電車通学

登校日
やばいって。
何度も頭を振って追い出してみるけれど、”大好き”と言ってくれた郁のあの声が頭から離れない。
あんなに悩んでいたのが、もうずっと前のような、そんな気がした。

「かったりぃよな、何で高校にもなって登校日があるんだって圭吾お前聞いてる?」
目の前にどアップになった真治の顔、思わずのけ反ってしまった。

「聞いてない」
自分の世界に浸ってしまったのがばれてしまったようだ。
思いっきり、にやけた顔で大きく頷いている真治。

こいつが口を開く前に
「言わないぞ」
と凄んでみたが、真治には全く効かないらしく。

「おっ、とうとう郁ちゃんと――」
真治の言葉が終わらないうちに、思いっきり頭をひっぱたいた。

「暴力反対! 図星だからって照れてるんじゃねえよ」
頭をさすりながら、まだにやけてやがる。

「図星ってなんだよ。意味分かんねえ」
そのにやけた顔を鎮めやがれってんだ。

すると真治が俺の耳元で囁きやがった。
「決まってるじゃん。あれだよ、あれ」
真治の声が終わると同時に
「何にもしてない」と反射的に答えてしまった。
言った瞬間に、またやられたと思った。
俺って、騙され易いのか? 誘導尋問ってやつだろこれ。

「ふーん。そうなんだ。へぇー」
まだ何か言いたそうな顔をしていたが、そこに助けのチャイムが鳴った。

「また、あとでな」
そう言い、背中を向け自分の席に腰を下ろす、そうこいつは俺の前の席だったりする。

何があとでだ、あとはない。
ってうか、報告することなんて無いし、もしあっても言うわけないだろと心の中で呟いた。

午前中といえど、3階の窓際とあってかなりの日差しだ。
時折吹く風がカーテンを揺らす。入ってくる風は既に熱風だ。
頼りない扇風機が頭上で唸っているけれど、そんなものは対して役に立たなくて、休み慣れしてしまった俺達はこの教室の中いっぱいに気だるい雰囲気を醸し出していた。
だけど、俺の隣のこいつだけは違っていたようだ。真治が去ると、直ぐに声を掛けられた。

「久しぶりだね、浅野君」
小首を傾げて、にこっとしているこいつ。
夏休み直前に席替えしたから、名前もはっきり思い出せない。
取り敢えず”ああ”と返事をしてみた。

夏休みはもう何処かに行った? 宿題はやった? だの質問されている。
心の中ではお前は誰だ? 何なんだ? とも思ったが、その質問に答えている俺がいた。
変わったか、俺?
そして
「さっき、真治君と何話てたの? 楽しそうだったね」
ときた。
さっきの会話を思い出し、なんでお前に言わなくちゃいけないんだと反射的に横目で睨んでしまった。
つい、真治にする癖が出てしまったようで、マズイとは思ったが取り繕うもの何だか変な気がして、そのまま黒板をじっと見つめていた。
隣のこいつはやっと静かになってくれた。
というか、さっきの言葉を最後に何も話さなくなったというのが正解か?

チャイムに遅れて入ってきた担任が、隣のこいつと同じような質問をして、最後には規律有る生活を送るようにだなんて言ってる。

机の上に投げ出した指にカーテンから零れた日差しが当たる。
指先を見つめながら、この指が郁の髪を掠めたんだと思うと……。
髪に触れたのを思い出すだけで、こんなに意識してしまうなんて。
この先、もっと郁に触れることが出来たのなら――俺はどうなってしまうのだろう。

1限の現国が終わる時間をチャイムが告げると、隣の席の女は足早に廊下へ向かっていった。それを目の端で追いながら、また郁の事を考えていた。
隣の席が郁だったら良かったのにと、いや隣の席だなんて贅沢は言わない、せめて同じ学校だったならば。何度思った事だろう。

次の時間になっても、隣の席は空いたままだった。
具合でも悪くなったか?位にしか思わなかったのだが、どうやらそれは俺のせいだったらしい。
今、俺の席の前には3人の女がいる。
隣の席の美奈子という女がいかに俺に会いたがっていたかを、淡々と語っている。
どうやら、先学期の終わり雰囲気の柔らかくなった俺に期待をしたらしいとのこと。
俺はただ黙って、彼女達の話を上の空で聞いていた。
何が言いたいのかさっぱり分からなかった。
笑って会話してやれとでも言いたいのだろうか。

そこに、見ていられなくなったのか真治が首を突っ込んできた。
「まぁまぁ。こいつさ、今彼女とすっげー良い感じで周りの子が目に入らないんだよね。だからさ、勘弁してやってよ、なっ」
気持ち悪い程の笑みを浮かべてそう言った真治。

何も言う気にはなれず、俺は一人揺れるカーテンを目で追っていた。
その言葉を聞いてからか、彼女達は何処かにいったようだった。

「お前さぁ、分かりやす過ぎ。もうちょっとこう、上手く出来ないかねぇ、相手は女の子なんだからさ、こんな圭吾見たらきっと郁ちゃんに。なっ」
真治は言葉を大きく省略してそう言った。
「お前は上手くやりすぎだよ」
と言ってやった。

暫くして、隣の椅子が引かれる音が。
俺はまた前を向いたまま
「さっきは、悪かった本気で睨んだわけじゃないから」
言われたからじゃないからな。前の席で肩を揺らす真治の背中にそう呟いた。

「私こそ、べらべらとごめんね。」
か細い声が返ってきた。

「いや」
そう短く返事をした。

その瞬間、真治の肩がより一層大きく揺れた。
俺は真治の椅子を足で蹴飛ばしてやろうかと思って踏みとどまった。
丁度、携帯が震えだしたからだ。机の下で、こっそり携帯を開くと1通の新着メール。
送り主はあの桜だった。

題名 「今日の郁」
今日の郁?これが気にならないはずがない。

写メだった。
そこには教室で、不意打ちで取られたのだろう友人らしき女と自然にほほ笑む郁が映っていた。郁も今日は学校だ。
これは永久保存版だな、自分の頬の緩みが直りそうもない。いつもは苦手な桜に感謝しようと思った瞬間に目に入ってしまった。
郁の後方に小さく映った一人の男が。
その視線は何だか郁に向いているような気がしてならなかった。
愛おしそうな顔をしているそいつ。
さっきまでの、郁のあの声も吹っ飛ぶ程の衝撃だったかもしれない。
暫く元に戻らなそうだと思った頬が引き締まるというか、全身が固まっている。
焦りだす俺。このくそ暑い教室にいるっていうのに、背中がすーっと凍ったようなそんな感じ。違ってくれよと願ってみるも、あれだけ可愛い郁の事を好きになる奴はきっと沢山……。
桜は、気がついていて俺にこの写メを送ってきたのだろうか?

授業中だというのに、俺は立ち上がってしまった。
そして、勝手に口が動いた。
「先生、具合が悪いので帰ります。」
と。何事か?と振り返った真治に一つ頷いた。
「大丈夫か?浅野。一人で帰れるか?」
担任の言葉に
「はい、今ならまだ帰れそうなので。」
そう言ってお辞儀をした。一刻も早く学校を出たかった。
「おう、じゃあ職員室で早退届出して先生の机に置いて帰りなさい。」
「はい。」
そう言って顔を上げずに教室を出た。
職員室に行くのももどかしかった。