贅沢な願い事
偶然
こっちに香也が歩いてくる。
それも一人でだ。
こんなにおいしい状況がやって来るなんて、さっきまでとはまるで違う展開に俺の頭は少々パニック気味だ。
ここで、突っ立てるのはおかしくないだろうか?
目の前にあるコンビにでも入った方が無難か?
頭の中をいろいろな考えが巡っている。
そうしているうちにも、香也は段々近づいてきて。
どうするよ。
計画を立て行動するのはいいのだが、こう、いきなりな展開に戸惑ってしまうのは頂けないだろう。
んっ今こっちを見たか?
焦った俺は慌てて一度顔を反らしてしまった。
ゆっくりと向きなおすと、やっぱりこっちを見ているようで。
少し歩くペースが早く見えるのは気のせいなのか?
今更、動ける距離でもなく。
香也の手がゆっくりと上がった。
手を振っている。
まさか。
後ろを振り返っても、さっきの同僚らしき奴らはいない。
香也の足が段々と小走りになった。目の前で香也の足が止まる
「俊平君」
俺の名前を呼んでいる。
俺は、さも今気がついたとばかりに
「おう、香也だったのか」
とそんな言葉しか出てこなかった。
「凄い。びっくりだよ、俊平君とこんなところで会えるなんて」
ちょっとだけ息を弾ませてしゃべる香也。
ちょっとだけ前傾姿勢で、っておいその服、前が開きすぎてないか?
思わずいってしまった目。
「ビックリって、お前俺の会社直ぐ其処だから」
気持ちを落着かせようと出る声は。いつもより少し低かった。
緊張すると声が低くなるらしい。
それは美佐子に言われたんだっけか。
「へえ。俊平君の会社ってこっちのほうだったんだ、私はそこのホールでイベントのお手伝いしてたんだよ。一日立ちっぱなしで、もう足がパンパンだよ。」
ふくらはぎを擦りながらおどけてそう話す香也。
擦り切れるほど見つめたあのノートのコピーが頭を過ぎる。
――優しい人よりちょっと冷たい人感じがする人がいいかな――
冷たい感じってどういうのだ?
優しい人っていうのら解るんだが。
取りあえず、んー。
「すっかりオバサンだな」
こんなもんか?
すると香也は
「オバサンって何よ、同じ年でしょ。俊平君って会わないうちに何だか冷たくなったね」
ぷくっと頬を膨らませてそう言った香也。
おおっ、正解だったか?
「そうかもな」
思わず頬が緩みそうなのを堪えてみた。
「ふーん、それで、誰かと待ち合わせ?それとも、まだ仕事中だったりするの?」
香也の言葉に
「ああ。仕事が」
そこまで言ったら
「そっか、仕事なんだ大変だね。頑張って、じゃあ私行くね。そのうち皆で会いたいね」
って俺の返事も聞かずに行ってしまった。
だから、”仕事は終わったって”いうつもりだったんだって。
何で遮るかな。
香也の後ろ姿は段々と小さくなって。
っていうか折角のチャンスだったのに、何の話をしたんだ俺は。
香也も香也だ。ちょっと位話をしてもいいものだと思うが。
でも、まあ良しとするか、偶然の出会いの2回目が終了なのだから。
俺の中では後5回。
それも2ヶ月掛けて後5回位は偶然の出会いを装うつもりでいる。
本当だったらもう少し時間を掛けてと思ったのだが、会ってしまうとそれは無理だと実感した。2ヶ月、それが俺の我慢が出来る限度だ。
最後のその日。
それは俺達にとって記念日となるはずなのだと信じて。
一方その頃
「もしもしー美佐子」
「もしもし、どうした香也?結局飲みに行かなかったんだ」
よしよし、俊平待ってるんだもんね、他の奴と飲みに行かれたんじゃ私のせいじゃないけれど後で何言われるもんだか解りはしない。
「うん、さっき電話貰って、無性に美佐子と会いたくなったよ。今家でしょ?」
「う、うん家にはいるけど……」
っておい、俊平いないのか?折角人が引きとめてやったというのに!
「じゃあさ、今から電車に乗るところだから、後4,50分位かな?駅で待ち合わせしようよ」
「あ、そうだね……」
おいおい俊平はどうしたんだい?
まさか、こうなるとは誰が予想したのだろう。
「何だか、歯切れの悪い返事だね、そうそう今、偶然に俊平君に会ったよ!何だか感じ悪って、確かに格好よくなったのは認めるけれど冷めた目で見られて、俊平君のイメージが薄れていくよ、冷たい男になっちゃって前の俊平君は何処行ったって思ったよ。この前も10年振りに駅で会ってね。って言ったっけ?」
言ったけ?っけあんた言ってないから、そのお陰でえらい目にあったような気がする。
それより、俊平と会えたのにスルーかよ。
中々上手くいかないもんだ。
何か言われたら
格好良かったって言ってたよと伝えてあげよう。
感じ悪いってのは、内緒にしておくけれどね。
今日私が香也にあう事ばれませんように……
一人呟く美佐子だった。