電車通学

上の空2
家を出る直前まで、必要以上に何度も畳み直した圭吾君の学生服。
皺にしてなるものかと、目下満員電車の中で格闘中だったり。スピードが落ちて、電車がホームに滑りこむ。いつもだったら、あの場所に圭吾君が立っているんだよな。体育祭の準備の為に30分早い登校時間が恨めしい。
いつものようにちょっとだけ出来たドア横のスペースに身体を入れて、反対のホームをじっと見つめた。

そう言えば初めて圭吾君を見た時はこの学生服を着ていたんだよな。
この手の中にその学生服があるだなんて。
圭吾君のいないホームが段々と遠ざかっていくのを見ていると、鞄を抱く手に自然と力が籠った。
たかが学生服、されど学生服。
ちょっぴり圭吾君と登校しているみたいな気がしたりして、怪しい妄想をしながらの学校への道のりは、とっても足が軽かった。

「郁おはよう。ちゃんと学ラン持ってきたでしょうね」
教室に入るなり、桜は意地悪そうな笑みを浮かべてる、解っている癖に。
桜は手元の鞄からゆっくり私の顔に視線を上げて満足したようだった。
ふっと笑って、再度私の顔を覗きこむ。きっと私の顔は赤いと――うん、赤いに違いない。

「早く見てみたいな、郁が着てるところ」
桜の言葉で私の顔はまた沸騰。着る前からこれだから桜は怖いんだ。

段々と教室に人が集まってきた。
やっぱり体育祭とあってか、みんなそわそわしているみたい。
それもそのはず、この体育祭で我がクラスが優勝したら、担任がご褒美をくれるっていうんだから。
そのご褒美がなんなのかは謎だけど、何だかみんなノリノリで、高校生にもなってこんなに体育祭が盛り上がるって、他の高校とかでもそうなのだろうか――。
そして私はまた妄想が。見た事も無い圭吾君の体育着を想像しちゃったり。

「郁、みんな着替えに行くって」
そう桜に話掛けられるまで私の妄想は続いていた。
机の上に学生服を入れた鞄を置いて、体操着に着替える為に教室を出た。
さあ体育祭の始まりだ。

朝から陽ざしの強いのなんのって。
校長先生、張り切っているのは解るけど、何もしないうちから倒れそうなのですが。
場の空気を読みとって早く話を終わらせてくれないかな。きっとそう思っているのは私だけではないはずだ。
朝礼台の上に立つ校長先生のやけに広い額には玉のような汗が。校長先生だって顔が真っ赤だよ。
そんな校長先生がポケットから取り出したハンカチで三度汗を拭った後、やっとこ朝礼台を降りてくれた。
私は、周りのみんなを始め、担任までもがホッと息をついたのを見逃さなかった。
それからの開会式の早い事。
あっという間に解散となって、全校生徒ちりじりになってクラス席へと戻ってきた。

いつもとちょっと違う緊張の体育祭。
「郁、ちゃんと応援してよね」
鉢巻を片手に桜が、軽く跳躍を始めた。
凄く絵になるんだよね。

中学時代の桜を知らないけれど、きっと速かったのだろう。実際、そんな話も誰かに聞いた事がある。
体育の時は本気で走らないから。
いつしかみた、校庭を見つめる桜の目。きっと陸上やりたいのだと思う。
そんな事を思っていた私の前でどつき漫才が始まった。

――お前そんなに気合入れて、引きずって行く気じゃないんだろうな――
――あんた重たいんだからちゃんと足あげなさいよね――

桜が大山に体当たりをしてるけど、びくともしない。
じゃれてるようにしか見えないんだけどね。きっと、周りもそう思ってるに違いない。
二人は一緒に二人三脚に出る為に、じゃれあいながらスタート地点へと向かっていった。
私が声を掛ける隙が全くなかったよ。

競技はというと――
スタートこそ、躓いたものの二人の追い上げは凄かった。っていうか大山の迫力に圧倒されたって感じかな。それにそのスピードについていく桜も凄い。
桜って足が長いんだよ、背丈の違いがあるはずなのに大山と足の長さが…… これは内緒にしておこう。
大山が桜にいじめられそうだから。

向かった時同様、何やら言いあいながら二人が戻ってきた。
先生のご褒美に一歩近づいたって事でクラスのみんなからハイタッチで迎えられる二人。
凄く楽しいって顔してる。
そんなこんなで、一つ一つ競技が進んでいく、我がクラスは目下隣のクラスと首位を争っているところだったり。

私はというと障害物リレーでは平均台で転びそうになるものの必死で首位をキープ。
パン食い競争に至っては、吊るされるパンの位置が高すぎて、首がどうにかなるかと思ってしまった。
結果はビリ、クラスに貢献できなかったけれど、誰に非難される事もなく、反対に真顔でジャンプしている顔が面白かったとみんな笑顔で迎えてくれた。
そんな申し訳ない結果だったけど、私にとって小腹がすき始めたお昼前にパン食い競争をしてくれたことはとてもラッキーだったりして。

