電車通学

大山の呟き

入学して初めての中間テストの時だった。

間違えてしまったところを消しゴムで消していたら、手が滑ってしまって。
使い込んでカバーも剥し、角も丸くなった消しゴムは無情にも3列前まで転がっていった。
それを俺はスローモーションでも見るようにその行方を目で追っていた。

消しゴムが落着き、顔を上げて先生をみるも先生は窓の外を眺めていて、どうしたのもかと考えていたときだった。

左隣からすーっと出された消しゴム。

その消しゴムは真新しい消しゴムを2つに割ったものだった。
テスト中という事もあり顔を見ることも出来ずに消しゴムだけをそっと手に取った。

テストも無事に終わり改めて隣を見ると話たことのない女の子だった。

ありがとう

そういって消しゴムを差し出すと

「いいよ。良かったら使ってね。」

そう言って微笑んだ彼女。
俺の心臓がトクリと波打った瞬間だった。

「サンキュウ、助かったよ。」
もう一度お礼を言い、その消しゴムを筆箱にしまった。
彼女は
「いいって事よ〜」
と笑いながら席を立っていった。
好きだという自覚は無かったものの、それから何となく彼女を目で追ってしまう自分がいた。

今まで野球一筋だった俺は女の子にはあまり見向きもしなかった。
俺の視界に映る彼女は、表情がクルクル変わるんだ。
嬉しかった事、悲しかった事顔を見ていれば一発で解った。
元々キャッチャーという守備がら相手の顔をみるのは得意な方なのだけれど、それだけではないんだろうな。
冬に近づいた時には自分の気持ちにもはっきり気が付いていた。

そうして、春になりクラス替えが行われる日。
教室のドアを潜り抜けた後、彼女の顔を見つけた時には心の中でガッツポーズをあげてみたりして。
その頃から、俺の視線にもう一人入る奴が。

彼女の親友。

こいつは、クラスの中でも一味違う奴で。
あの何もかも解ってますというような見透かされた眼。
何よりもの凄い眼力があるんだ。

目が合うとまるで”何でもお見通しよ”とばかりにこちらを真直ぐに見据える。

暫く、彼女を目で追うことを意識して避けていた時期もあったりした。
それなのにどうしてか、こいつとは目があったりするんだよ。
それでもって、どうでもいい話を振ってきたりもするときた。
苦手意識を持ってしまったせいか、無口な俺はさらに無口になったりしてしまった。

そんな中、クラス替えをして初めての席替えがあった。
俺の隣は偶然にも彼女の席だった。

運命かもしれない、なんて女みたいな事を思ったのも束の間。
ある日を境に彼女は変わり始めた。

隣の席にいた俺は彼女のため息や、独り言を間近でみるようになった。
嫌な予感が胸を過ぎった。
何日か後でそれは的中してしまう。

人も疎らな昼休み。
自分の席に腰掛る。
彼女は親友の元で話に興じている。
かすかに聞える楽しそうな笑い声。
ため息をつく彼女とは裏腹にとても楽しそうだった事にほっとする。

そして、あの一言が俺に突き刺さった。


「郁が一目ぼれとはね、今日は眼鏡君に会えた?」


他の会話は全くと言っていいほど聞き取れなかったのに、彼女の親友が放った言葉は
俺の耳にダイレクトに届いた。
言葉が耳にこだまする。

思わず彼女の顔を見てしまった。
ほんのりと顔を赤く染め、頬を膨らませながらも幸せそうに笑う彼女。

本当のことを言うと、あのため息の付きようから何か声を掛けようと、何日か前からそう思っていたのだが
俺の出る幕はないんだろうな。
俺は、それ以上その場にいられなくなって、昼休みも後僅かだというのに教室から出てしまった。

あの目が追っているような気がした。

それから、彼女は相変わらずため息を吐くものの、以前とは違い窓の外を眺め微笑むことが多くなった。
もう諦めなくちゃだろうな。

何を想っているか、またもや幸せそうな顔をしている彼女。

「極上のいいことあったって顔してるぞ」
黒板を見つめ口にだした

「ちょっとね」
彼女はそう言ったのだがちょっとじゃねえだろ、なんて。
そして俺なりのけじめをつける為に、ノートの端に書いてみた

「一目ぼれしたって?」と

彼女は一瞬驚いた顔をした後

「秘密だよ」

と俺の書いた字の下に書き込んだ。
秘密ってバレバレじゃん。

自分の気持ちを伝えられないなんて情けないよな
と思いつつ、最近の彼女の幸せそうな顔を見る度にこれでいいんだよな。
と思う俺もいる。

そのうちに彼女は彼が出来たと噂が広まった。
あの顔見れば誰となんて聞くのは野暮だろ。
眼鏡君か。
顔も、どんな奴かも知らない。
でもきっといい奴なんだろうな、そうであって欲しい。
もうあのため息は聞きたくないからな。

テスト休みに入ったある日、駐輪場であいつに会った。
「よう」
と声を掛けると
「よう」と返ってきた

「お前さぁ」
話掛けてみたのだが一瞬、躊躇してしまった。

それに対して、こいつは動じないというか、なんと言うか

「何?」
たった一言そう言ったのだ。

「お前あの時、わざと俺に聞えるように言ったんだよな」
別に責めてる訳じゃない。俺の気持ちを見透かされていたのかを知りたかったから。
そんなに解りやすかっただろうかと。何時、何の話とも言わずに話し掛けた俺。”何のこと?”と言われればそれまでだけれど。
すると

「だとしたら」

だとしたら――と返ってきた。
予想外の返事だった。

「ん〜まあ、今となったらありがとうな」
少しだけ心残りの感もあるのだが、そう思えるのは確かだった。
俺の言葉に、先ほどまでのクールの顔は何処へやら、こいつは不思議そうな顔をして俺を見ていた。

本当はここまで言うつもりじゃなかったけれど、勝手に口から

「俺には、あんな嬉しそうな顔はさせてやれなそうだからな。凄い幸せそうに話してるかさ。」
そう言っていた。

「だね。」
どうしてこいつはこんな返し方しか出来ないんだ?まあ俺も似たようなものだけど。
でも、その短い言葉には、彼女の幸せそうなという言葉に対しての肯定が入っているわけだからな。あまり話していると、また何かを見透かされそうで、俺自体も何か口走ってしまいそうで。

「じゃあな。」
といってその場から立ち去っていた。

それにしても、なんか恐い奴だよな。
相手の先を見るというか、多くを語らずに目でものを語るというか――

絶対男だったら、野球に誘うな。
あいつはキャッチャー向きだ。いや、俺の考えを読むのだからピッチャーか?
そんなわけの解らないことを考えながら自転車をこいだのだった。