贅沢な願い事

タイミング

俺の心の中は複雑だ。
だってそうだろ、香也はきっと。
あいつの事を思って飲んでいたに違いないんだ。

「ねぇどうしてここに俊平君がいるの」
上目づかいでけらけらと笑いながら聞いてくる香也。
お前はどうしてそんなに酔っぱらっているんだ?
誰の事を考えてそこまで呑んだんだ?
喉元まで出てきたその言葉をのみ込んだ。。
代わりに

「美佐、こいつどれくらい飲んだんだ?」
ニヤニヤ笑いながらみている美佐に問いかけた。

「ん〜そんなには呑んでないと思うけれど。ワイン1本にカクテル3杯くらいかな?」
ってそれが『そんなには』の量なのかよ。

その時、目の端にさっきの彼女の姿が見えたような。
気がついた時には後ろ姿だったので核心はもてないが。
そんな事より今は香也だ。
この人込みの中電車に乗るのか? こんな無防備な姿で?
この前の朝のラッシュとは訳が違う。

「なぁ、タクシーで帰ろうぜ」
俺の一言にまたニヤリと笑う美佐。
香也はというと
「なんで? もう電車くるよ」
とキョトンとしている。

だから、そんなお前を乗せたくないんだよ。
それに、話をしたかったんだ。
この電車では話も何もないだろう。
俺は返事を聞く前に香也の腕を取って、ホームを歩き始めた。
未だ状況が解っていないようで、香也は何で〜と連発だ。
美佐は呆れた顔をしながらも香也の反対側の腕を取って歩いている。

「勿論、俊平払いでしょ」
と勝ち誇ったように言いやがった。

改札を出てタクシー乗り場へと。
段々と香也の体重が掛ってきて、タクシーに乗り込んだ時には殆ど力も入ってなくて、崩れるようにシートに沈んでしまった。

「んで、説明してもらおうか?」
香也を挟んだ向こう側、美佐は
「やっぱ、そうなるよね」
と観念したようで、ぽつりぽつりと状況を話しだした。

昼頃、突然鳴りだした着信音。香也からの電話は珍しい事だったらしい。
何事かと思ってボタンを押すと
「あの人が帰ってくるみたい」
と告げられたと。そして夕方のあの時刻、それは噂に尾ひれがついたものだったらしいと連絡がきたと。

だから俺が聞きたいのはそんな話じゃねえから。
凄んでみせても相手は美佐だ。のらりくらりとかわしやがって。そのうちに香也の家の前に着いてしまった。
俊平君が突然行くより私が行った方がいいんじゃない? この状況だし。
と言った美佐の言葉に従って、俺は複雑な気持ちで香也を抱きかかえた。
酔いが回っているらしくちっともおきる気配が感じられない。
ここからなら、美佐の家も俺の家も徒歩で行ける距離。俺は財布から万札を取り出すと、タクシーのおっちゃんに渡してくれと美佐に託した。おつりを貰って、タクシーを見送ると、香也の家のインターフォンを押す美佐。
程なくして香也の母親が出てきた、香也の母をみるのもあの頃以来だ。
「おばさん、ごめんね、香也飲みすぎちゃったみたいで」
そういって俺の腕の中にいる香也に一瞬目を馳せるとその視線は真直ぐ俺に向かってきた。
美佐が慌てて
「彼、偶然駅で会って一緒にタクシーに乗ってきたんだよ、覚えてない?」
そこまで言った美佐の言葉を遮った。
「お久しぶりです。おなじ中学だった、徳山です。夜分にすみません」
出来るだけ慎重に声を出した。第一印象が肝心だからな。っていっても第一印象なんて等の昔に終わっているんだが。

「あら、あの俊平君? すっかり良い男の人になちゃって見違えちゃったわ。香也重たいでしょう、ごめんね」
にっこりとほほ笑んでくれたと思う。
その後、香也に小言を言って俺の手から香也が離れていった。
「じゃあ、また」
という美佐に車で送って行こうか? と声を掛ける香也の母親。
「大丈夫です、徳山君もいるし、ねっ」
母親の腕の中で項垂れながらも、立っている香也を見つめていた俺。突然振られて、ドキッとしたが「はい、送って行きますので、失礼しました」と頭を下げた。
そして、香也が家のドアの向こうに消えた。
しーんとした中に美佐と2人。無言のまま香也の家の前を後にした。
最初に切りだしたのは俺からだった。
「やっぱり、未練があったりするのか?」
情けない声だった。奪ってやると息巻いていたのがウソのようなそんな声。
静まりかえった住宅街の中俺の声は美佐に聞こえたに違いないのに、美佐からは返事がない。
「おいっ」しびれを切らして催促する声が大きくなった。
そして、言葉を選ぶように美佐が話出した。
「私もね、そう思った、だけどそれとはちょっと違うような気がする。気になったから今日誘ったのは私の方だよ。確かにテンション高めだったけれど、お店を出る時は普通だったと思う、私が思うに……」
美佐はそこで言葉を切った。最近これ多くねえか?
「思うに?」
そう問いただしたにも関わらず。
「香也は、他に気になる人がいるんじゃないかと」
ちらりと俺の顔を伺う美佐。またしても爆弾発言じゃないか。
「それで」
本当は、ビビりまくっている俺。そんな俺を見透かしたようにこいつは
「俊平さ、周りから固めるのもいいけれど、駆け引きばかりじゃ駄目だと思う。ヒントはあげたはずだよ。私は。タイミングって重要だと思う。そんだけ、じゃあね」
気がつけばそこは美佐の家の前で。懐かしい俺達の通学路だった。
「おい」
という俺の叫びも虚しく、美佐は逃げるようにドアを開けてしまった。
一人だけになった、帰り道。
美佐の言葉を思い返す。ヒント? それはどの言葉だ。考えながら歩く先には俺達の中学があって。
毎日見上げていた大銀杏の木が、あの頃と変わらずそこにそびえ立っていた。
目を瞑ると鮮明に思い出せる。
屈託なく笑う香也の顔。

弱気になんかなってんじゃねえよ

あの頃の俺がそう言っているような、そんな気がした。