迷いみち

13話
さて、どうしようかな。
まだまだ時間がある。
喫茶店のカウンターでコーヒーをもう1杯頂けばよかったかもしれない。
そう思いながら、足を進めた。
天気が良いとはいえ、冬の真っただ中。
冷たい風が身にしみた。

結局私はデパートに入り、時間を過ごす事に。
いつもは子供の服ばかりで、自分の洋服なんていつ買ったのが最後なんだか……
お洒落には縁遠い生活をしている私にとってデパート洋服は、何処か他の世界のようなそんな感覚がしてしまう。
だけど、今日はいつもと違うんだと考え直す。
お金の余裕もそんなに無い我が家だったけれど、今日は特別だからねと一枚セーターを購入した。
普段の私なら絶対手を出さないちょっとした贅沢なセーター。
その一枚の洋服を買うのにも真剣に見て回ったせいか、結構な時間が潰せた。
言われた時間まであと30分になっていた。
久し振りに買ったセーターを大事に胸に抱えデパートを出た。
ミモザは駅の反対口だ。

初めてその店にいったのは成人式だった。
その後は旦那と何回か……ってまた旦那の事を思い出してしまった。
私の人生って狭いんだよな、思い出す事は殆ど旦那に繋がってしまうのだから。
大きなため息が零れてしまった。

ようやく着いたミモザ。
年末とあって忘年会シーズン。
店の入り口は込み合っていた。ちょっと昔と感じが違って見えた。
黒服に纏われた店員に、発起人だと言っていたアラケンの名前を出すと店の奥にあるテーブル席に通された。
そこには既に見知った顔が座っていた。

「純ー久し振り、やーん純ってば変わらないねー」
小さく手を振るのは恵理子だ。ビシッときめた化粧は大人の女って感じがした。それに洋服も。

「久し振りだね、恵理子は一段と綺麗になったじゃん」
変わる事が良い事なのか、変わらない事が良い事なのか分からないけれどそれが素直な気持ちってのだからね。

恵理子は化粧品メーカーに勤めているようで、今日も仕事だったそうだ。何だか納得、恵理子にはぴったりだと思った。因みに独身だそう。

「後何人来るって?」
恵理子に聞くと

「さぁどうだろ、いつもは5、6人かな。声掛けて都合のいい人ってだけだから今日はどうだろうね。それより、純の子供アラケンの担任なんだって? アラケンの先生ってどんな感じ?」恵理子はそっちに興味津々みたくて、顔を前に近づけてきた。
その時、恵理子から香水の香りがした。甘くとろけそうな良い香り。
私が男だったら、ドキッとするかもしれない、なんて思いながら「子供にも親にも評判良いよ。」と告げていた。
本当のところは知らないけれどね。

薄暗い店を見渡すと、隅にある小さいテーブルには、2人組が何組も顔を近づけて座っている。遠目で見ても、皆2人の世界っていうのかな、仲の良さが伺える。
耳に心地よいジャズのベースが響く店内。雰囲気は最高だ。私も嘗てこの店を何度となく使った事があるのは、この店の雰囲気が2人を近づけてくれるような感覚になってしまったりするからなんだよね……

この店、他の店とは違うのが、奥の方に団体専用のルームがあるところ。
入り口で、時を待っていた集団が奥の部屋に行くと、途端にざわめきがなくなり、いつものミモザになっていた。


今日、アラケンに会うのが怖くてしかたなかった。
それは自分が初めて恋を知ったあの頃のように、ときめいてしまいそうで。
精神的に、弱った私に優しい言葉を掛けてくれるアラケンにすがってしまいそうで。

アラケンに効いた携帯の番号。掛けた事は一度もなかった。
アラケンの方は1か月に1度の割合で、たまに電話が掛ってきていた。
俺もストレス溜まってるんだよと、愚痴をいうのだ。
雑談を5分ばかりして、電話は終わる。アラケンは、私を心配して電話をしてくれている。勿論それは子供の事を心配してっていうのが一番だと思う。
恭平の担任9割、昔馴染みの割合1割みたいなね。
でもそんなアラケンの事が、水面に広がる波紋のように私の心を占めていくんだ。
だから、このひと月程は――

