贅沢な願い事

恋したい? 3
「香也にお願いがあるんだけど」

そう言って美佐に呼び出されたのは先月の事だった。
神妙な顔でお願いされるとちょっと怖かったのだけど、それは願ってもみないお願いだった。

「モニターになって欲しいの」
美佐は携帯を取りだして、何やら親指を忙しなく動かしている。
美佐の会社に持ち込まれた携帯ゲームのアプリ企画。
一般の人に公開する前段階という今流行りの恋愛系のゲームだった。

「私そういうのやった事ないし、どちらかと言ったら嵌らない方だから不向きだと思うよ」
俊平の存在が大きすぎて、ゲームと言えど他の男の子の事を気に掛ける余裕ないよ。
やりたくないという訳じゃなくて、他に適任がいそうじゃない。
感想とか言われてもあんまりやってないと役に立てないだろうし。
何だか美佐に申し訳なくて小声で呟いていると。

美佐の眼がキラリと光った。

「それは十分承知の上、ほら、このアプリが凄いのはね」
ジャジャーンとでも効果音がつきそうな勢いで私の前に突き出された美佐の携帯。

その画面には、学生服を着た俊平が映っていたのだ。

何これ――
わたしは美佐の手から携帯を取り上げてまじまじと画面を凝視してしまう。
紛れも無い、高校生の俊平がそこにいた。

「興味あるでしょ」
美佐の携帯を食い入るように見つめてしまう。
そんな私をお構いなしに美佐は説明を始めたんだ。

「これの一番のお勧め機能はね、写真を携帯に取りこんで架空でない実在の人物とバーチャル恋愛が出来るところなの」
興味が無いなんて言ったのに、今は美佐の言葉に釘付けだ。

「それでね、ちょっと貸して」
両手で包んだ携帯をひょいと持ち上げられて、画面を操作すると

――こんにちは――

携帯の中の俊平が喋った。

「この声もね、調節出来るんだよ」
初めに3つの声があって、一番近いだろう声を選ぶとそれを微調整まで出来るんだ。
もう、感心しきりってこの事だよ。

「モニターやってくれるよね」

美佐の言葉と同時に大きく首を何度も動かす私がいた。
パスワードを教えて貰って自分の携帯で高校生の俊平を呼びだすと、もうお菓子やビールどころの話しじゃなかった。

高校生の頃は一度も会った事なかったからな。
小さい画面に映しだされた俊平を見て、もう頬は緩みっぱなし。
肝心なゲームはただの同級生からのスタートだ。
話し掛けてもそっけなくて、何だか付き合い始めの俊平を思い起こしてしまう。
ゲームだとは解っているけど、ライバルなんかも現れたりで、ちょっと気が気じゃないかも。
それこそ、美佐の事を忘れて私はゲームに夢中になっていた。
そう、電源が無くなるまで。
はっと気が付くと、美佐は床にごろんと寝っ転がっていた。

そして、ふと気がついた。
夢中でしていたゲームの最中、メールが何度が来ていた事を。
サーっと血の気が引いていく。
俊平だったりしないだろうか、と。

確か、夕方「後でメールするから」と言ったのは私の方だ。
美佐と一緒の時間を邪魔されたくないとばかりに、今日美佐のアパートに来る事を内緒にしていたから。
きっとそれが解ったら、大地を連れてここに乱入してくるに違いない。
そして、ガールズトークも中途半端のまま、俊平の部屋に連れて行かれるのは目に見えていたから。
嫌じゃないけど、たまには美佐と一緒にゆっくり話したい……と言いつつ、美佐を放って携帯と睨めっこしていた訳だけど。
取り敢えず、充電だ。
テーブルの上に無造作に置かれたこのアパートの鍵を掴むと、美佐にタオルケットを掛け上着を羽織ってコンビニに向かった。

いらしゃいませと声と、ありがとうございましたと言われたまでの時間、きっと一分も経っていなかったと思う。
ビニール袋を断って、店先で包装を破ると直ぐにお目当ての物を携帯にセットした。
真っ黒い画面が明るくなって、私の親指は速効着信メールを開いた。

全身の力が一気に抜けていく。
俊平からのメールではなく、家電量販店の広告メールとレストランのクーポンメールだった。
美佐のアパートまで歩きながら俊平にメールを打った。

――ごめんね、メールするって言ってったのに。美佐と盛りあがってしまったよ。今日はこのまま美佐の部屋に泊まります。明日の朝起きたら連絡するね――

送信完了。

ほっとしたら、またゲームの続きが気になったけど……
きっと機嫌が悪いだろう俊平。明日の私の為にとグッと堪えた。

携帯を両手で包み、ライバルが俊平に近づきませんように、と願って携帯を畳みアパートへと足を速めたのだった。

それから――
嵌りすぎるなんてもんじゃない、もう私はアプリに夢中になっていた。
暇さえあれば、携帯を気にしてしまう。
本物の俊平が一番好きなのには変わりがないけれど……
いくらゲームだとはいえ、他の女の子が俊平に約束を取り付けようとするのは許せないって思っちゃう。
まだあどけなさの残る俊平の姿も愛おしくて堪らないんだ。

そんなある日恐れていた事態に陥ったのだ。

いつもの喫茶店で待ち合わせをして、軽く飲みに行く予定だったその日。
平日にも関わらず部屋に誘われた。
いつもだったら、次の日大変な事になるのが解り過ぎるほど解っているので遠慮したいとこだけど、アプリのゲームで中々なびいてくれない俊平とリンクしたせいか、渋りながらも了解してしまった。

美佐から電話が掛ってきたのは、タイミングよく俊平がお風呂に向かった直後でゲームの進行状態を報告していたのだけど、まさかその話を俊平に聞かれていたとは。

でもそのお陰で、凄い告白をされたんだ。
勘違いをさせてしまった俊平には悪いけど、それがどんなに嬉しい言葉だったか。
俊平には解らないだろうな。

食事中、いくらゲームとはいえ私が他の男と恋愛をするのは嫌だ、と何度も言われたけれどこれだけはバレたくないとしらをきり通すのがどんなに大変な事か。
そのせいで、夜は――恐ろしい事になってしまった。

三日後美佐からの電話でそのゲームは呆気なく終わってしまった。
何でも、精巧過ぎて、リアルとバーチャルの区別が出来なくなってしまう人が続出したらしい。
同感だ。
顔も声も本物みたいだったら錯覚を起こしてしまう。
私もそうだから。

そして私の携帯から、アプリが削除されてしまった。
とても寂しいって思ったのは内緒の話。
美佐からお詫びにと、ゲームを始める前に携帯に取りこんだ時の学生時代の俊平の写真を一枚貰った。
手帳に挟んで私の秘密の宝物だ。

あと、もうちょっとで落とせそうだったのになぁ。
なんて、時々思い出しちゃうのは恋愛をしたいのじゃなくて、あの頃の俊平にも恋をしたいと思った願望。
出来る事なら、中学生に戻って俊平に近づく女の子を全員追い払いたいなんて。
欲張りなのかな。

心密かにアプリの復活を願っている事は俊平には内緒の話。
つくづく俊平の事が好きなんだと思い知ったのだった。