電車通学

覚悟を決めて2

「圭吾ーっ。電話よ」

母さんが下から叫んでいる。

家の電話にかけてくる奴なんてどうせろくな奴じゃないっつうの。
仲いい奴はみんな携帯に掛けてくるし。

面倒くさいと思いつつベットから身体を引き上げた。
「ちょっと、早くしなさいよ。待ってるんだから」
俺にそういうと母さんは電話の相手に
「ごめんね、待たせちゃって」
なんて言っている。

誰だ?

階段を下りながら聞こえてくる会話。
中学の同級生か?

「はい、佐伯さんよ」
そう言って受話器を渡されるも、佐伯なんて知らないぞ。
俺はぶっきら棒に

「はい」

とだけ答えた。

無言だった。
いたずら電話か?

「あのー用がないんだったら切るから」
そう言うと

「待ってもらえますか?」
受話器の向こうからは女の子の声がした。

もしかして!
似ている、あの子の声に。
でも、彼女がうちの電話番号を知っているはずがない。
あの彼女にだって俺の携帯しか教えてないのだから。
でも、間違えるはずがない、ほんの少しだけ掠れているようだけど彼女の声だ。

一瞬のうちに緊張が高まった。

「佐伯さんってもしかして、電車の?」
そこまで言うと、電話の向こうで息を呑んだのが解った。
緊張のあまり言葉が続かない。
気持ちだけが焦ってしまう。

本当に?本当に?

そして、彼女は

「はい」

と短く返事をしてくれた。
思わず顔が、唇の端が上がってしまう。
これ以上ないって位心臓が大きく跳ね上がっている。
俺は心の中で思ったことを口に出してしまった。

「嬉しい」

あっと思った時にはもう遅い。
かっこ悪いだろ俺。
嬉しいって、なんか他に言う事あるだろうに。
きっと頭の中がパニック起こしているからなんだろう。
すると遠慮がちに受話器から声が聞こえた。

「それで」

一瞬のうちに不安が過ぎった。
もしかして彼女は、佐伯さんは、この前の友達だという彼女に言われて無理に電話を掛けてきたのかもしれない。もう学校に来るのは止めてくださいなんて言われたらどうすればいいんだ?

佐伯さんの言葉を遮ってしまった。
勝負にでた。

「今、何処にいるの? 時間ある?」
何としても佐伯さんに会いたい。
会って話がしたいんだ。

やっぱり退いてしまったのだろうか?
急すぎたのかもしれない。
彼女の言葉を遮ってしまったのは失敗だったのか?

受話器に集中しているのだろう、普段だったら聞こえるはずの周りの物音は一切耳に入ってこなかった。

すると、少し小さな声だがはっきり聞こえた。
「今は、家にいます。時間もあります」
と。

落ち着けと思ってもそうはいかない。
逸る俺はストレートに

「会いたい、君に会って話がしたい、駄目かな?」

断られるかもしれないと不安を胸に思ったことを告げていた。
すると今度は間をおかず

「私も、私も貴方に会って話がしたい」

と言ってくれた。
期待していいのだろうか?

「今から行くから、何処に行けばいいか教えて?佐伯さん」
初めて彼女の名前を呼んでしまった。
君に会えるなら何処にでも行くから。

彼女は
「じゃあ、あの駅まで来てもらえませんか?コーヒーを買ってもらったあの駅に」
と言った。

「解った、直ぐに行くから、待ってるから佐伯さん」

その駅までは1駅。
俺の方が早く着くだろう。
でももし、俺がまだきていなくても待っていて欲しい。

「はい」
と返事が聞こえた。

”はい”って言ってくれたよな。
完全に俺の頭はショートしたようで、いつの間にか電話は切れていた。
夢じゃないよな。
そう思ってみるけど、俺の手にはしっかり受話器が握られていて。

はっと、気がつくと。
テーブルに肘を付き、満面の笑みで手を振る母さん。
浮かれすぎて忘れていた、母さんの存在を。

俺すっごく恥ずかしくないか?!
恥ずかしいだろ!

暫くまともに母さんの顔はみれないと思った。
母さんは

「急いだ方がいいんじゃない?」
と。
そうだよな、全部聞かれちゃってるよな。
顔が赤くなったのが解った。

一生言われ続けるかも。
そんなことを思ってしまった。

その後は慌てて自分の部屋に行き着替えを探す。
着ていく洋服を考える事なんて今まで一度もなかった。
ジーンズを穿き、上に羽織るものと……
確か兄貴の部屋にあれがあったよな。

今は大学にいっている兄貴。
内緒で借りてしまおう。
悪いと思いつつそっとクローゼットを開け目当てのシャツを取り出した。

そして、財布とスイカを確認して部屋を出た。
母さんとは目をあわさないように、そっと玄関へと向かったのだが。

「頑張ってね、圭吾」
と言われてしまった。

顔を上げずに、
「いってきます」
と一言いい、駅への道を急いだ。