電車通学

彼女の不安
待ち合わせの場所に着いたときからその違和感はあった。

いつもだったら、真直ぐこちらを向いて立っている圭吾君。
私の姿をいち早く見つけてくれて、あの笑顔を見せてくれるのに。
今日は何だか険しそうな顔をしていた。

もしかして体調が悪いのかもしれない。
始めに思ったことだった。

映画館に着くまでぴったりと寄り添って歩いて、しっかりと握られた手に安心したのだけれども。何だか上の空みたいな、そんな感じ。
私の話に相槌打って、笑ってくれたりもするのだけれど。
段々といつもと違った胸のドキドキに襲われてきた。

会話を探そうと、そんなことは最近では考えた事がなかった。
例え、沈黙が続いていても心地よささえ感じていたのだから。

映画館に入って2人並んで座って映画をみた。
大好きな女優さんでご機嫌な私だったのに。
ちらりとみた圭吾君の横顔は――唇を噛んで今まで見たこともないような顔をしていた。

この映画嫌だったのかもしれない。
申し訳ない気持ちになってしまい、女優さんの表情もおぼろげにしか覚えていないほど集中出来なかった。

どうしようもない不安に駆られてしまう。
もしかして、もう私の事……

始めっから分かっているんだ。
圭吾君よりも私の方が好きだって事。
あの何も知らなかったあの頃から。
一緒にいて、実は思ってた人とは違いました。
そう言われてしまうのではないかという不安は始めの頃に比べると減ったけれど、全く無くなったということもなく。心の片隅にあった事。

もしかしたら、今日何か言われてしまうかもしれない。
さっきの変なドキドキは収まってはくれなかった。

だとしたら、それまで楽しんだ方がずっといい。
少しでも私の事を知って貰って、それで駄目ならしょうがない。
気を取り直して、自分の中で気合を入れた。

私の好きなもの。一つ一つ説明していく。
熊さんでしょ、ガラス球でしょ、お花に、アイス。
本当は一番好きなのは、圭吾君だけど。
こればっかりは、言えなかった。
私がそんな言葉を言ったところで喜んでくれるとは思わないから。
もし、別れたいって思っていたのなら尚更の事。

でも、私の気のせいで。
圭吾君の体調が悪いだけなら。そんな淡い期待を込めて何度も何度も聞いてしまった。
でも圭吾君は大丈夫だよって言うばかりで。

時々、大きなため息をついていた。
きっと知らないうちについているのかもしれない。
日暮れも近づいてきてそろそろ帰る時間。

いつものように、私の家まで送ってくれて。
その間も小さなため息は続いていた。
いっそのこと私の方から。
そう思ってみたけれど、やっぱりそんなことは言えなくて。

気まずい雰囲気の中その時間はきてしまった。
圭吾君は
「じゃあ、また」
そう言って最後はいつもの笑顔を見せてくれて。
――また―― という言葉にほっとしている自分。
願いを込めて
「気をつけてね。またね」
と手を上げた。

踵を返した圭吾君は途中一回振り返って、何か言いたそうな顔をして。
私の心臓はこれでもかっていうほど大きく波打った。
圭吾君は目を細めて私を見るだけで、そのまま前に向きなおし角を曲がってしまった。

家に帰っても食欲は湧かず、こんなことは今まで無かったかもしれない。
部屋に篭って、携帯に手をかけた。
電源を落としてしまいたい。
ふと目の端に金魚鉢が入る。
無邪気に戯れているように見える金魚をみて泣きそうになってしまった。

暑さと変な汗をかいてしまった体をさっぱりさせる為、シャワーを浴びた。
頭のてっぺんから流れる雫を見て、こんな私の気持ちも流せたらどんなにいいかと考えてしまう。熱めに設定してあった水温を低く設定しなおして、暫く浴びてみるも何も変わることはなくて。
すっかり冷えた体を拭いて、部屋着に着替えた。

震える手でメールを打った。
先手必勝のように、先に圭吾君からのメールを貰う前に。

――今日はありがとう、疲れてたのかな? あんまり無理しないでね――

自分で打ってて涙が出てくる。
こんな他愛もない文章。

直ぐに返事がきた。
左手で胸を掴みながらボタンをクリック。

大丈夫だよ。次は花火大会だね。楽しみだよ。

ほっとしてか、体中の緊張がとけようなそんな感じ。
背中がくにゃりと曲がった。

まだ、大丈夫。
自分に言い聞かせたけど。

私は携帯を持ち直し、電話を掛けた。
「もっしもーし」
相変わらずのテンションだ。
一瞬声の出なかった私に
「郁? どうした?」
と優しい声が胸に沁みた。

しゃくりあげるほど泣いてしまって、言いたいことが伝えられない。
桜は
「大丈夫だよ。きっと今は気持ちも高ぶっているから、明日ゆっくり話を聞くから。あのケーキやさんに11時。どう?それまでに言いたいことを纏めておくんだよ。今日はゆっくりやすみな、ねっ」
そう言ってくれた。

