電車通学

これからも

前を向いて歩けない。
きっと私の顔は真っ赤だから。
視線の先には浅野君の足と私の足。
そして、コーヒーを持った2人の手。

私と彼の身長差があるように足の長さも違うわけで、それなのに同じように歩けるのは彼が歩調をあわせてくれているからなんだろう。
そんな些細な事でだって私にはドキドキの要素だったりする。

「ここかな?」
突然の彼の声。

もう公園に着いていた、着いたっていっても駅からほんの少ししか離れていないから、たかが2、3分のところなんだけど。

「うん」
そういって大きなケヤキの木の下にあるベンチに足をのばす。

もうすぐそこに迫る夏の気配を感じて、夕方近くだというのにまだ強い日差し。
ベンチの下はケヤキに包まれ心地よい空間を作り、穏やかな風が私の頬を撫でていく。
ほんの少しだけ、私の赤くなった顔を冷ますように。
でもそれは一瞬の事で、直ぐ隣から発せられる彼の声に反応して、あっという間に沸騰状態。

「佐伯さんって、この辺良く来るの?」

彼の声は私の心臓に良くないみたい。
なんてことのない問いにだってドキドキする。
こんな至近距離で普通に会話が続くのかちょっと心配、耐えられる? 私の心臓。
自分を落ち着かせるように息を整えて。

「2回目です、この前電車が止まった時にこの駅で降りたのが初めてで、その時の姉との待ち合わせ場所だったんです。姉は近くに友人がいるみたいでここでよく待ち合わせをしていたらしくて」
緊張しながらも一気に捲し立て、ベンチの横に置いたコーヒーを手に取った。
あの時の思い出のコーヒー。

彼は納得したように頷くと
「そっか、あの時ここに……」
と小さな声で呟いた。

そしてまた無言が続く。
私は両手で握ったコーヒーを彼の前に差し出して
「飲みませんか?」
と言ってみた。

浅野君は
「ああ、ありがとう」
と言ってコーヒーを受け取ってくれた。
良く考えると彼も同じものを持っているのに。
すると彼は

「はい」
とにっこり笑って彼の買った方のコーヒーを差し出してくれた。
そんな気遣いが嬉しい。

「同じ事考えていたみたいだね」
彼はプルタブに指をかけ、ゴクリと喉をならした。
美味しいと言葉を添えて。

私は彼に見えないように缶を持ち変えると彼と同じようにプルタブに指を引っ掛けてコーヒーを一口飲んだ。
味は……よく解らなかった。
ただ緊張していてカラカラだった喉を少し閏わせてくれて、思わずもう一口、二口。
そして

ふーっと一息ついてしまった。

すると横から感じる視線。
恐る恐る横目でチラッっと彼を見ると、慌てて視線を逸らすのが解った。
私、またやっちゃった?!
彼はあの時のように肩を揺らして笑っていた。

私は居た堪れなくなって手で顔を覆ってみるも。
そんな私に気がついたようで彼はあの声で

「ごめん」
と一言。

私はまだ恥ずかしさが引けなくて手で顔を覆ったまま

「いえ……」
とだけ言ってみた。
いえ、とは言ったものの別に謝られることは何もしていないのに、私の方が呆れられたかも。
そう思ったのにかえってきた言葉は意外なものだった。

「やっぱり、いいんだ。そんな佐伯さんが。そんな佐伯さんだから俺……」

いい?そんな私だから?
いつかのように彼の言葉を待つ。
すると浅野君は突然立ち上がって私の真正面に。

な・何が起こるっていうの?
私はベンチに座ったまま浅野君を見上げた。
これでいいんだよね、私も立った方がいいの?
そんな事を考えていたら、浅野君は1つ大きく息を吸い

「好きなんだ。どうしようもなく。佐伯さんの事が気になって気になって、こんな何も知らない奴に言われて戸惑うのは承知だけど、考えてくれないか?俺の事」

頭の中はハレーション。
整理をしてみる

好きなんだって言った? 私を?

思わず周りを見渡してしまう。
誰もいなかった。

考えてくれないか俺の事?

いつも考えてます。浅野君が思う以上に。

もしかして、期待していいの?
私に言ったんだよね。
もう一度浅野君を見上げると、顔こそそんなでもないものの、耳は真っ赤に染まっていた。
そして、真っ直ぐ私を見ている。
私は、気がついたらベンチから立ち上がっていた。
落ち着け、落ち着け、そう思っても口の中は再びカラカラになっていて。
コーヒーを手に持ちもう一度コクリと飲んでみた。
頑張れ私。
そして、浅野君と同じ様に息を吸い込むと

「私も、ずっと見てました。いつの間にか浅野君の事ばかり考えている自分がいました。私の方こそ宜しくお願いします」

きっと私の心臓の音は彼に聞こえていると思う。
言っちゃった。
言っちゃったよとうとう。

浅野君はというと――
口を少しあけた状態で固まっていた。

「浅野君?」
心配になって彼の名前を呼ぶと、彼は手の甲を口に当て後ろを向いてしまった。

私はどうしていいのか解らずその場に立ち尽くしてしまう。
時間にしたら何秒って位なんだけど、その時間は私にとって、とても長く感じるもので。
勢いで言ってしまったものの果たして良かったのだろうか?
もしかして、ドッキリ?!
木の影から人が出てきて、ネタばらしなんて事ある訳ないよね。
頭の中の妄想が膨らんでいった。

「……いいんだよね」
微かに聞こえた浅野君の声。 はっと気がつくと浅野君は私の顔を覗きこんでいた。

「えっ」
トリップしていて聞いていなかった。
私は真っ直ぐに私を見る浅野君の視線に耐え切れず下を向いてしまった。

浅野君は小さな声で囁いた。
「俺、期待していいんだよね。それって友達としてじゃなく……付き合ってくれるってとってもいいんだよね」
不安気な表情で見つめられて、どうしてそんな顔をするの?

私は顔を上げ浅野君の顔を見ながら

「私でいいの?」
本当は”はい”って言いたかったけど、口が勝手に動いていた。

浅野君、今度は直ぐに返事をくれた

「佐伯さんがいいんだ。佐伯さんじゃなくちゃ」
そういって一度空に向けた視線をゆっくりと私に。

私は今度こそ、大きく頷きながら
「はい。私で良かったら、宜しくお願いします」

嬉しくって笑いたいのに、何だか、何かが胸の奥からこみあがってきて、思わず涙がでそうになるのを必死で堪えて空を見上げた。

もう大丈夫かなと思い前を見ると、まだ早かったみたいで右目からポロっと涙が零れてしまった。

次の瞬間、頭の上から降ってくる浅野君の声。

「俺も泣きそう」
と。

え、ええー。いつの間にか私は浅野君の胸の中にいたようで。
パニックになった。

「浅野君?」
恐る恐る声を出すと。

浅野君はパッと私から離れ、
「ごめん、嬉しくってつい……」

浅野君は今度は耳だけでなく、顔も真っ赤までとはいかないが、赤くなっていた。
勿論、私はそれ以上赤い訳で。

夕日に照らされていたのもあるかもしれないけど、それはほんのちょっとの事。

これが私達の始まりだった。