電車通学
兄の呟き
「ただいま」
玄関で声を掛けるも返事がなかった。
母さんいないのか?
そう思ってキッチンを覗くと、妙に機嫌が良さそうに鼻歌まじりで料理をしている母さんがいた。
作っているのはこれまた手の込んだビーフシチュー。
母さんのお得意の料理の一つだけどこれを作るときは何かの記念日やいいことがあった時だ。
それにしても、今は夏だぜ。
このくそ暑いのに何でまたシチューなんだよ。
何があったんだ?
母さんがやっと俺に気が付いて振り返った。
「あら、優真帰ってたの? ただいまくらい言いなさいって」
口ではそんなことを言っているけどご機嫌なのは変わらないらしい。
「言ったよちゃんと。それよりこれは何のご馳走なわけ?」
不機嫌さを出さず聞いてみた。
「それはね―内緒だよ」
ふふっと笑う母さん。ちょっと恐いんですけど。
「そのうちに解るわよ」
そう言うとまた鍋をかき回し始めた。
また鼻歌の再開だ。
ちょっと音程のずれたその歌は確か……
青い三角何とか、一昔前いや三昔前の青春ドラマの主題歌だったらしい。
さっぱり意味が解らなかった。
自分の部屋に入りベットに寝転ぶ。
今日みたいに暑い日は冷やし中華が食べたかったんだけどなぁ。
また外に出るのも面倒だし。
今更だよな―
汗を流しながら頂くことにしますか。
喉が渇いたのでアイスコーヒーでも飲もうかとキッチンへと。
いったい、いつから煮込んでたんだ?
すっかり料理を終えた母さんがちらちらと時計を見ていた。
”もしかして帰ってこないってことはないわよね。”
一人呟いていた。
「帰ってこないって? 父さんが?」
聞いてみたら
「うおっ。優真か、驚かせないでよ。圭吾よ圭吾」
そう言ってまた時計をちらりと。
「圭吾がどうした?」
聞き返すと
何か考え込んだ後
「あーもう黙ってられない! それがね今日女の子から電話があってね」
思い出し笑いですか? 母さん。
「女の子からって圭吾には良くあることじゃん。」
そう、昔から圭吾には女の子から電話が掛かってきたのだ。
でも圭吾はちっとも嬉しそうではなく、残酷なんじゃ思うほど”あっけなく”というか”そっけなく”電話を切ってしまうのだった。
「それが違うのよ! いつもとは。」
また思い出してるな、にやける母さん。
「じゃあ、涼子ちゃんとよりがもどったんじゃない?」
そう圭吾にしては珍しくたまに笑いながら会話をしていた子が一人だけいた。
結構可愛かったしな。
「違うわよ、涼子ちゃんだったら私だってわかるわよ。初めて掛けてきた子よ。あんたにも見せたかったわ、あの時の圭吾の顔を。そりゃあもう必死になって!我が子ながら応援しちゃったわよ。」
母さんの言葉に耳を疑った。
圭吾が必死?
あの本ばっかり読んでて他の事にあんまり興味を示さないあいつが?
どうもぴんとこなかった。
「そうそうその顔。私だってそんな顔してたと思うわよきっと」
ふーん、それはそれは非常に興味がありますね。
俺は2階へ上がることも忘れて母さんと2人リビングでコーヒーを飲んでいた。
会話のとまったその時。
玄関を開ける音がした。
「ただいま」
その声にがっかり肩を落とした俺と母さん。
「「お帰り」」
ちょっと低めのトーンで声が揃った。
「何だ2人共、そんなあからさまに嫌な顔しなくても」
父さんはちょっと不機嫌そうにそう言った。
「ごめんごめん。お帰りなさい」
母さんはそう言って父さんからかばんを預かり2人で2階へと上がっていった。
着替えを済ませ下りてきた父さんは至って普通だった。
と言う事は父さんには話してないんだろうな。
改めて席についた父さんに
「お帰り、今日は早かったんだね」
と声を掛ける。
すると父さんは
「ああ、何でも久しぶりにビーフシチューを作るからと母さんからメールがあってな」
新聞に目を通しながらぽつりと話した父さん。
もしかして! わざわざ父さんにメールで知らせたんかい?!
でもその疑いは次の一言で消え去った。
「それにしても、今日は何の日なんだ? 結婚記念日でも誰かの誕生日でもないよな。お前心あたりないか?」
父さんは小声で聞いてきた。
そりゃあそうだろ、父さんにとったら??? だらけだよな。
ちょっとビクビクしてるとみた。
「いや、そういう気分だったんじゃないの? 記念日とかそういうのじゃないから。…きっと」
そう父さんにいうと少しだけホッとしたようだった。
何処に行ったんだか圭吾はまだ帰ってきていなかった。
もしかして、今日は失恋記念日になったりして………
意地の悪い妄想が頭の駆け巡った。
圭吾に悪いなと思いつつもそんなところも見てみたかったりして。
そうこうしているうちにまた玄関で物音がした。
今度こそ圭吾だ!
一瞬母さんと目が合った後、俺は席から立ち上がり玄関へと向かった。
無論、今まで圭吾を出向かいに玄関なんぞに出ていったことなどなかったのだが。
母さんから話を聞いて、いらぬ妄想が駆け巡ったせいか、いつもはすました弟のちょっと違う顔を拝んでみたいという気持ちになったのだ。
下を向きながら、
「ただいま」
と反射的に言葉を発して靴を脱いでいる圭吾。
靴を脱ぎ玄関のあがりばなに足をかけ振り向いた顔はニヤケた顔だった。
俺が固まったのは無理もない。
そして―――もっと固まってしまったのは圭吾だ。
まさか俺がこんなところに立っているとは思いもしなかったんだろうから。
動揺したんだろう圭吾はいつもより少し高い声で
「悪い兄貴、服借りた」
それだけいうと階段を上がり始めた。
圭吾の顔は赤かった。
こんな顔が見れるとはね。
俺の服を着た圭吾。
あの服は俺の一番お気に入りの服だったりする。
雑誌に載っていたのを一目ぼれしてわざわざ買いにいった服だ。
圭吾に見せた時は何の興味も示さなかったと思ったのだが。
それにしても悔しいのはその服が俺より似合っているという事だった。
そして、テーブルに着き圭吾が来るのをみんなで待ったりして。
4人で食事をするのは久し振りだった。
程なくして圭吾も席に着いたのだが。
すでに着替えていて、洋服と共に顔の表情もいつもと同じになっていた。
違うのは、他の話をしながらもとてもテンションの高い母さんだけだった。
圭吾は居心地悪そうに手早く食事を終えると、食器を片付け部屋に戻ろうとした。
その時
「今度、家に連れてきてね♪」
今まで全くその話題に触れなかった母さんが爆弾発言をした。
3人の目が圭吾に向けられると、一瞬のうちに顔が赤くなった圭吾。
そして
「そのうちな」
そういって自分の部屋に戻っていった。
母さんは
「きゃっ」
と女子高生のような声を出した。
俺と父さんは目が合い暫しの沈黙。
母さんだけが鼻歌しながらテーブルの上を片付けはじめる。
「圭吾が照れてたぞ」
父さんがぽつりと呟いた。
我が家にとったらビッグニュースだったりして。
これで暫く遊べるかもな。
楽しくなってきたぞ〜
それにしてもどんな子なんだろう?
圭吾にあんな顔をさせる子って。
そのうちかぁ
さっきの圭吾の顔を思い出しまたにやけてしまう俺だったのだ。