電車通学

2人乗り
あれほど楽しみにしていた花火大会だというのに少し沈んでいる。
それもこれも、俺の……。思い切り頭を振って気持ちを切り替える。楽しみだって言ってくれたじゃないかと。

本当はお揃いで。とほんの少しだけ頭を過ぎったのだが、そんなものは持っているはずもなく。
一人で男物の着物を買いに行くなんて事は出来なかった。
結局いつもの格好でこの場所に立っている。

郁は俺の駅まで来ると言ったのだが、浴衣姿の郁を一人で電車に乗せることなんて出来ないだろ。
なんで分からないんだろう。
いろいろな気持ちの入り混じった複雑な気持ちのまま、この駅で待ち合わせをするとメールを打ったんだ。
メールでよかった、郁にあんな不機嫌な顔見せられないから。

結局あの後、俺は郁になにも言えなかった。
だからあの気まずい雰囲気のまま。一人でいるとどうしたって考えてしまうんだ。

考えるのはよそう。折角の花火大会じゃないか。何度目か解らない気を取り直して腕を組み、俯きかげんに郁を待つ。
遠くでカランコロンと下駄がなる音がした。

少しだけ踵を引きずるような歩き方。
郁だ。
足音だけで分かってしまうなんて。
どんだけ俺は郁のこと好きなんだか……

顔を上げた俺の前に現れた郁は、約束通り浴衣姿で。

息を呑むという経験を初めてした。
一度吸い込んだ息を呑み込んでしまった。
小説には度々出てくるこの表現。
嘘くせぇと思っていたのだが。
なるほど、納得だ。

約束はしてくれたが、あんな別れ方をして、もしかしたらという気持ちがあっただけにその嬉しさは相当なもの。
郁も始めに見た顔はどことなく不安そうな顔をしたが、きっと俺の顔が目に入ったのだろう少しだけ頬を赤らめてニコッと笑ってくれた。

自分の顔は前にいる郁と同じ位赤かったと思う。
何せ俺は一瞬で体が熱くなったのだから。

セーラー服ともワンピースとも違うそれ。
一人で着たのだろうか?
歩いてきたようだが、浴衣の乱れは全くなく。衿の抜き加減も全くいやらしくもなく。
髪を三つ編にしてから結い上げたその髪型は、容赦なく首筋をあらわにするもので。
大きい朝顔の浴衣は、郁の柔らかいイメージそのもの。
思わずごくりと唾を飲み込んでしまいそうになった。

やっぱり一人で電車に乗せなくて正解だな。

「おまたせ」
と消えてしまいそうな声なのは照れがあるのだろう。

「待ってないよ、浴衣凄く似合ってる。」
それ以上言葉が出てこなくて、そっと郁の手をとった。

風呂上りなのか、隣に並ぶ郁からは一歩踏み出す度に、甘い石鹸の香りがした。
まだ時間が早いせいか、人もそんなに多くはなかったが、郁の隣に人が並んで歩くのをみると変に感ぐってしまう。
もっと向こうに行きやがれってな具合に。
いつも以上に指先に力がこもった。

改札を潜って駅のホームへ。
一緒に電車に乗るのは初めてということに気がついた。
郁も同じことを思ったようで、2人で顔を見合わせて笑った。

電車を待つ間、2人で会話をするんだけれど、どうしたって、郁の首筋に目がいってしまう。
白くて奇麗な肌が、目について離れなかった。

そんなこんなで、郁の気持ちがどうなんて事、すっ飛んでしまった。
電車の中もさほど混んでいなくて、いつものようにドアの前へと進んでいく。
郁をドアの前に寄りかからせて、自分は郁を覆うように立ってみる。
ふと、あの日の郁を思い出してしまった。
こんな華奢な体で、大勢の人に押しつぶされるなんて、さぞかし苦しかっただろう。
それよりなにより、郁に密着した野郎がいるかと思うと、本気で転校を考えたくなる位だ。
マジで笑って悪かった。
ふいに郁が顔を上げた。

圭吾君もしかして、今思い出してたでしょ

俺にだけ聞えるような小さい声で少し頬を膨らませて。
その顔は止めてくれって。何だか煽られてるみたいな感じが。
つり革を持つ手を額に当てて、顔の熱を確かめた。
大丈夫か俺?

