電車通学

花火2
この前見たテレビで、脈が早い人はそれだけ心臓に負担が掛ってなんて言ってたけれど。

私、非常にやばいんじゃないだろうか?

それは、暑いからでもなく、早足で歩いているわけでもなく、隣に圭吾君がいるから。

この前のあの香水いっぱいのおばちゃんに電車で遭遇してからは、においや香りに敏感になってしまった。一種のトラウマかもしれない。ってトラウマっていうのは大げさか。
ともかく、反応してしまう自分がいたりするんだ。

男の子=汗臭いという図式がなんとなくあったけれど、そんな事は全くなくて。
例えようのない胸を締め付けられてしまうようなその圭吾君の香りに、ついクラクラしてしまったり。
後……花火大会が終わったら、自分の気持ちを伝えようって考えているから余計にそう思うのかもしれないけれど。

このままじゃ、何を口走るか分からないよ、実はさっきもお姉ちゃんに突っ込まれた。

その独り言怪しいからって。

一つ呼吸を置いて、
「結構な人だね。私こんな近くで花火見るの初めてかもしれない」
上ずらなくて良かった。ただ会話をするだけなのに、いつも以上の緊張感。
さっきまでの私は良い感じだったのに。
頭の中で学校で会ったアヒルちゃん達を思い描く、リラックスだ。
話掛けるタイミングが悪かったのか、圭吾君は顔の周りに纏わりついている虫を払いながら、結構大きく見えるよって横を向いて教えてくれた。

心の中でいけない想像。
あの人、地元の人って言ってたよな、同じ中学だと。一緒に見た事あるのかな、なんて。

駄目駄目、そんな昔の事考えちゃ。違う事、違う事。

一歩進む毎に圭吾君から香ってくるのは、シャンプーの匂いなんだろうか?ちょっと、気が緩むと容赦なく鼻をくすぐるこの香り。
そんな時、これまでとは比べ物にならない程、周りに人が。きっと目指す会場は近いんだろうな。

土手の上に差し掛かると、それは見事な光景で。大好きな屋台がいっぱいあるよ。
上手い具合にソースの香りも辺りに広がっていて、心臓の鼓動を抑えるのにはちょうど良かったかも。
だけど……
お祭りの時みたいに、フルコースっていうわけにはいかないだろうな。巾着を持った手でそっと帯をさすってしまう。
浴衣好きだけど、それが難点だったりするんだよね。
好きなだけ食べるときっと苦しくなっちゃう、こんな時でも食欲がある事がおかしかった。

流れゆく人の波に紛れ、ゆっくりと土手を進む。
さっきから、圭吾君は口数が少なくなっているのに気がついた。
けれど、時折合う目は優しい目をしていて、この前みたいな不安は全くと言っていいほど感じなかった。

急に進みが悪くなり、流れが止まった。小さな声で圭吾君がもうすぐだからと、教えてくれた。
その顔はとっても柔らかい顔で、やっと落ち着いた心を再び暴れさせる効果はばっちりだ。
次に私の視界に広がったのは、大きなグラウンドいっぱいに広がるシートの海。

市の観光協会が力を入れているだけあってとっても準備が良いんだよ、と。
シート近くの屋台で、圭吾君はたこ焼きと焼きそばと飲み物を買ってくれた。

目の前の好物を食べられないほど辛いものはないのに――。
私の事情を知らない圭吾君は
これははずせないよな、とこれまた満面の笑みを見せてくれた。必殺スマイルと命名します。

人のざわめきで良く聞き取れなかったけれど、どうやらもうすぐ花火が打ち上がるらしい。
圭吾君がシートの中程に連れてきてくれたその時

ダイレクトに伝わる花火の音、そうそれは体中に響き渡って。
夜空には、これでもかといわんばかりの大輪の花。
初めて間近でみる花火に圧倒されてしまって、思わず息を呑んでしまう。
息を止めて、ゆっくりと落ちてくる花火の残り火を消えるまで目で追っていた。

周りから聞こえる歓声と拍手に我に返り、私の目の前でまだ立っていた圭吾君と目が合った。
よっぽど間抜けな顔をしていたに違いない。
穏やかな笑みのような、それでいて笑いを堪えているかのような。
ぼーっとした顔を見られて恥ずかしくって、今見たばかりの花火の事を言ったと思う。正直なんて言ったのかは記憶にないんだけれど。

だって、その後圭吾君は私とぴったりくっついて座るから。
圭吾君の右手がね、少しだけ浴衣を掠るの。
分かっているこうやってぴったりと座るのは、ここは花火大会の会場でいっぱいの人がここに座るからっていうこと。

自意識過剰だって思われちゃうかもしれないけれど、その距離は大事にされているように思えて、頭のてっぺんから足の指先までもが緊張が走った。

頭の中は爆発寸前で、花火に集中とばかりに隣の圭吾君を見ることなく、ずっと夜空を見上げっぱなし。
勿論、花火はとっても綺麗で、見飽きる事は全くなくて。ただ上をずっと向きすぎてちょっと首が痛かっただけ。

途中、圭吾君がコーラに手を伸ばした。
すーっと離れていく腕にちょっとほっとしてしまって、圭吾君に分からないように小さく息を吐いた。
さっきまではあんなに食べたいと思っていたたこ焼き。
あんまり食べれないかもと思ったのはあくまで帯の事だけの話で、食欲はばっちりあったはずなのに……。もうすぐ近付く告白のタイムリミットが近付いたせいなのか、ちっとも箸が進んでくれなかった。
自分自身にまだ緊張するのは早いからと、花火に向かっていちいち感想を言ってみたりして気を紛らわせる私。
そんな状態で圭吾君の顔なんて見る余裕もなくて、話し掛ける事だって出来なかった。

