贅沢な願い事
思いの果て(美佐子)
「次、モスコね」
空いたグラスを手で押しのけて、カウンターに頬をつけた。
自分でももう限界近いかなって分かってるけど、少しだけあともう少しだけ一緒にいたいって思ってしまう。
香也と俊平のことに、かこつけて、大地といつものこの店で待ち合わせをしたのが今から約3時間前。
お酒弱くなったかな、きっと違う、大地と一緒にいるからだろうな。
でもきっと、もう直ぐそれもおしまい。
肝心な香也と俊平が上手くいき始めたから。
ごめんね、香也あんた達が上手くいって欲しくないなんて考えてはないから……でもね。
頭の上で大きなため息が聞えた。
そろそろ大地の言葉も降ってくるだろう。
このまま、目を瞑ったら本当に寝れそ…う…だ……。
「美佐、お前飲みすぎ。そこら辺で止めとけって。」
そう言ってグラスを取り上げられた。
「だって、やっと解禁だよ。成人式で飲まなくてどうするのよ。お祝いでしょうが。」
大地からグラスを奪い返そうと手を伸ばすと、大地の手に触れた。
触れたなんてもんじゃない、ガシッと大地の手を包み込んだんだ。
頭上から大きなため息が聞えた。
もう、知らねえからな。――
そんな声と共に。
俊平は相変わらず、香也には会わないと成人式まで欠席する始末。
徹底してるっていえば聞えはいいけど、ただのアホではないのだろうかと心の角で思ったりすることもある。
今のご時世、出来ちゃった婚なるものもある訳だし。
香也がそうなる可能性だって。
でもそれが俊平なんだろうな。頑固っていうか、頑なっていうか。
それに協力し続ける私も……。
さっきまで、隣の席には香也もいた。
香也は昔から私の気持ちに気がついている。
だから、今だって。用事があるなんてみえすいた嘘なんかついて。
気を使ってくれたつもりなのだろうけれど、大地と2人きっりになるとどうしようもなくて、お酒に頼らなくてはやっていられなかった。
結局私は足が立たなくなって、つまり大地が支えてくれなければ立っていられない程、飲んでしまった。
正直、どんな会話をしたかは覚えていなかった。
くだらない話ばかりだったとは思うけれど。
でも一つだけはっきり覚えているのは、タクシーに乗っていた時、私の頭を撫でてくれた優しい手だった。
暖かいぬくもりと程よい揺れを感じた。
微かにくすぐるタバコの匂い。
そうこのタバコの匂いは……
うっすら目を開けると私の頬の下はグレーの布地に少し固めの太もも!?
どうやらタクシーの中らしい。
いつの間にか本当に眠ってしまったようだ。
ここまで記憶がとんだのは久し振りというか、成人式以来かもしれない。
この大地の匂いに誘われて思わずほお擦りしてしまいたくなるけれど、そんな事したらどうなるか。ばれないように、動かないように首にぎゅっと力を入れてしまった。
何よりもこの状態が心地よくて、目的地までこのまま――。
「起きたんだろ。」
どうやらばれてしまったみたいだった。
「んっ」
顔を上げようとした私の頭に大地はそっと手を置いた。
「もう着くから。頭痛いだろ、そのままでもいいぞ。」
いつもの大地とは少し違う優しい声だった。
まるであの時のように。
「懐かしいな、前にもこんな事あったよな。ってお前覚えてないか。」
何気ない大地の一言。
それは独り言のようにも聞えた。
覚えてる、忘れられない。
そう言えたらどんなにかいいのだろう。
私は曖昧に笑う事しか出来なかった。
「あの時だって、今だって。お前なぁ人は寝ると重たいんだぞ。」
いつもとは違う低く甘い声。
「ありがとね。」
ふてくされる事も言い返す事も無く素直に謝ってみた。
その時、顔に掛かった髪をはらう為に少し頭を動かした。
「お前、わざとやってるのか?動かすなって。やばいだろ俺の理性が。」
そういいながら私の髪をそっと撫でた。
この感触!
「何言ってるの、心にもない。」
そう言うのが精一杯で、苦しくなる胸のうちを悟られないように軽く笑った。
夢なら覚めないで欲しい、そう願わずにはいられなかった。
大地の膝枕は心地よくて、暖かくて。
とても幸せなひと時だ。
だけど、それも今だけの事。
あと数分でそれも終わってしまう。
もう2度とないだろうこの感触を、忘れないように覚えておこう。
そう思った。
本当にあっという間に自宅へ着いてしまった。
ショルダーバックから鍵を取り出すと、いきなり取り上げられ、慣れた手つきで鍵を差し込む大地。
そのまま、私の支えになるとリビングのソファまで付き添ってくれた。
「ちゃんと着替えてから寝ろよ。鍵は俺が掛けてドアのポケットに投げとくから。」
そう言ってクルリと背を向けられた。
コーヒーでも飲んでいく?
いつもの言葉は出せなかった。
もし大地がここに座ってしまったら最後、私はこの均衡を破ってしまうに違いなかったから。
友達?同士?そんな関係。
それ以下になんて、もう無理だから。
大地の帰り際思わず、シャツの裾を引っ張ってしまいたくなる衝動に駆られた。
少しだけ浮いてしまったその腕で顔を覆い、仮面をかぶった。
「大地ありがとうな。」
やけてしまった喉。自分でも驚く程、低めのかすれた声がでた。
「美佐、一人で抱えきれなくなる前に、俺に連絡しろよ。勿論、香也と俊平の事じゃなくても大丈夫だからな。じゃあ、風邪引くなよ。」
「うん。」
私の返事を聞き、大地は玄関へと行ってしまった。
バタン、そしてカチャリ。
少し間があいてガチャっと音がした。
あいつが持つ合鍵は私の鍵じゃないんだよな。
大地は着替えてから寝ろと言ったけれど、私にはもうソファから立ち上がる気力は残っていなかった。