電車通学

金魚
2人で散々笑い合った後、約束の金魚掬い。
腕まくりをし、気合をいれて水槽の淵に屈みこむと店の人から渡されたポイを2人同時に水に滑らせた。
金魚はすばしっこく水槽の中を泳ぎまわって、掬うのは至難の業。
俺は小さな出目金に狙いを定めて、じっとその行方を追っていた。
途中郁をそっと見ると、真剣なまなざしで口を窄めながら格闘していて、たまに漏れる声に笑いを堪えてみたり。
本当に、郁といると飽きないんだよなと浸ってしまった。
郁も検討して3匹捕まえたが、俺は4匹捕まえた。
ちょっとやばかった。
郁はぷくっと頬を膨らませて、納得いかない顔をしているけれど、惚れた欲目かそんな顔もどんな顔も愛しく思う。
違うな、泣き顔だけは見たくない、な。

その時隣にいた女の子が大声をあげた。
「私も金魚ーっ」
涙をいっぱい浮かべて、お母さんにすがり付いていた。
どうやら、その子のお兄ちゃんがやっているのを見て自分もやりたいと言い出したようだ。
きっと2歳くらいだろうか? 無理っぽいよな。
きっと母親もそう思ったに違いない。
一生懸命なだめようとしていた。
すると郁がその子の隣にしゃがみこんだ。

「金魚欲しいんだよね」
目線を合わせてそのこにたずねた。

「うん」
堪えきれずに溢れた涙が女の子の頬を伝う。

「じゃあさ、お姉ちゃんの金魚貰ってくれる?」
にっこり微笑んだ郁。

その言葉に途端にしゃくり上げる事を止めた女の子。
じっと、郁のビニール袋を眺め始めた。

「はい、大事にしてあげてね」
と金魚を渡すと女の子の顔は笑顔に変わった。

「ありがとう」
とお礼をちゃんと言って女の子は母親を見上げた。
困ったような母親と目が合った郁。

「いいんでしょうか?」
と遠慮がちに聞く母親に。

「はい」
と返事をすると女の子の頭を撫でていた。

ばいばいと手を振り別れた後で、今度は郁が俺の金魚をじっとみた。
俺は店のおじさんにもう一枚ビニール袋を下さいとお願いした。
おじさんはニカっと笑って、俺の金魚を受け取って2匹ずつに分けてくれた。
「これでいいんだろ?良い彼女だな」
って。

郁は真っ赤になって金魚を受け取ると深くお辞儀をした。
俺はおじさんに
「ありがとうございました」
とお礼を言った。
勿論、金魚の事ではない、郁のことを褒めてくれたからだ。
郁は
「金魚ありがとう。大事にするね」
とにっこり笑って
「オスとかメスとかあるのかな?」
なんて呟いている。
心の中でないわけないだろって突っ込んでみた。
解らないだけだよって。


金魚を持つ手をあげ、時計を見た。
いつまでだって一緒にいたいが、そうはいかないからな。
残念だが、これまでか。
俺はいいのだが、郁は違うだろうから。
後ろめたさを感じるも

「そろそろ送っていくから」
と声を掛けた。
金魚を見つめ微笑んでいた顔が一瞬歪んで見えたのは俺の勘違いだろうか。
俺だって……。

「そうだね、金魚掬いもできたし。もうそんな時間だよね」
そっと手を出し、郁の手を優しく握った。
来た道とは違い、言葉少なの郁。
俺の踏み出す足も小さくなる。
郁の家まで送るつもりだったのだが、駅前に自転車を置いていたのを思い出す。

神社の階段を降りていく俺達の横を、腕を組みながら上がって行く人々。
その顔は対照的だな。

どんなにゆっくり歩いても、自転車置き場についてしまうのは当たり前の事で。
本当はここで別れるのと郁が言ったのだが、俺は首を振った。
”電車に乗って”という郁の言葉を制して、自転車を受け取り、郁の家まで送る事にした。

いくら自転車とはいえ、祭りで浮いている輩がいるこの辺りを一人で帰す事が出来なかったから。
そういえば郁を家の前まで送るのは初めてかもしれない。
いつもの公園の角を曲がりながらそう思った。

郁の家は住宅街の真ん中にあった。
暗がりの中、少し見えた庭には芝生が広がり、その周りには色とりどりの花が植えられていた。

「本当に駅まで行かなくていいの?」
郁が聞いてきた。
だったら俺が送った意味がないだろと郁の頭に手を置いた。
冗談とも取れる本気な郁。

「また、家に着いたらメールするから」

郁は上目使いで俺を見て
「今日はありがとう、気をつけてね。メール待ってるから」
そう言って俺の渡したネックレスを右手でぎゅっと握っていた。

俺に勇気があれば……。



ゆっくりでいいんだ、ゆっくりで。

と思う俺がいた。
結局俺は勇気が出せないまま、手を挙げ踵を返した。

首筋をすーっと撫でた生暖かい風。
心の中を誰かに見られたようなそんな感じがした。

あっという間に過ぎた楽しい時間。
終わってしまえば寂しい時間になってしまう。
目線に金魚を持ち上げて、じっと見つめた。
ちょいと苦しそうに見えなくもない。
きっと、今頃郁の家では、この狭いビニール袋から抜け出て自由に泳ぎ回っているに違いないこいつらの連れ。
全匹あげてもよかったのだが、どうしてか手元に残してしまった。
今日の証にしたかったのかもしれない。

しかし、俺の家に金魚鉢なるものはあるのだろうか?
そんなことを考えながら電車に揺られた。