迷いみち

19話
夕方まで連絡を待ったが、今日は金曜日。
旦那はきっと今日も遅くに帰ってくるに違いない。
明日一日留守にする事を伝えたかっただけなのに。
私は電話を待つ事をやめ、メールを打つ事にした。

手早く用件だけを入れたそっけないメール。
電話を待っていた事も付け加えて、送信した。

私が電話を掛ける事なんて滅多にないのだから、そこら辺は察してくれたっていいのに。
不貞腐れてそう独り言を呟くと私はエプロンを脱いで、鞄を手に取った。
黒いストッキング。
確か、後一足だったはず。予備にもう一足、用意しなくてはと私は家を出た。

真っ黒なストッキングを買いに、真っ白なダッフルコートを来て買いにいく。
このコートは、私のお気に入り。
あの日の私達の一部始終をみていたコートだから。
先生が亡くなって、お通夜に行くとというのに私の気持ちはどこか別の場所にあるようで。
いつもだったら、お徳用のものしか買わないというのに迷わず手にしたのはいつもより大分値の張るブランド物のストッキング。
そして、乾燥した肌に少しだけ悪あがきをしようといつもよりランクアップした化粧品にまで手を伸ばした。
一日そこらで変わるなんてありえないって思うけれど。

恭平と晃平が部活を終えて、帰ってきても旦那からの電話はおろか返信さえもこなかった。
私は夕食時に、子供達に明日の事を伝えると、留守番をするとばかり思っていたのに

「久し振りだから、じいちゃんとばあちゃんの顔でも見に行くかな、なっ」
と恭平は晃平にそう言ったのだ。
実際、受験や部活だなんだでここのところ実家に行ってなかったけれど。
そう子供達が考えてくれる事は嬉しい事なのに、アラケンと2人でと思っていた私が残念がっている事に気がつく。
母親失格だ。
子供達には、アラケンが私の同級生だという事は話した事があった。
いつだったか、小学校の卒業アルバムを引っ張り出して見ていた時に、覗きこんできた恭平に
「これ、新井先生だよ」
って、恭平と同じくらいのアラケンを指さした事があったから。
その時はもうアラケンは他の学校に赴任していった後だったから、大丈夫だろうと思っての事だった。

子供達の言葉を聞いて、考える。
アラケンは一緒に行こうと言ってくれたけれど、子供達が一緒なら私達は別に電車で行った方がいいのではないかということを。
夕食を終え、子供達が各々部屋に戻っていったのを見計らってアラケンにメールをうった。
すると直ぐに、携帯が鳴りだした。メールではなく、電話だった。

「もしもし、今大丈夫?」

アラケンの大丈夫という言葉に思わず笑みが零れる。
別に疾しい事なんてないっていうのに。

「大丈夫だよ」
そう返した私にアラケンは
恭平達も一緒に行けばいいと。
喪服を持っていくには、電車じゃ大変だろと気遣ってくれたのだった。
そして
「恭平に代わって」
と。
”えっ”と思わず躊躇してしてしまう私に
「俺にまかせて」
というアラケン。
「解った」
と携帯を片手に恭平の部屋をノックした。

「恭平、ちょっといい?」
私の声に。開いているよと返事がかえってくる。

「恭平、新井先生。覚えているでしょ?」
そう言うと、恭平はなんで? という顔。私と同じで直ぐ顔にでるんだ。
「さっきの母さんの恩師のお通夜の話、教えてくれたの新井先生だから」
私は恭平の部屋に足を踏み入れて、携帯を渡した。

「お久し振りです」
恭平の声。きっとアラケンは小学校の時のままの恭平しか知らないはず。
成長し、声変わりをした恭平の声はあの頃からは想像できないだろう。
ぎこちなさ気だった会話が少し話だすと、笑いを交えた会話に変化していった。
元々、アラケンに懐いていた恭平だけに、きっと懐かしい思いもあるのだろう。
私はドアを閉め、リビングに戻った。

コーヒーをいれて、ソファに沈んだ。
明日会えるんだ。そう思うと自然と頬が緩んでしまう。

明日の服装……
お通夜に行くんだから、控えめな色で何か。
思いついたのは、あの時買ったセーターだった。
実の事を言うと一度も袖を通した事がなかった。
もう何年も寝むりっぱなしになったセーター。
あれを着て行こう。
そうトリップしていた私の前に、きらりと揺れるイルカのストラップ。
顔をあげると、恭平が私の携帯を差し出していた。

「はい。明日1時半に迎えに来るって先生」
そう言うと、部屋に戻ると思った恭平は私の隣に腰を下ろした。

「たまに、連絡しているの?」
その声は落ち着いていて、だけど私は自分の心を見透かされてしまたようで、返事に戸惑ってしまった。
「昨日、久し振りに連絡がきた。恭平が小学校の頃以来だよ」
そう言ってから、はっとした。まるで小学校の頃は連絡取り会ってたみたいじゃない。
昔かっら恭平はその雰囲気に敏感だ。
「ふーん」
という恭平に
「恭平だよ」

「えっ俺?」
何の事だか解らないといった恭平に

「そっ、恭平。先生が何か相談したい事あったら何でも言えよっていったのを真に受けて『母さんが元気がない』って相談してきたって電話をくれた事があった。それだけよ」
本当にそれだけ、あの一日を除いては。

「そっか、そう言われていたらそんな気もするかも」
聞きたい事が聞けたせいか、恭平はソファから立ち上がり

「おやすみ」
と部屋に戻っていった。

恭平の部屋のドアがしまる音を聞いて、ふーっと大きなため息が出た。
大丈夫だったかしら……

時計の針が深夜を周り、私は熱めの湯に身体を浸した。
明日会える。そう思うだけで、風呂の熱さ以上の熱が自分を覆う事が解った。

寝巻に着替えて、寝室に行こうと携帯を手に取るとメールの着信。

「了解。今日は帰らない」
私以上にそっけないメールがきていた。
いつもだったら、悔しい気持ちになるそのメールも今日は何て事なかった。
逆に
「どうぞ、ごゆっくり」
だなんて言える余裕まで出てくるって。私って単純だ。

翌朝、テーブルについた晃平が
「父さん、また帰ってこなかったんだ」
と何の気なしに言ったその言葉。

「そっ。また」
明るく返す私がいた。
そんな私を見た恭平が
「母さんその顔通夜でしたら、ひんしゅくかうぜ」
と。
思わず顔をしかめてしまった。