私は
「うん」と一言かえすのが誠意一杯だった。

ケーキが美味しくて評判のお店。
奥には選んだケーキと飲み物を飲むことが出来るスペースがあって。
当然のことながら、ある程度の時間になると席は埋まってしまう。

別段やることの無い私は待ち合わせ時間よりもずっと早くに店に出向いていた。
案の定、席は殆ど埋まっていた。
通りに面した奥から2番目の席に腰を下ろす。
私の背中側には、同じ年くらいだろう女の子達。
後ろにくっついた席の女の子の髪が綺麗で思わず見とれてしまった。

運ばれてきたカフェオレにたっぷりの砂糖を入れて、銀のスプーンでクルクルとかき混ぜる。
ミルクの上に乗っていた砂糖が静かに沈んで見えなくなった。
まだ熱いそのカフェオレを一口含んで、息を吐く。
そして、一人、入り口を見ながら頬づえをついた。

どのくらい時間が経ったのだろう、カフェオレが底をつく頃に桜がやってきた。
「早かったんだ。それよりなんなのその顔は、クマになってるじゃん」
開口一番、桜は私の顔を見てそう言った。

自分でも分かってる、でもいくら冷やしたところでクマは取れなくて。
赤い目だけはかろうじて、ひいたかな。

桜がきたことで、もう一度注文を取り直して、ケーキも頼んだ。
桜は、静かに私の顔を見るだけで何も言ってこなかった。
私から、話をするのを待っているんだよね。

ケーキが目の前に並ぶのを目で追って。
それからやっと私の口が開いた。

毎日メールを貰っても、2人で何処かに出掛けても、本当に圭吾君は私の事を好きでいてくれているのか、分からない事。
好きと告げてくれたのは、始めのあの日だけだからこそ、一緒にいるようになって、圭吾君の思っているような子ではなかったと思われているのではないだろうかという不安。
昨日のデートも上の空で、不機嫌そうな顔をしていた事。まだ一度も自分の気持ちを伝えていない事。

堰を切ったようにまた溢れ出した涙と共に一気に話した。
話し終えたら、桜の目が一瞬見開かれた。
私は流れる涙をハンカチで押さえて、桜の顔をそれ以上見る事が出来なかった。

「バカだね、郁は」
「あんた、バカ?」

ガタっという音と共に、桜の声と後ろの女の子の声が重なって。

「なに言ってるの、りょうこ」
と言う声が後を追った。

りょうこ……

後ろを振り返ると、そこにはさっきの綺麗な髪の子が立っていた。
瞬間頭の中でフラッシュバック。
そうあの駅のホームで圭吾君の腕に絡んでいたあの女の子。

あまりの驚きに涙が引っ込んてしまった。
僅かな沈黙の後、彼女の声が響き渡った。

「あんたは、ちっとも圭吾の事が分かってない。圭吾はね、今まで、誰一人にだって自分から電話を掛けたことはないわよ。圭吾から何処かに行こうなんて誘ってくれたことなんて一度だって無かったわ。人がどんなに、面白い話をしたって、ちっとも笑ってくれない。いつだって、本に負けて――。それがなに?メール貰っても?出掛けても?あんたはちっとも圭吾の気持ちの事なんて考えたことないでしょ。一度しか好きって言ってもらったことがないって。私なんか半年付き合ったって、一回もそんな事言われたことないわよ。こんなの子に私が、私が――」

それはすざましい勢いで。
最後は涙声で。
歯を食いしばりながら私を見下ろす彼女は今でも圭吾君を好きなんだって全身でそう言っているみたいだった。

ドクドクと周りに聞えてしまうのではないかというほどの鼓動。
何が起きたのか分からないし、分かりたくもなかった。
ただただ情けないだけの私がいた。
すると桜が席を立って、興奮しているりょうこさんの前に手を出した。

「私、沢渡桜。宜しくね」
そう言ってりょうこさんの手を取るとつかつかと出口に向かっていって引っ張っていく?
振り返った桜は
「今ので良く分かったでしょ。自分の気持ちを言うこともせずに相手の気持ちばっかり求めちゃ駄目なの。あとは良く考えなさい。そうそう後ろの友達の人、ちょっとこの子と出掛けるから、解散ねー。じゃあ」
そういって、店から出てしまった。

残されたのは、2人分のケーキと紅茶、そして、伝票だった。