電車通学

2人乗り2
引き出しにしまってあった浴衣を昨日の晩に引っ張りだしてカーテンレールに吊る下げて、付いてしまった折り目を伸ばして。

シャワーを浴びてバスタオルを巻いたまま、ベットに腰掛けて浴衣を見上げた。

お母さんにバレてしまった。

あら、やっぱり浴衣着るのね
って。
少しこそばゆかったり。

でも。ちょっと迷っているんだ。
着てっていいのかな?
何だかあの時と今とでは温度差がある感じ。
私の気持ちも上がったり下がったり。
まるで空気が萎み始めた風船みたい。

結局あの後、桜とは話せぬままっていうか、話すことは話すけれど肝心な涼子さんの話は全然してくれなくて。
何があったのかは凄く気になるのに、桜の口は貝になってしまった。
桜曰く、自分の気持ちが一番大事なんだよ。
って。分かってはいるんだけれどね。

一応、一人で着物は着れるのだけれど、髪は今一自信がなくて、お姉ちゃんに頼んである。
時計の針は刻々と進んで、もう支度をしなくてはいけない時間だった。
頑張れ郁。
自分に気合を入れて、浴衣に袖を通した。
クローゼットの扉を開けて全身を写しながら、衿を抜いて。
おばあちゃんにもお母さんにも言われている事。
あわせもそうだけど、衿の抜き加減が一番重要なんだよ。
と。
頭の後ろに手を回して、衿を引っ張り上げて。
下げすぎず、上げすぎず。
この頃合が一番難しい。
大事なのは分かっているけれどこれでいいのか不安にもなる。
朱色の帯を蝶の形に整えて、正面を向きなおす。

こんな感じかな。

着崩れないように歩幅に注意して、お姉ちゃんの部屋のドアをノックした。
お菓子を頬張りながら、ドアを開けたお姉ちゃんは一つ頷いて私を部屋に入れてくれた。

私の部屋にはないドレッサーの前に座らせられて、おもむろに髪を一掴みされる。

「上手になったね、浴衣の着付け。」

どうやら、衿の抜き加減は合格のようだった。
昔かっらお姉ちゃんに髪を結ってもらっていた。
性格からは想像できないけれど、お姉ちゃんは結構器用で何でもこなすタイプ。
唯一、こなせないのが車の運転だったりということは家族一致の内緒の話。
これが一番危ないんだけど。

お姉ちゃんが櫛を使って三つ編を2つ結い上げて、手際がいいのに奇麗に揃って本当に上手。
その三つ編をクルクルっと上に巻き上げて、Uピンで留めてくれた。

髪を下ろしていた時とは感じが全く違って。
自分で見てもいい感じかな?思わず頬が緩んでしまった。
鏡越しに見えたお姉ちゃんもにっこり笑っていた。

仕上げにこれかな。

と呟いたお姉ちゃんは、淡いピンクのグロスを唇に乗せてくれた。

「郁、可愛い。襲われちゃうかもよ」
なんて。

ないから、そんな事……。

浴衣と揃いのおばあちゃんお手製の巾着袋。
財布とハンカチにティッシュ、それに携帯。
何度も確認してしまった。

そして、出掛ける時間。
「折角、浴衣着てるんだから」とお姉ちゃんが、駅まで送ってくれると言ってくれた。
一瞬引いてしまったものの、駅まで歩くのはちょっと辛いかもと思った私はあの日以来乗っていなかったお姉ちゃんの車に乗せてもらうことに。
ちょっと早いけれど、待ち合わせ場所に向かった。
思ったよりお姉ちゃんの運転は怖くなくなっていて、やっぱり器用なのねと思ってしまった。

待ち合わせ時間が近くづく程心臓が小波たって、正直会うのが怖かったけれど、車の中でのお姉ちゃんのテンションが高くて少しだけ緊張が解けたみたいだった。
いつもの公園まで送ってもらった。

「郁、帰りは……」といいかけたお姉ちゃんは、そっかそうだねと独り言を呟いた後
「あんまり遅くならずに帰って来るんだよ」
って送りだしてくれた。

「ありがと、気をつけて帰ってね」
と車を見送った。

下駄の歯がアスファルトに反響して、コツンコツンと音を立てる。
なるべく音を立てないように気をつけながら待ち合わせの場所へと一歩一歩進んでいく。

少しだけ、目線を下げてその場所へ向かう。
待ち合わせ時間まではまだ20分以上あるから、今日は私の方が先だろうと思ったのに。
私の視線にはナイキのシューズにインディゴブルーのジーンズ。
スラリと長いその足は。
目線を上げるとやっぱり圭吾君で。

