電車通学

花火
「結構な人だね。私こんな近くで花火見るの初めてかもしれない」
郁が顔を向けて話しかけてくれるけれど、その――何ていうか、いつもと違う浴衣姿の郁を直視出来なくて。
耳元に纏わりつく虫を払う振りをしながら
「結構大きく見えるよ」
とそっぽを向きながら言ってしまった。

さっきから、俺の鼻腔をくすぐる郁の香りと、どうしたって目線を下げると入ってしまう首筋にどうしようもない程の胸の高鳴り。
繋ぐ手は、多分俺だろう緊張からくる汗でしっとりと湿っていて。
中学生かっていうの。
郁と一緒にいると、初めての経験が多くて、正直どう対処したらいいのか良く分からないんだ。
真治曰く、思ったことを口にすると嬉しいんじゃないのか?なんてそんなことを言ってたけれど、俺にはさっきの浴衣似合ってるで精一杯だ。

それに、この気持ちを正直に話したら引かれそうだぞ。
こんなことなら敬遠していた恋愛小説でも読んでりゃよかったかも。
人の熱気に押されながら、繋いだ手をしっかりと握り直した。

夜店が隙間なく並んだ土手まで来るといろいろな匂いが入り混じって、郁の香りも薄らいできた。ほっとした自分と残念に思う自分。
郁はというと既に屋台を物色中らしい。
目線がきょろきょろとしている。
マジ可愛い。
首筋同様、会った時に目に入った郁の唇。
いつもとは違って、少しだけ濡れてキラキラと光っていた。
どれだけ目の毒なんだか。
っていうかこれに反応しない男がいない方がおかしいだろ。

浴衣にうなじに唇に。
大丈夫か俺。

この花火大会は土手を降りた河川敷がメインの会場で、いつもはサッカーや野球をするグラウンドいっぱいに、主催者がビニールシートを敷いてくれている。
家族連れやカップルなど結構の人が既に席を確保しているようだった。
ざっと見渡して比較的すいている中ほどに座ることに。
その前にたこ焼きと焼きそば飲み物を買った。
準備万端だ。

郁が浴衣の裾を奇麗に揃えて座った瞬間に一発目の花火が打ちあがった。
オープニングにふさわしく大輪の花火が夜空いっぱいに広がった。
あちらこちらから歓声や拍手。
郁はというと歓声を上げることもなく、拍手をするわけでもなく,花火の残り火というのだろうか疎らに落ちてくる火の粉をじっと見つめていた。
まだ立ったままの俺は郁の顔を上から覗く形で……
次の瞬間、すーっと郁の目線が下にさがって。

俺が見ているの気がついたのだろう。
一瞬はっとした後に

近くで見る花火って圧巻だね。突然お腹に音が響いてくるんだもんびっくりしちゃったよ。それに凄く大きくて、思わず息を呑んじゃった、と。

郁の顔を見れば喜んでくれたのがよく分かった。
ほっと一安心で俺はしゃがみこんだ。右側の郁を意識して、右手は郁の腰の後ろ辺りに。
少しだけ、触れる浴衣の袖がくすぐったかった。

一発目の花火から少し間をおいてから本格的な花火大会が始まった。
定番の大輪の花火から始まったのだが、次からはスターマインと呼ばれる花火で間髪いれずに打ち上げられる花火は見事だった。
中にはUFOの形をしたものやキャンディの形をしたもの、それにハートの形をしたものまで、いろいろな形や色とりどりの花火。
郁もやっと気持ちが追いついたようで、先程とは違い花火が上がる度に歓声をあげていた。

俺はというと、花火よりも隣にいる郁が気になってしまって、夜空を見上げながらも半分の意識は郁に向かっていた。
暑さと緊張も手伝ってか喉が乾いて仕方がない。
ゆっくりと手を引き、さっき買ったばかりなのに、既に気の抜け始めたコーラを口に含んだ。

郁も少しは俺のことを気にしてくれているのだろうか?
そう考えて首を振った。
いいじゃないか、こんな郁を近くで見れるのだからと。
間違いなく、今ここにいるのは俺なのだからと。
何度繰り返したか分からない自分への問いかけ。