声には出さず曖昧に笑ってみせた。
車掌のアナウンスが会場となる俺の地元の駅名を告げた。
そっと郁の肩に手を掛けてホームに降り立つ。
一緒の電車からは花火大会へ行くだろう浴衣姿もちらほら見えた。

「初めて降りたよ」
と微笑む郁。

心の中で、これからはちょくちょく降りて欲しいものだと思ってみる。
自転車置き場まで一緒に歩いて、自転車を取り出す。
自分の自転車ではなく、荷台のある母さんの自転車を借りてきた。

まだ、明るくて花火大会までは時間がある。
俺は郁を自分の小学校へと誘ってみた。
零れんばかりの笑顔で
「うん」
と答えてくれた郁。
いつもの自分の風景に郁が居ることが無性に嬉しかった。
もしかして、無理と断れるかもしれないと思いながら、自転車の荷台を勧めると
間髪入れずに返事がきた。
「重たいって言ったら、泣いちゃうからね」
と。
舌をだしながら、郁は遠慮がちにチョコンと荷台に腰掛けた。

気合を入れて、ペダルを踏み出すと全く抵抗がなくて、普段男を乗せているせいだろうか、軽いなんてもんじゃなかった。
ふざけて
「重いかも」
って言ったら、浴衣なのに自転車から飛び降りようとして、一瞬にして背中が凍った。
慌てて
「嘘に決まってる」
って言ったら
「私も冗談だよ」
って。
顔が見えないから、分からないけれど怒ったかもな。

座った時と同様に遠慮がちに回す手。
落ちたら困るからと言って、郁の手を俺の腰にがっちりと回させた。
自分でそうさせた癖に、体の反応は正直で……
それをごまかすために、普段付き合いのない同級生の家まで説明を始めてしまった。
兎に角、何か話していないと落着かなくて。
微妙に当たる胸が、これ以上ないくらい心臓を加速させる。
失敗だっかかも。嬉しさよりも、恥ずかしさが勝ってしまった。
でもこれから行く花火大会の雰囲気や、隣に並ぶ浴衣姿の郁に堪えられるのか、心配になるのも事実だ。

そのせいで益々口数の多くなる俺。
郁に話す隙を与えなかったほどだ。
ペダルをこぐ足にも力が入って、郁が下駄を飛ばさないように必死で足を上げていることなんか気がつきもしなかった。

後になって、太ももが筋肉痛になったとの報告で判明したことだった。

俺が勢いよくペダルをこいだせいか、無駄に話しをしていたせいか、知らぬ間に学校の前に着いていた。
久し振りに来た学校。
いつもだったら、日曜日は閉まっている校門も今日は花火大会という事で開放してある。
会場からあまり離れていないこの場所は、結構穴場で、既に場所取りのビニールシートが校庭を半分埋めていた。

俺は校庭ではなく、中庭を通り校舎の前に。
どの教室だったとか、職員室はあっちだとかそんな説明。
そして一番連れて行きたかった飼育小屋の前。

前に聞いたことがあるんだ。
郁がアヒルを飼いたがっていた事。
でもそれは叶わぬ話でせめてと思った自分達の学校の飼育小屋には数匹のウサギと凶暴なにわとりしかいなかったって事。
なんであひるなんだ?と思ったけれど。

いつしか公園のアヒルに近寄ったけれど、みんな逃げてしまって近寄らせてくれなかったんだって残念がってたから。
郁は目を輝かせて、飼育小屋の前にへばりついた。

可愛いー

喜んでもらえたみたいで、ちょっとほっとした。
金網の前に座り込んだ郁。
上から見下ろすとそれはまた必要以上に俺を動揺させる姿で……。
だって、背中が、背中が。
俺はそんな郁を見られるわけもなく、思わず背中を向けてしまった。
目の毒だ。
そんなことばかり考えているって知ったらどう思われるだろう。

暫く、アヒルの観察をした郁は満足したらしく、アヒルにむかって
「また来るからね」
って言っていた。

アヒルにむかって”また来るから”って。
やっぱ郁だよな。
知らぬ間に顔が緩んでしまう。

そろそろ行こうか

また校庭に目を向ける。
子供の数も増えてきた。
校庭の角にあるジャングルジム。
あそこはこの学校でも一番のポイントだったりすると説明すると、
私も登りたいと言い出した。
だから、浴衣だろって頭をコツンと押してみた。
冗談だってって笑いながら目線はジャングルジムにある郁。
心の中で、結構本気だったんじゃないのか?なんて。

本当に郁と一緒にいると飽きることはないよな。
改めて思った。
学校を出て花火大会の会場へ。
人も増えてきたので、学校に自転車は置いていくことにした。
これ以上心臓が早く動いたら、危険だ。

自転車をこいだ時とは対照的に下駄の郁に合わせてゆっくりと歩き出した。
石鹸の香りはまだ変わらぬまま。
自転車を置いたのにも関わらず、どうしようもなく、ドキドキしてしまう俺がいた。