私が食べない事を不思議に思ったのだろう、圭吾君が”食べないの?”ってちょっと心配そうに聞いてくれた。そりゃそうだと思う、私だってこんな事は初めてだよ、これぞ予想外だ。

まだ帯は大丈夫そうだけど。
実際は告白前で緊張して、食べれませんだなんて言えるわけがない。
そう思いながら、理由は言わずに、食べてもいいよって言ったんだ。

圭吾君は”じゃあ遠慮なくって”ってたこ焼きに箸をつけて口元に。

瞬間、私の頭の中はとんでもないことを考えてしまっていた。
たこ焼き相手に

羨ましい、って。
きっとたこ焼きを熱い視線で見てしまったんだと思う。
圭吾君の口元まで運ばれたたこ焼きは、あろうことか私の目の前にやってきた。
それに反応して、口を開けてしまった私。次の瞬間、ぽんと私の口の中に。

これって、もしかして間接キスとかいうものでしょうか!
圭吾君は何とも思ってないみたいだけど、これってそうだよね。
たこ焼きが羨ましいって思ったのは、ちょっと前に座るカップルが花火の合間に唇が触れ合うのが目に入ってしまったからだった。

自分の心の中を見透かされているわけじゃないのに、圭吾君は何とも思っていないって言うのに、そんな事を思ってしまった私は多分じゃなくて、顔が真っ赤。
花火が上がって、会場は昼間みたいに明るくなって人々を照らしている。
私もその中の一人。堪らなくなって、あからさまに横を向いてしまった。

突然振りかえった私に、隣に座る人が何事だ?と視線を向けたその時だった。
一瞬、何が起こったか分からなかった。
気がついたら、さっきよりも、ずっと近く。近くなんてもんじゃない。

私は圭吾君の腕の中にいた。

夢じゃないよね。そう思うけれど首から肩にかけて見える圭吾君の腕。
そして、私の頭の上に圭吾君の重みを感じた。
私の髪に、圭吾君が顔を埋めたみたくて。

周りに聞こえないような小さな声だったけれど、私の頭にダイレクトに伝わる圭吾君の響き。

好きだ。

の言葉。泣きそうになった。
まだ好きだって思ってくれている事に、違うな。そうかなと思う自分とまだ信じられない自分がいたんだ。

本当は、私が言おうと思っていた言葉。
頑張れ郁、自分にエールを送って、圭吾君のシャツを掴んで少しだけその勇気をわけて貰って。

私も圭吾君が大好きだよ

と。初めて伝えることが出来た。
圭吾君は何も言ってくれなかったけれど、今まで以上に回された腕に力が入ったから。
包み込むように抱きしめてくれたから。

あれだけ夢中になっていた花火なのに、気がついたら最後の花火を打ち上げた後だった。

シートからは帰る人々が一斉に立ち上がって私たちの横を通り過ぎていく。
首筋を風が撫で、圭吾君の手が私から離れことに気がついた。
それは、今日のこの楽しい時間が終わってしまう事を意味する。
ちょっと近付いた2人の距離。もう少しだけでも一緒にいたいと思ってしまうのは、欲張りになってしまったから?

そうは思うけれど、真正面から圭吾君の顔を見れなくて、目の前にあるたこ焼きに目が行ってしまう。
圭吾君が何かを言って、返事をしてしまったけれど本当はなんて言ったか聞こえなかった。
そして、手を引かれ着いたのは先程いた場所を見下ろせる土手の斜面だった。
もう少しだけ、タイムリミットが伸びた事に嬉しさを隠しきれなくて、多分ずっとにやけた顔をしていたと思う。
私の食欲も復活して、2人でたこ焼きを頬張った。
気が緩んだんだと思う。

この角度だと、あんまり上を見上げなくても花火が見れそう。来年はここから見てみたいな。

圭吾君が私を見る目で、またやらかした事に気がついてしまった。
せっかく、お姉ちゃんが釘をさしてくれたというのに。図々しいよね、だって来年の事を話すなんて。
慌てて、思いつく限りの事を言ってみたら、突然私の口の前に圭吾君の人差し指が。

来年は、ここに場所取っておくから。

眼鏡の奥の透き通った目を細めて言ってくれた。
人の波が落ち着き始めてから、その場所を立ちあがった。

来た時と同じように、私の駅まで送ってくれて。
迎えに来てくれたお姉ちゃんに、挨拶までしてくれた。

お姉ちゃんの方がぎこちなくて、隣で見ている私は面白くて笑いをこらえるのに必死で。
2人に、軽く睨まれてしまった。
それが、緊張の糸を解いたみたいに、雰囲気が柔らかくなって。

そこで、別れるのかと思いきや、お姉ちゃんは暇だからと圭吾君を無理に車に乗せてしまって。乗ってしまったが最後、私たちはお姉ちゃんから質問攻め。
さすがの圭吾君も頭をぽりぽりしながら、苦笑いしていた。
思いがけない、時間の延長もあと言う間に終わってしまう。周りをみたら圭吾君の使う駅前に着いてしまっていた。今度こそ、本当のバイバイだ。

帰り道、以前よりもずっと上達したお姉ちゃんの運転。
2人きりになったその車内では、更に激しい突っ込みが入ったのだった。