贅沢な願い事

思いの果て(大地)

「ちょっと、付き合ってよ。やってらんないわよ全くもう。」

そんな言葉でいつもの場所に呼び出された。
ここは俺らの溜まり場みたいなそんな場所。
俺と俊平とこいつ。
俊平の計画とやらに長い事付き合わされた。
いわばここは作戦本部みたいなもんだった。

念願かなって、俊平は香也と付き合いだした。
でもそれも作戦のうちなのか、天邪鬼なのかいつまでも香也にそっけない俊平。

香也からその愚痴を聞かされている、こいつのはけ口は俺に向くわけで。
一週間に一度の割合で呼び出されるようになった。
口では面倒くさいなんて言いながら、週末は携帯を離さずにいる俺をこいつは知らない。

だから、そんな無防備な顔するなって。
男として意識されていないのは重々承知。
それはいい事でもなんでもないんだが。

「次、モスコね。」

そう言うなり、カウンターにうつ伏せた。
何かあったのだろうか?
今日のピッチはいつもとは違っていた。

途中マスターに目配せして、薄めてもらっていたせいか、いつもの倍とまではいかないがグラスはどんどん空いていった。

随分とまあ。
ため息が出た。

さっきまでかろうじて空いていた瞼がしっかりと閉じたのを見計らって、俺の背広をかけてやった。

本当は、俺自身が……なんて。
客が落着いてきてマスターと暫しの歓談。
仕事の事や俊平の話、マスターは一つ一つの話しに相槌を打つ。
店内に流れるジャズのベースが小気味いい音を弾いた時、初めて話しをふられた。


「そろそろ、ご自分の出番じゃないのですか?」

マスターの目線は目の前にいるこいつ。
静かとは言えない寝息を立ててのん気に寝ている美佐子に向いていた。

「いいんですかね。正直このままでもいいのかななんて思い始めてきましたよ。俊平ほどの自信があればいいんですが。」

グラスを目線に持ち上げて、丸い氷を見つめる。
でもいつの間にか俺の目に映るのは濃厚な琥珀色の液体で。
それはまるで俺の心のように、氷のまわりをゆらゆらと揺れていた。

「幸せそうな顔と複雑そうな顔して寝てるなんて器用ですよね。」
意味ありげな笑みを残して、マスターは他の客の処にいってしまった。

カランという乾いた鐘の音と共に4人の客も入ってきた。
きっとマスターはもうここにはこないかもな。

ほんと、煩いっつうの。
途切れることのないジャズがいい具合でこいつの寝息を隠してくれるが、営業妨害になるかもな。
今はまだ俺達しかいないカウンター席。
もし、近くに客がいたら、雰囲気ぶち壊しだよ。

まだ起きないだろうこいつの隣で、ゆっくりと味わう芳醇な香りと苦味。
大人になりすぎたのかもな。

頃合を見て店を出た。
この時間ならまだタクシーが捕まるはずだ。

美佐はまだ酔いの真っ最中らしく、おぼつかない足でやっと歩いている感じ。
頭の中は覚醒されていない様子で、意味不明な言葉を突然言い出す始末。

ふと、数年前の成人式を思い出した。
あの時もこんな感じだったよなと。

タクシーの中に入ってもまだ美佐は起きる気配すらない。
初めは俺に寄りかかっていたのだが、タクシーが角を曲がった時にストンと俺の太ももに頭が落ちてきた。

さらさらとしたショートカットの薄茶の髪。
俺の一番敏感な場所近くにこいつの頭があるなんて、まるで理性を試されているようだ。
寝入っているのをいい事に髪をひと掬いしてみる。
指の間からさらりと髪が流れていった。

俺の出番か

さっきのマスターの言葉を思い出していた。
時期はとっくに過ぎてしまったような気がする。
友人を長くしすぎたんだ。
近くに居すぎたのかもしれない。
いくら友人とはいえ、俊平のことがなければ、こんなにも頻繁にこいつとも会うことは無かっただろう。
俊平に感謝するべきなのか、しないのか。
そんなことを考えていたら、美佐の身体が堅くなった。
身動き一つしないが、きっと目が覚めたのかもしれない。

「起きたのか。」
と俺の問いかけに

「うん」
と返事が返ってきた。

途端に頭を上げようとする美佐。
言葉よりも、そう反射的に、俺は美佐の頭に手を置いてしまった。

「もう着くから。頭痛いだろ、そのままでもいいぞ。」

何がそのままでいいぞだ。
本当は自分がそのままでいたいだけなのに。

「懐かしいな、前にもこんな事あったよな。ってお前覚えてないか。」
そうあの時もこんな感じ。

本当に覚えてないんだろうな。
フッと笑う横顔に見とれてしまった。照れ隠しで

「あの時だって、今だって。お前なぁ人は寝ると重たいんだぞ。」
そんなことを言ってみる。

美佐は俺の気持ちにはちっとも気がついていない、それもそのはず俺は隠しているのだから。
気づかれたらこんな関係ではいられなくなるからな。

いつもだったら”重い”なんて事を言うと食って掛かかってくるにも関わらず、以外にも返ってきた言葉は

「ありがとう」

だった。
その時、顔にかかった髪を振り払おうと美佐が俺の太ももの上に乗せたまま、顔を左右に振った。
これに反応しなかった俺を褒めて欲しい。
そうはいうけれど、いつそうなってしまうかは時間の問題かもしれない。
まだ、はっきりと覚醒していない美佐の目は潤んでいるように見えていつもと違う雰囲気に思わず、本音が漏れてしまった。

「あんまり動かすなよ、俺の理性が……」
多分そんな事を言ったのだと思う。
俺の頭の中では、しきりに違う事を考えようなどと必死に抵抗していたものだから、良くは覚えてないのだが。

心にも無い事を

そんな美佐の言葉はしっかりと聞えた。
俺の心中を見せてやりたいよ、マジで。

俺の努力の賜物か、何とか切り抜けたこの状態。
美佐のアパートの前まで着いたのだが、美佐はさっきよりもフラフラだ。
本当だったら担いで行ったほうがいいくらいのゆっくりとした歩みで部屋の前に着いた。
美佐から鍵を受け取りドアを開けると、そのまま部屋のソファまで美佐を連れていった。
どさっと美佐がソファに身を沈めると、俺はそのまま背中を向けた。
いつもだったら、コーヒーを飲んでいきなよという美佐の言葉は聞えなかった。
これで良かったんだ。
もしこのまま、この部屋にいたら俺はきっと――。

「ちゃんと着替えてから寝ろよ。鍵は俺が掛けてドアのポケットに投げとくから。」

「大地ありがとな。」
よっぽど飲みすぎたのだろう、妙にかすれた声にグッときてしまう。

潤んだ瞳で俺を見る美佐に限界だった。
もうこれ以上いられない。


「美佐、一人で抱えきれなくなる前に、俺に連絡しろよ。勿論、香也と俊平の事じゃなくても大丈夫だからな。じゃあ、風邪引くなよ。」
いつもより大分オーバーペースの飲み方だった。
結局何があったは話してはくれなかったけれど。

「うん」
という美佐の返事の後、部屋を出て、かちゃりと鍵を掛けて、ビーズのストラップが付いた鍵を見つめた。

こいつを誰かに渡す日がくるのかもな。
恨めしい目で鍵を見て、ドアポケットにそれを落とした。

あいつのいない帰り道は妙に寂しくて。
今度は俊平に奢らせよう。
そう心に誓うのだった。