そしてそして、とうとうやってきてしまったこの時間。
学生服を羽織るだけの女子と違い、カツラをかぶりメークをまでもしなくてはいけない男子はそうそうに着替えに行ってしまった。普段は無骨な男子がチアリーダーの格好なんて想像しただけで、噴き出しそうだよ。
っと私にはこんな余裕なんて何処にもないんだった。
既にこの大事に持ってきた袋を抱きしめてはいるものの中々袖を通せないでいる。
隣のクラスの子はもう既に着替えが終わって改めて鉢巻をしめなおしていたりするんだけど。
そんな私の気持ちを察したのか、桜がひょいとやってきた。

「そんな気にする事ないんじゃない? たかが服だって思って着たらいいじゃん。それより郁顔赤いよ? 照れと暑さもあるだろうから、水道行って顔洗ってきな。ついでに向こうで羽織ってきちゃいなよ。それにね、郁が思うほど、周りは気にしてないから大丈夫。ほら行ってきな」

捲し立てられるように桜に言われ、背中を押されると私は水道へと足を踏み出した。
周りは気にしてないって、そんな事解ってるっていうの。独り言を呟きながら、水道の蛇口を思いっきり捻って顔を洗った。
少しだけ火照りが収まったみたい。

そうだよ、変に気にしているのは私だけなんだよ。いろいろな思いで複雑のは確かだったり。
それは圭吾君の学生服に袖を通すって照れも大いにあるのだけど、どうしたって、あの日の事を思い出してしまうから。
えいっと袋に手を入れて学生服を取りだし
そのまま一気に袖を通した。やっぱり圭吾君の学生服は大きくて、手首も出てこない。
裾だってそうだ。太ももの半分近くまで覆っている。
やっぱり何だか恥ずかしくって、校舎の影で一人立ちつくしてしまった。
すると直ぐに校庭がどっとわいた。
着替えに行った男子がみんな校庭に戻ってきたのだ。
軽く息を整えて、クラスの輪に戻っていった。
みんなチアガールに注目していたから、私が着替えたなんて気がつかれないなんて思ったのは甘かったみたい。
大きすぎる圭吾君の学生服は妙に目立ってしまったらしくてクラスの中でもお調子者の村岡が私に声を掛けてきた。

「佐伯、なんか暑そうだぞ、何なら俺の短ラン貸してやったのに」と。
その声で、注目を浴びてしまった。

「馬鹿だな、村岡。郁はその学ランじゃなきゃ駄目なんだって。何処をどう見ても綾南の校章じゃないでしょ」
助けてくれたのか、煽られたのか真意は明らかじゃないけれど、余計に注目を浴びてしまっているのは確かかも。
桜ってそういう奴なんだ。穴があったら入りたかった。
そんな私を助けてくれたのは他でもない大山だったりする。

「これ凄いきついんだけど」
目の前にやってきた大山の格好は酷かった。
全身パツンパツンのチアガールならぬチアボーイ。
スコートの下に履いた短パンが殆ど見えてるって何処までミニなんだろう。
私からの注目が逸れ、感謝するところなんだけど、どうしても笑いを耐える事が出来なくって皆と一緒に笑ってしまった、なんて恩知らずなんだ。

そして、応援合戦。
大山の存在あってか、私達のクラスの番になると、校庭いっぱいにどっと笑いが。
姿はどうであれ、大山の良く通る声での声援は圧倒されちゃうほど。
我がクラスの応援合戦は上々の仕上がりだった。

改めて見る男子の格好がおかしすぎて、応援合戦が終わっても盛り上がる、盛り上がる。
圭吾君の学生服を着ている事を一瞬忘れてしまうくらいみんなと一緒に笑っていた。

カシャ、となった携帯の写メの音に振り向くと、満面の笑みの桜がいた。
「似合ってるじゃん、記念に一枚ね」
そう言われて、未だ着たままの学生服に気がついた。
私とした事が。
桜が次のターゲットである大山のところに向かうと、私は学生服のボタンにそっと手をかけた。
学生服を脱ぐと背中に大量の汗を感じた。そりゃそうだ、この炎天下、所謂冬服を着ているのだから。
みんながいる手前、匂いなんて嗅げないけれど、きっと汗臭くなってるんだろうな。
急いでクリーニングに出せば大丈夫かな。そんな事を思いながら、朝同様丁寧に畳んで袋にしまった。

そして――応援合戦の盛り上がりの雰囲気そのままに臨んだその後の競技は騎馬戦に、クラス対抗リレー。
接戦をものにした我がクラスは、見事総合優勝という快挙をなしとげたのだった。