贅沢な願い事

楽天家
「よっお疲れさんってほんとに疲れた顔しているね〜」

そう言って俺の隣に立つこいつ。

「おう」
そんな短い言葉しか出てこなかった。

目的地へと到着すると
「なに辛気臭い顔してるのよ、仕方ないから付き合ってやるよ」
と思いっきり背中を叩かれて、エレベーターから押し出された。

「美佐子ーっ、今日呑み行こう、根本が奢ってくれるってよ〜」
既に人気の無いフロアに響く大きな声。
その声の主は、ちらりとこちらを振り返り、小さな赤い舌がちろりと見せた。

冗談じゃない、なんで俺がおごらなくちゃいけないんだ。
そうは思う反面、こんな日は呑まなくちゃやってられないよなと考え直す。

幸い、今日は金曜日。とことん付き合ってくれるならば少しくらいは多めに払ってもいいかもしれない。
デスクに戻り、日報を手早く書いて既に空っぽの上司の席に提出した。

俺の隣の席では、何やらひそひそ声。
尤もこの寂しいオフィスでひそひそ声をしたって筒抜けなんだが。

「やっぱり、絵になる2人だよね、課長と椎名。いいなぁ課長の私服って何だろう、確か野球してたよね。ユニフォームとか着て、お弁当持って草野球とか行っちゃうのかな」

うちの会社でも切れ者で通っている課長。年は俺の3つ上、野球をしていて身体が大きい。
椎名のタイプって、それいうなら、好きな相手だろうが。でもまあちょっとドキドキして楽しかったかもしれん。これで心おきなく木内を……と思うとそれはそれで良かったんだよな。と変な安堵もあったりした。

「木内と中井はもう終わったのか?」
気を取り直して、声を掛ける。

「私は、大丈夫だけど、美佐子はどう?」
俺らの視線が木内へと向かう。

「ほい、ほい、ほいっと」
木内はそう言って、パソコンの電源を切って立ち上がった。
バレッタで止めた髪の下に見えるうなじが、とても綺麗だった。
やっぱり、木内だよな。そんな風に考えられる俺って楽天的だよな。

俺と中井は木内に腕を取られ、オフィスを出た。
俺達が最後だったから、出口でパチンとスイッチを切ると非常用の明かりだけが小さく灯る。

エレベーターに乗ると先程の椎名の顔がちらついた。
「今日はとことん呑むから覚悟しろよ」
と俺は息巻いた。

商店街を通り、一本入った路地裏に俺らの行けつけの店がある。
小じんまりとしているが、結構人の出入りは多く待たなくては入れない事も暫しある。
暖簾をくぐると

「いらっしゃい」
と店の奥から、テーブルを拭くおかみさんの声。
良いタイミングだったらしい、そのテーブルへと案内された。

「いつもの、それと生中3つ」
俺達が来ると頼むものはいつも一緒だ。

店のおまかせメニューと初めは生中。
直ぐに、グラスの注がれたビールとお通しがやってきた。
キンキンに冷やされたグラスは、薄く霜が張っていて真っ白だ。
おかみさんのいれるビールの塩梅はばっちりで、クリーミーな泡が見た目にとても旨そう、自然と喉を鳴らさせる。

「お疲れー」
とグラスを合わせ、半分程一気に喉にかきこんだ。
ゴンとテーブルにジョッキを置いた時に感じた微妙な違和感。

それは、木内のビールの進みだ。
負けず嫌いの性分もあるのだろう、木内は男になんか負けないよみたいな感じで、初めは豪快に呑むのだが、今日はほんの一口、口にした程度。

もしかして、体調でも悪かったのだろうか? 昼まではそんな事なかったよな。

その時、机の上でブルっと木内の携帯が震えたと同時に、ダースベーダーのテーマ曲が。
木内の眉間に皺が寄った。
いつも会社ではマナーモードにしている木内の携帯。着信の音を聞いたのは初めてだった。
過去呑んだ時だって、そんな着メロは聞いてないよな。はてなマークが飛び交う俺の頭。
見れば中井が木内の腕をつついていた。

仕方なしといった感じでパタリと携帯を開きメールを確認した木内。
一瞬、顔がニヤついたかと思ったのだが、また眉間に皺を寄せる。

どうも、読めない。そのメールが気になって仕方がなかった。

それから、どの位たったのだろう、俺と中井がおかわりをして、やっとこ木内が一杯呑み終わる頃、ガラッと威勢よく空いた入口のドア。店は満員で席は無いというのに、ずんずんと中へ入ってくる2人の男。男の俺から見ても、あんまりお目にかかれない程の良い顔を持った2人組だった。そいつらは、真直ぐこっちに向かって? 俺達のテーブルの前でピタリと止まった。

「美佐、見ーつけ」
美佐だと?! こいつら木内の知り合いか?

「ほれ、俺の集合無視してんなよ」
そう言ってニヤリと笑うこの男。一体お前は何なんだ。

「何でここまで、きちゃう訳」
その言葉を皮切りに、漫才でも見ているかのように、ポンポンと飛び交う言葉の応戦劇。
何て言うか、入る隙間がないうえに、言葉の見つからない俺はただ呆然と見上げるばかりで。
そのうち、木内が後ろの男に向かって目配せをすると、そいつが木内の肩に手を置いた。っておい立ち上がるってか?

中井は、どうも2人の知り合いらしく、笑顔で何やら話していると
「いってらっしゃい」

と木内の背中を押しているじゃないか。

「悪い、ごめんね。ゆっくりしてってね」
木内はそう言って、夏目さんを3枚、テーブルに置くと両腕をそいつらに取られて、店を出ていってしまった。

今日は厄日なのか? 

いくら俺だって解るぞ、さっきの木内の顔は口ではぎゃあこら言っていても、まんざらでもないって事を。そこまでいきついて中井の駄目押しの一言。

「美佐子の本命は、あの後ろにいた方ね、相変わらず2人共、良い男だったわ」
と。

俺のアフリカへと馳せる思いは何処に行ったのだろう。





効き過ぎた空調に喉をやられ、目が覚めた。
視界の先には見慣れぬ天井……


んっんっっ
という声と共に、足先に当たる柔らかい物体。
恐る恐る布団を剥ぐと、そこには

真っ白い肌に無数の赤い花を咲かせる中井の姿があった。



そう言えば、昨日……

穏やかな顔を浮かべて、寝入っている中井を見ると
それはそれで良かったような。



元々俺は楽天家だ。
きっとこういう運命だったんだ。



幸い今日は土曜日。

もう一度、皺になったベットに潜り込み、そっと中井の頭の下に腕を回した。
相当、暴れてしまったらしく、部屋の向こうに枕が飛んでいる。

相性良かったよな。

自分と中井に言い聞かせるようにそう呟いて中井の髪に口づけながら、そっと目を閉じた。