贅沢な願い事

念力

あれから――香也と言葉を交わして5日経った。
本当だったら、毎日でも会いに行きたいって思うところだが、大学生ならいざ知らず、そこがサラリーマンの辛いところだ。

今日は2度目の実行の日。
本社勤務になってまだ間もない俺が無理言って頼んだフレックスタイム。
通常の通勤だと香也の通勤時間には到底合わせることは出来ないからだ。

喜び勇んで向かったっていうのに、電車のアナウンスが流れても香也は現れなかった。
マジかよ、おい。
現実が受け入れられない。
どうしたのだろうか?
具合でも悪いのだろうか?
いろいろな妄想が頭を駆け巡る。

程なくしてホームに電車が到着し、仕方なく電車に乗り込んだ。
結局、香也の姿は見えず仕舞い。
俺は何をやっているんだ。
今日は掛かってきても文句を言わないのに携帯も鳴る事も無くて。
朝からテンション上がりまくりだったにも関わらず、意味のない満員電車に揺られることになった俺って。
あの時もこんな感じだ。
一緒に電車に乗れるのは一体いつなんだよ。

香也の降りる駅を横目で睨みながら、また押し寄せる人の波に俺のテンションは下がりまくった。
それは会社に着いても、変わる事はなく。
予定を確認しようと、開いた手帳。
裏表紙には、あの頃の俺達の写真。
俺の一番好きな写真だ。
そして、あのコピー。
何度も何度も読み返したその紙は、擦り切れる寸前。

そっと開いて、文字を追う。
何にでも一生懸命で、恋は2の次みたいな。

今までの俺はそうだったかもしれないが、香也に会ってしまってからは――
駄目そうだ。
だが、頑張らないとか。
パソコンを開いて、頭の中の香也を追い出すことに必死になった。

夕方、美佐子からメールがあった。
それは、今日の俺のテンションを一気に引き上げるものだった。

腹黒君、ご機嫌如何ですか?
今日はとびっきりの情報入手しました。
本日香也は、俊平の会社の近くのイベントに借り出されたそうです。
開場は6時までだそうなので、7時くらいには終わるんじゃないかとの事。
この前言ってた、偶然の出会いのチャンスじゃない?
ものスッゴイご褒美お待ちしています
美佐子

このはじめの腹黒君っていうのは余計だが。
段々胸が高鳴ってきたじゃねえか。
丁寧にイベント会場の地図まで添付してあるときたもんだ。
美佐子に感謝だ。
これはちょっと奮発しなくちゃかもな。
思い当たる褒美が無いわけではないが……
それはまたそれ、今日の結果で決めるとしよう。
そうとなったら、片付けなくては。
7時まで後1時間半、でも6時までと言っていたから早めに出るのがいいだろう。

さっきまでのペースとは比べ物にならない効率のよさで仕事を終えた。
美佐子が教えてくれたその場所は、この界隈では誰もが知っている大きなホールで地図を見なくとも歩いていける距離の所だ。
ホールの出口が見渡せる歩道橋の影であいつを待つことにした。
きっと、駅に向かってくるはずだから、俺が動かなくても向こうからやってくるはず。
ホールの前に聳え立つ時計の針は6時45分を差していた。

関係者だろう人達がぱらぱらと出口から出てきた。
目を凝らしてみてみるが、まだあいつは出てこない。
段々と不安になってきた。
もしかしたら、早めに出てきてしまったのではないだろうか。
朝の件を思い出し、もしかしたら今日は会えない運命なのかもな。
マイナス思考になったもんだ。
これじゃいけないと頭を振った。

出口に一際大きな集団がやってきた。
一瞬で解ってしまうのは自分でも凄いなと思う。
それはでかい男に隠れるように少しだけ見えた髪の毛だった。
間違えるはずはないか。
歩きながらそのでかい男が後ろを向いて話すと、少しだけ開いた隙間から香也の顔が見えた。


俺の考えた通り、その集団はこちらを目指して歩いてきたのだが、途中その集団は二手に別れた。
一方はこちらにもう一方は……

っておい、香也は数人の奴らと俺の反対方向へ歩き出した。
駅より少しだけ外れた場所に向かって。
飲食店が多数並ぶ歓楽街だ。

飲みに行くのかよ。
まあそれも考え無かったわけではないのだが、実際、こうやって後ろ姿を見送る嵌めになるとは。食事だけだろうか?いや、この時間だ。あいつの周りには男もいたし酒が入るのは間違いないか。
遠巻きに見ているだけでも会話が弾んでいるのが解るほど、楽しそうな香也。
はぁー。ため息しか出てこなかった。
さてどうしたものか。
ここで、あいつを待つのは限界だあるだろう、それに電車で帰るとは限らない。
タクシーで帰るかもしれないしな。
かといって、追いかけていくのもどうなのか。
店に入ってから、偶然だなと話しかけることも出来るだろうが、他の男と楽しそうに酒を飲む香也のことなど見たくない……

待ち人は行ってしまうというのに、足が動かなかった。
どうする俺。
こっちに来いと念力でも送ってみますか。
馬鹿げたことだとは重々承知の上だ。
でも俺はそうすることしか出来なかったのだ

じっと香也の後ろ姿を眺めていたら。
仲間に背を向け、一人こちらのに歩いてくるじゃないか。
2,3度後ろを振り返り、手を振る香也。

やっぱり、今日は会える運命だったのかもしれない。