この花火大会の会場に来てからというもの、郁は花火に見入っていて。
俺はというと、いつもにも増して至近距離にいる郁に心臓が大きく鼓動を打ちまくって普段に増して気の利いた言葉も出てこなくて。
ついつい、食べ物に頼ってしまう。
あの祭りの時のように、たこ焼きと焼きそばを半分づつに分けて。
そんな俺とは対照的に花火を見ているせいだろうか、俺と違って箸の進まない郁。
あれだけ食べることが好きなのにだ。それも好物と豪語しているたこ焼き。
気になっていた。
俺が言葉が出てこないのと同様に郁もいつより言葉が少なくて。
というよりは俺に対してなんだけど。
花火に向かっては何やら言っているんだよな。

花火も終盤に迫ってきたこともあり、思い切って聞いてみた。
食べないの?と。

すると、ちょっと顔をしかめて言葉を濁した。

食べてもいいよ。

って。どうしたって言うんだ?
もしかして、腹の調子が悪いとか?それともトイレを気にしているのだろうか?
だとしたら、言い辛いよな、などと勝手に思っていたのだが。
郁がやたらと浴衣の帯をさすっているのに気がついた。

もしかして、帯がきつくなると思ってか?

それならそうと言ってくれればと思うのだが、それは男と女の違いなのかもしれないなと考え直す。
どちらにしても、聞かない方がいいのかも知れないと。
俺は遠慮なく、郁のたこ焼きに串を刺して、口元に運ぶと。
郁の熱い視線を感じた。

やっぱり我慢しているんだろうな。
そう思うと何だかおかしくて、たこ焼きを郁の口元に持っていくと、反射的に口を開けた郁。
ポンとたこ焼きを放りこんだ。

ちょうど大きめな花火が上がって郁の顔を照らす。
昼間見たいに明るくなって、郁のまんまるになった目が良く見えた。
固まったままの郁を尻目に

旨いよな

て言ってみると、口をもごもごさせたまま顔を俺と反対の方向に向けてしまった。
恥ずかしかったのかもしれないけれど、反対側には人が座っているんだぞ。
そう思った傍から、ほら郁の隣にいる2人組。男は彼女を通りこして郁を見てないか?
頭で考えるより先に手が……。

郁の頭を横から自分に引き寄せてしまった。

そして今、俺の口元には郁の頭があるわけで。
やっと、たこ焼きと焼きそばのソースのおかげで紛れていた、郁のからのシャンプーの香りがこれでもかというほど鼻孔をくすぐる。

俺は――気づかぬうちに郁の髪に唇を寄せていた。
腕から伝わる郁の強張った体。
押し返されないのは、嫌じゃないから?それとも押し返そうにも固まってしまったからなのか?
そんな事を考える余裕があったは不思議だった。
そして、これは花火がくれた力なのか、郁の髪に唇をのせたまま。

好きだ。

自然とその言葉が出てきた。
郁の気持ちじゃなくて、自分の気持ちなんだと。

すると俺の腕の中で動かなかった郁の手がすっと動いて、俺のシャツの裾を掴んだ。
そして、言ったんだ。

私も圭吾君が大好きだよ

と。
今度は俺が固まる番だった。

夜空の花火はクライマックスをむかえ、次々に上がり会場を切れ目なく明るくさせていた。
体いっぱいに感じるはずの花火の音も、これでもかとばかりに咲き誇る大輪の花も俺には全く記憶がなくて。

突然沸き上がった歓声と割れんばかりの拍手で我に返った。
宴の終わり。ひと際大きな最後の花火が上がったようだった。

花火が終わり会場から帰る人々がシートから立ち上がり始める。
離したくないと思ったが、さすがにこのままでいられるはずもなく郁の頭から腕を下ろした。

目の前には残ってしまった郁のたこ焼きと焼きそば。
恥ずかしくて顔を見れないのは郁も一緒だったようだ。2人の視線はたこ焼きに注がれていた。

食べよう。

そう言って俺は郁の手を引き、人の波に逆らって土手の斜面へ。
たこ焼きの入っていたビニール袋を地面に置き、そこに郁を導いた。
もう少しだけ、2人でいたかったんだ。理由なんてなんでも良かった。

言葉少なに2人でたこ焼きを食べながら、店じまいをする屋台の人々を見下ろしていた。
そして、ぽつりと郁が

この角度だと、あんまり上を見上げなくても花火が見れそう。来年はここから見てみたいな

と。言い終えて直ぐに、慌て始めた郁。
独り言だよとか、来年は受験だとか何とか。

独り言なんかにさせるかよ。
だってそうだろ。
来週でもなく、来月でもなく、一年先の約束だろ。

自分でも抑えが効かないほど顔が緩んでしまっていた。