「よっ、早いじゃん」
無駄に明るい声でやってきたのは、他でもないアラケンだった。
丸いテーブルだから、中途半端の所に座るのも無い事なのだけれど、アラケンの足は真直ぐ私の方へ向かってきて、私の隣の椅子を引いたんだ。

「恵理子は相変わらず?」
そう切り出したアラケンに

「まあね」
と何もついていない左手をパッと広げ、顔の位置まで持ち上げるとアラケンに突き出した。

「ふーん」
意味ありげに、恵理子を見ているアラケンは、悪戯っ子だった昔の顔を彷彿させるものだった。
突然久し振りに誘われた私とは違う『一緒に時を過ごしてきた仲間』そう思わせるやりとりに何だか私一人場違いみたいな感じがしてしまった。

2人の会話を聞きながら、ぼっーっとメニューを眺めた。
その背景が解っていないだけに、会話に入ってはいけないような疎外感。
なるべく、邪魔しないようにとそればっかりを考えていた。
だけど目の端に否応なしに入ってしまう横顔。
屈託なく笑うその顔に、少しだけ嫉妬のような思いが芽生えてしまったのを気がついてしまった。かなり自分の世界に入ってしまったようで、近づいてきたアラケンに

「恵理子と亮二、かれこれ10年の付き合いなんだ。お前からも何か言ってやれよ」
耳元で囁かれたその言葉に、顔が熱を帯びていく。
恵理子と亮二の事も引き金だとは思うけれど、耳元で囁いたアラケンに対して、まるで十代の子のような態度をとってしまった自分に冷や汗ものだった。

「タイミングなんだよね……」
ぽつりと呟いた私に、恵理子は

「とっくに来ちゃったよ、っていうか私達早すぎちゃったんだよお互いの『タイミング』がね。恵理子は話終えると同時に、黒服のお兄ちゃんを捕まえて、デカンタでビールを頼んでいる。

「だって、初めはビールでしょっ」
と、赤い舌を少し見せた。

それにしたって、計算合わないでしょ。

居酒屋でくるジョッキではなく、シュット細めのグラスは曇り一つ無くて。
暗めの照明が鈍く光って反射している。

「まずは3人で乾杯しちゃいますか。」
アラケンがデカンタから器用にビールをグラスに注いだ。

それにしても、デカンタって……
そう思ったのだが、これで正解だと行きつくまでに5分と掛らなかった。
細い体に、どれだけ入るのだろうと思うほど、恵理子の身体の中に消えていくビール。
恵理子曰く
「何度も呼んじゃ、可哀想でしょ」
とのことだ。

確かにそうかも。
まるで一気飲み大会に参加しているように、ゴクリと喉を鳴らす恵理子。
反対に、それを見守るように静かにグラスをあけるアラケン。
私は圧倒されて、恵理子の飲みっぷりを眺めてしまった。

何でも恵理子、初めの数杯はガンガンとビールを呑むらしい。
その後はカクテルに呑みかえて、たっぷり時間を掛けて飲むのがスタイルらしい。
隣でアラケンが教えてくれた。
さっきのように、私の耳元でそう囁いたのだった。

丁度、デカンタが空いた頃、綾子と亮二が一緒に店を訪れた。
さっきのように、綾子とも近況報告会。
そして仕切り直し。

その後、間山や高城、水木なんかもやってきて、さながら同窓会のようなそんな感じ。
たまに集まるらしいみんなと違い、久し振りに会った私は、良いターゲットだった。
面白がって質問攻めにあってしまう。
アラケンは会話に参加せずに、静かに笑みを振りまきながらじっとグラスを傾けていた。