やっぱり怖い気持ちはあったのだけど。
だけど、圭吾君は零れんばかりの笑顔を見せてくれた。
浴衣で大丈夫みたいだった。
怖い気持ちは消えてくれたけれど、同時に恥ずかしさが出てきて。

「おまたせ」
声が少しかすれてしまった。

「待ってないよ、浴衣凄く似合ってる」
そう言って私の手を取ってくれた。

まるで指先にポンプが付いているみたいに一瞬にして、手が汗ばんだのが分かってしまった。
桜の言葉を思い出す。
自分の気持ちが一番だよ。
そうだよね。今日こそ言わなくちゃだよね。
圭吾君の手の暖かさを感じながら、自分に誓った。

改札を通って、2人で電車に乗るのが始めてなのに気がついた。
口に出すと圭吾君も同じことを考えていたようで、2人で顔を見合わせて笑ってしまった。
いつもは擦違ってばかりいる電車に2人で乗ることが嬉しかった。

ホームに電車が着いて、手を繋いだまま電車に乗り込んだ。
奥のドアに立つと、目の前に圭吾君が。
背の高い圭吾君。
さほど混んではいなのだけど、他の乗客から押されないように覆うようにたってくれて。
まるで、抱きしめられているみたい――。
電車が少し揺れて背中がドアにぶつかった。
途端に思い出した、そうカエルになったあの日の私。
ふと、圭吾君を見上げるとなにやら考えているようで。

圭吾君もしかして、今思い出してたでしょ
と聞いてみたら、返事の変わりに微妙な笑い。
絶対思い出したんだ。
忘れて欲しいのに、本気でそう思った。

そのうち、アナウンスが圭吾君の使う駅名を告げて。
圭吾君の手が私の肩にかかってホームに促される。
いつもは通り過ぎるこの駅。
「初めて降りたよ」
と口にした。

そして、駅の外へ。電車の中から見える風景とは違って見えるから不思議。自転車を取りに行って、そうしたら、まだ時間があるからって圭吾君が通っていた小学校に誘ってくれた。
圭吾君の事をまた一つ知れる自分が嬉しかった。

そして、自転車の後ろに乗る?って言ってくれた。
間髪入れずに返事をしてしまった。
やってはいけないことだって分かっているけど、やって見たかったんだよ。
ちょっと憧れてました。
重たいって言ったら泣いちゃうかもって言ったのに、重いかも?なんて。
こんな冗談を言えることが、少し距離が縮まったかもなんて思ってしまって、前を向いている圭吾君に見られる心配もなく、にやける顔を抑えられなかった。
そんな私に衝撃が。
恥ずかしくって、遠慮がちに回した手をお腹の前まで引っ張られて。
少し余裕の出てきたはずの私の緊張は突然マックス状態。
圭吾君の背中にぴったりとくっついて。
動揺して下駄が落ちないように必死で足を上げることに集中してしまった。

圭吾君は自転車を漕ぎながら、友人の家や溜まり場だった公園などいろいろなところを説明してくれた。そして、学校へ。
校庭には花火をみる人が置いたシートがすでに半分ほど。
結構穴場なのだと教えてくれた。
圭吾君が向かったのは飼育小屋だった。
そこにはアヒルちゃんがいて。

前に話したアヒルの事を覚えていてくれたんだ。
たわいもない会話を覚えていてくれたことも嬉しくて。
本当に圭吾君の事を分かっていなかたのは自分の方だって改めて思った。
金網ごしにアヒルちゃんを堪能して、立ち上がった。
いざ、花火大会の会場へと。
学校を出る時に、ジャングルジムの上でよくみたよって。
私も上がってみたかったけれど止められてしまった。
ちょっと残念だったりして。
自転車を学校へ置いて、2人で並んで歩くことに。
私の歩幅をちゃんと気にしてくれて、ちょっとさっきの自転車で太ももが張ってる気がしたけれど、圭吾君と並んで歩けることが嬉しくってそんなことは片隅に。

私の頭の中では、圭吾君にいつ自分の気持ちを伝えればいいのか、そんな考えがグルグルと巡っていた。