電車通学

ケーキの甘さ2
それはとっても突然で。

ちょっと掠れた圭吾君の声。

私の顔には圭吾君の手が添えられて――。

一瞬の事だったけど、圭吾君の柔らかい唇が私の唇に落ちてきた。

本当にこんな私でいいの?
緊張しすぎてお腹とかなっちゃう私だよ。
頭の中ではそう思うけれど、私の口からはびっくりするほど素直な言葉が出てきた。
普段だったら絶対言えない言葉。

まだドキドキが止まらない。
体のあちらこちらに力が入ったまま。
ほっぺが異様に熱くなってる。

「俺、本当に郁の事好きだから」
もう一度降ってきた圭吾君の声。

夢の中と勘違いしてしまいそう。
これは現実なんだよね。

「私の方がずっと圭吾君の事好きなんだから」
小さく呟いた私の声が聞こえたようで

「俺だって負けないし」
なんて。びっくりするような言葉が返ってた。

その後、圭吾君が何か呟いたけど私には聞き取れなかった。
もういっぱいいっぱいだったから。
心臓がいくつあっても足りなそう。

「あー俺も郁と同じ高校だったら良かったのにな」

「本当だね。私も圭吾君と一緒だったら良かったのになって思うよ」

これからある体育祭や修学旅行。
一緒に時間を共有できたらどんなに楽しいだろうって思う。
でもそのぶん、いっぱい嫉妬もしそうだけどね。

圭吾君がそう話し出してくれたおかげで、少しずつだけど緊張がほぐれてきたみたい。
だけど、どうしたって唇の感触は消えてくれなくて。
会話をしながらも、圭吾君の口元に目がいってしまいそうになる私は怪しい人みたいだ。
上の空だったのかもしれない。
だって、耳の奥にはさっきの圭吾君の声がまだ残っているんだから――。

思いだしたら、また顔が熱くなってきたかも。
何やってるんだろう私。

「郁?」

圭吾君の眼鏡のフレームが少し傾いた。私を覗きこむ圭吾君は直ぐ近くに顔がある訳で。
目の前のレンズにはうっすらと私の顔がうつっていた。
恥ずかしくなって視線を逸らした先に一枚の写真が目に入った。
バスケットのユニフォームを着た集合写真。
遠目に見ても直ぐに解った。今より少しだけ幼い顔の圭吾君。

「あの写真は中学の時だよね」
そんな解りきった事を聞いてどうするんだろうって思うけど、聞いてしまったものは仕方が無い。
圭吾君は後ろを振り返ると
「地区大会で2位だったんだ」
って教えてくれた。

ちょっと前に聞いた事ある。バスケットをしていたんだ、って。
聞いちゃいけないような気がして聞けなかった。
どうして続けなかったの? と。

「見てもいい?」
圭吾君が頷くのを確認すると、膝の上で、さっきの私達の事を全部見ていただろうケーキを床に置いて圭吾君の机に近づいた。
綺麗に整頓された机の上に一つだけ置かれたフォトスタンド。
まだ眼鏡をかけていないのか、バスケをする時だけ外しているのか解らないけれど眼鏡をしていない圭吾君がそこにいた。
初めて見たかも眼鏡を外した圭吾君って。
眼鏡もいいけど――。どちらもかっこいい事には変わりが無い。

「強かったんだね」
ここら辺はバスケが盛んな学校が多いから地区大会で2位なんて凄い事だと思う。

「そうかも。この時の試合も惜しかったんだよ。あともうちょっとだったんだ。けれどそれも実力のうちなんだよな。だから、この写真みんな笑ってないだろ。微妙な顔でさ。悔しくって泣きまくった後で写真なんか撮りたくないって言ったのに顧問がいいから撮れって。その時は何だかなって思ったけど、今じゃこの写真が一番いいのかもって思ってるんだ」

ゆっくりと話してくれた圭吾君。少しだけ細められた目。きっとその当時を思い出しているんだろうなって思った。

勢いで聞いてしまった。
「続けなかったんだ」

圭吾君はちょっと苦そうな顔をした後
「膝をやっちゃったんだ。今はもう何ともないけどね」
と笑った顔は少し淋しそうに見えてしまった。

「残念だったね」
そう言った私にまた爆弾が降ってきた。

「後悔はしてないよ、部活に入らなかったからこうやって郁と出会えたんだから」

圭吾君って。どうしてこう私の寿命を短くするような事言うのだろう。
やっと落ち着いてきたとこだったのに。
ふと思い出した、膝を痛めたって――。

「桜もそうなんだよ。中学の時、陸上部でね。最後の大会で足を痛めて続けられなかったんだって。やっぱり桜も今は大丈夫だって。だけど時々校庭を見てるんだよ、切なそうな顔して。速かったみたいだからきっと悔しいんだろうなって」

「そっか。あいつもなんだ。でも俺は違うって言ってるだろ。郁に出会えなかった方がよっぽど後悔だっつうの」

圭吾君は本当に解っているんだろうか。
本当におかしくなりそうで、もう何も言えなくなってしまった。

ふと見上げた時計。
随分と時間が経っていたのに気がついた。
外はもう暗くなり始めて、カーテンの向こうに見える街灯に明りが灯されていた。

「もうそろそろ……帰るね」
私の声に圭吾君も時計を見上げた。

「もうこんな時間なんだな」

一日がもっと長ければいいのに。
私には忘れられない日になった今日と言う日。

「郁、これ食べていくだろ?」
悪戯に笑う圭吾君、手には私の食べかけのケーキがのっていた。

「うん、勿論」
それはいつもの雰囲気で。
いつもらしく帰れるかなって思っての言葉だったけど。
本当は唇の感触を消したく無くて。
何も食べたくなかったなんて言えないかった。

唇に触れないように大きな口を開けて食べたの気がつかれなったかな。
そんな変な心配もしたりして。

食べ終わると用意してきた紙袋に圭吾君の学生服を丁寧に入れた。
頭の中に、次にここに来るのはいつなんだろうなんて思ったもの内緒の話。

名残惜しみながら、圭吾君の部屋を出ると、奥から圭吾君のお母さんが出てきてくれた。
「良かったら、夕食と思ったけど今日はお家の人も用意しているでしょうからね。今度は是非食べて行ってね」
その言葉がどんなに嬉しいか。
私は圭吾君と約束もしていないのに
「はい、宜しくお願いします」
なんて言ってしまって。圭吾君の顔を見れなかった。
そして、渡されたケーキの箱。
「私が選んだケーキだから間違いないはず。また来てね」
とお土産まで貰ってしまった。

「ありがとうございます」
これでもかってほど頭を下げてしまった。

「じゃあ俺、郁送っていくから」
いつもより少しだけ低い圭吾君の声だった。

「ちゃんと送るのよ」

「当たり前だろ」

そんな会話を聞いて顔が緩んでしまう。
うちにはお姉ちゃんしかいないから、そんな会話も新鮮だったり。

「お邪魔しました」
最後まで笑顔で見送ってくれた圭吾君のお母さん。
素敵なお母さんだった。

「駅まででいいからね」
そう言う私に
「却下。ちゃんと送らせて」
と荷物を取り上げられた。

いつかのように、圭吾君の自転車の荷台に2人乗り。
秋に入ろうとするこの季節。
頬を撫でる風は私の熱を冷ましてくれようとするのだけれど、そんなものじゃ追いつかなくて。

本当に夢みたいだな。
なんて思っている私がいた。