「うん、駄目」
ってこれでもかって笑顔で返されてしまった。
そんなこんなで頭がテンパリ始めた私に更なるテンパリがやってきました。
流れる動作で私のケーキがお盆に乗せられて。私、圭吾君に腕を引かれているし。

「あら、もう行っちゃうの? もっと……」と言う事はやっぱりそうだよね。
みるみる間に学生服を手に持たされて、圭吾君ってば先に行っちゃったよ。

「あっじゃあすみません」
慌てて頭を下げると、圭吾君のお母さんまたもやウィンクしているし。
初めの緊張は何処へやら、とても自然と笑える私がいた。
背を向けた私に小さな声で
「宜しくね」と声を掛けられて、ちょっと驚いたりして。私まで小さな声で
「こちらこそです」と訳のわからない返事をしてしまった。
もう一度お辞儀をして、圭吾君の後を追った。

圭吾君は階段の途中で待ってくれていて、笑顔で迎えられた私はドキンと心臓が跳ね上がった。
そして「ここだから」って。

どうする圭吾君の部屋だよ。今日の私の脈はきっと最高記録を達成するに違いないと確信。

「お邪魔します」
だなんてちょっとおかしい言葉の後、思わず部屋を入る時に息を止めてしまったり。
目の前に広がるこの空間は紛れもない圭吾君の部屋。
あんまりじろじろ見ちゃいけないって思うけれど、見てみたい私がいて軽い混乱状態。
圭吾君に進めてくれた床の上のクッションに腰かけても、上手に呼吸が出来なくて。
思わず大きなため息のような息をひとつ――。

た、ため息じゃないから、慌てて圭吾君をみると丁度同じように大きく息を吐き出すところだった。
その顔が何とも困ったような顔で、きっと私も同じ顔をしているに違いない。
二人一緒に噴き出してしまった。

「だって、緊張したんだもん」
つい口にしてしまった、勝手に動かないでよ私の口。
頬がかーっと熱くなった。

「ごめんな、あんな母親で」
どうやら、圭吾君は大きな勘違いをしているようで。
私が緊張しているのは圭吾君あなたのせいなのですけれど。それもあんな母親って、凄く優しいお母さんだったよ、そうこの勘違いも解かなくては。
私はブンブンと首を振って
「ち、違うのそういう意味じゃなくって。素敵なお母さんだね」
って言ってみたけれど、上手く口が回らなくて思いっきり動揺しているみたいでフォローも何もなってなくて。話題を変えようといろいろ話掛けてみたけどフォローになったかどうだか微妙だったり。

そして、ちょっとだけ会話の開いた次の瞬間、徐に学生服にかかったクリーニング屋さんのビニールを剥がしながら、圭吾君が爆弾発言を繰り出した。

な、なんですと、ここで学生服を着て見ればですと!
圭吾君は私の前に学生服を差し出しているし。とーっても迷うというか恥ずかしいのだけどここで断る勇気が無い私は言ってしまったよ。

「ちょっとだけ着てみようかな」って。


そっちの方が勇気いったんだと解ったのは、学生服に袖を通す時だった。