電車通学

やっぱりな
「圭吾頼む。基礎解析の宿題見せてくれ」
両手を合わせて頭を下げるのはいつのも事。

「ごめん、無理」
期待していた言葉と違うからさぞかし驚いたんだろう。真治は合わせたままの手を下げ目を丸くしていた。
いつもだったらなんだかんだ言ったって断った事はないんだが、今日ばっかりは仕方無い。
俺だってやってないんだから。

「圭吾そんな事言わないで頼むよ。俺さっぱりだったんだって」
そんな口を窄めて気持ち悪いって。
「違うんだよ、俺もやってねえんだよ。見せてやりたくても見せられないんだ。だから無理」

「珍しい事もあったもんだ。なんかあったのか?」
神妙な面持ちでそう言われてもな。
普段だったらちゃかす癖に、普通に心配されてるし。

「いや、ただ忘れただけだから」
昨日はそれどこじゃなかったんだ。
口元まで出かかるけれど、言ってしまたら嬉しさが半減するようでこれだけは絶対言わないと決めていた。

「それなら良いけど、バイトきつかったら減らすなりなんなりしないと大変だぞ」

「別に。って言うかお前に言われたくない」
つっけんどんな話し方は予防線を張っているのかもしれない。自己防衛だ。

「ふーん」
頼む、それ以上突っ込むなよ。探るような目で俺を見るんじゃねぇって。
俺はいたたまれず、机の中から読みかけの本を引っ張り出した。

「圭吾、やらない気か? 余裕な顔しないで早く宿題しようぜ」
どうやら真治はこの休み時間に宿題をすると思ったのか、前の席の椅子を引き、机の上にノートを広げた。
「面倒くさいから、いいよ俺は」
しおりを頼りにページを捲る。
本屋で働く特権は、宣伝を見なくとも新刊の小説を見つけられる事だ。
電車の中吊りや新聞の広告欄に載っていない良作、秀作ってのも結構あるからな。

指先がかわいているせいでページが捲れてくれなくて、右手の人差し指を下唇にあてた。
その瞬間、昨日の郁がフラッシュバック。
やばいと思った時にはもう遅い、したり顔で俺を覗きこむ真治がいた。

「圭吾、顔赤いぞ」
どうやら、本に何か書いてあったと勘違いしてくれたようで、本の前に顔を突き出して、じーっと文字を追っているよう。
危ない危ない。思わずほっと息を吐きそうになって慌てて息をとめた。
こんな時の真治の勘、えらく鋭いからな。用心に越した事はない。
未だ文字を追っている真治を尻目にまだ乾ききれない指をページの隅に押し付けた。

「お前が期待する事は何にも書いてないって。それより誰かに見せて貰った方がいいんじゃねえの」
机から落ちそうになったノートを指さした。

「何か怪しいんだよな」
なんて呟きながらも、周りの奴らに声をかけ始めたのを見てようやく胸を撫で下ろせた。
この次に郁に会えるのは、明日か明後日か?
せめて同じ学校だったらな。何度思った事だろう。
ましてや、今年は修学旅行もあるから尚更の事。
誰とも知らない同級生に嫉妬をしてしまうなんて可笑しすぎだろ。
っていうか想像もしたくないけど。

この時期はくっつく奴が多かったりする。
修学旅行を目の前に俄かカップルっていうのだろうか。
郁も、そんな野郎に狙われたりとかしないだろうか?
一度始まった妄想はとどまる事は無くて、そんな事を考えていたらチャイムの音も気がつかなかった。

「やっぱさ、今日の圭吾おかしいよ。ぼーっとしてないか?」
放課後、真治がしつこいったらない。
と言っても真治は俺の具合を心配しているみたいなんだけど。

「別に、おかしくないって」
ほんと、あんまり話掛けられると碌な事ないからな。
上の空だった俺に、真治は突然思い出したかのように話しだした。

「そういやさ、俺はいつ郁ちゃんに会えるんだ? 確かそのうちって言ってなかったか?」
真治にとったら何気ない一言だったのかもしれないが、俺にとったら昨日の今日な訳で。
特に顔に出る郁だから……って俺も郁の事に関しちゃ同じなのだが。別に真治に会わせたくないって訳じゃないけど。こんな事ならもっと前に会わせておけば良かったのかもしれない。

そんな別にとって食おうってのじゃないんだから、ケチケチすんなって。
真治の大きな独り言が聞こえてきた。

「いや、郁 今忙しいんだよ、今週は体育祭だし、修学旅行や委員会とかあるらしくて。俺だってあんまり会ってないんだよ」
頭の中で尤もらしい事を並び立てて言ってはみたけど。

「ふーん、何か俺に会わせたくない理由でもあるかと思ったよ。忙しいんじゃ邪魔しちゃ悪いな」
そっかそっか郁ちゃんとこも修学旅行かぁ。

また俺の考えたくない事を。きっと最後の呟きは俺に対しての嫌味だな。
そう言えば――。
郁の体育祭って土曜だったよな。
そっか、そこに真治と行くって言う手もあるのかも。
いや、待て。あの格好を真治に見せるのも……。
バイトは2時から。だから綾南から行くとすると。
真治の事はさておいて、郁の学校からバイト先までの移動の時間を頭の中で逆算をしていたのだが。

こんなもんだよな。
体育祭当日の朝。郁からのメールを見てやっぱりなと窓の外を睨みつける俺がいた。