迷いみち

20話
「お前、恭平か? でっかくなったな」
アラケンの第一声。

「お久し振りです。あの頃は先生がでっかくみえたんだけどな」

「お前、あの頃はって。俺の懐は今でもでっかいぞ」
そんな微妙な会話をしながら私達は車に乗り込んだ。

疑似家族。
本当だったら、アラケンの場所は旦那がいる場所。
だけど違和感なく会話が弾む私達。
正直、旦那と一緒に居る時よりも会話が弾んでいる。
本当の家族の方が偽物っぽいなんて、洒落にならないかも。
通夜に行くというのに、明るすぎる程の車内だった。
笑いながらの楽しいと時間はあっという間に過ぎていく、気がつくと見慣れた風景。
実家まで後もう少しというところだった。

「麻里の家、寄っていくから」
アラケンの口から麻里の事を聞いたのは初めてかもしれない。
麻里は去年女の子を出産した。父さんと母さんの可愛がり方といったらもう大変。
と零していたのはつい最近。麻里と連絡取っているんだぁ。ちょっぴりだけど胸がちくっとした。

「へぇー、先生って麻里さんとも連絡取っているんだ」
私の聞きたかった事を恭平は聞いてくれた。その”とも”って言い方が少し引っかかるけど。

「お前なぁ、俺を何だと思ってるんだよ。教師仲間から今回の訃報を聞いて、俺が連絡掛りになったんだよ。お前の母さんと麻里だけじゃなくて、結構な人に連絡取ったんだって」
笑いを含みながら、恭平にそう答えた。

「ふーん」
昨日と同じ返事。なんか考えてそうな含みのある返事よね。

「そうそう、何で先生は、麻里さんの事呼び捨てにするの?」
今度は晃平だ。
それはね、先生と麻里は若い時に近いところにいたからだよ。心の中でそう呟いた。

「おいおい、お前も良く聞いてるね。じゃあさ。お前達は自分の母さん呼び捨てにされたらどう思うよ。なぁ『純』ってな」

ドン
と身体の中で大きな花火があがったような、そんな感覚。

「俺は別に構わねえけど? 只の呼び名だろ」
鼻で笑ったように恭平はそう言った。
今度はお返しとばかりに、アラケンが

「ふーん」
と言った。

「まあ、あれだ、俺らの小学じゃみんな、下の名前で呼んでたからな。俺みたいなあだ名は珍しい方だよ、俺人気者だったから。なっ」
急にふられてちょっとびっくり。でも

「人気者じゃなくて、お調子者でしょ」
速攻で返してあげた。

麻里の家についてドアフォンを押すと既に喪服に着替えた麻里が出てきた。
麻里の後には、麻里の子、初音ちゃんを抱っこした麻里の母親。
車から出て、挨拶をする私とアラケン。
その様子をじっと麻里はみつめていた。
本当だったら、アラケンはおばさんの息子になったかもしれないのにね。
きっとそう言う目で麻里は見ていたのかもしれない。
ちょっと複雑な想いをしているのでは? と思うのは考えすぎだろうか。
長過ぎた思いを持ちすぎた為、きっとアラケンの事……。
だけど無邪気に笑う初音ちゃんの笑顔を見て考え直す。
今は幸せなんだよね、と。
麻里と視線が絡んだ。
少しだけ唇の端をあげ、笑った麻里。
その笑顔は何を思ってなの? そう勘繰ってしまうどうしようもなく嫌な私がいた。


麻里は晃平を見るなり
「今日はお菓子ないからね」
なんて、言い始めて。麻里は噴き出し始める。
心の何処かに麻里と並ぶアラケンの姿を思い浮かべてしまう。
麻里にとってもアラケンはいつまでも特別で有り続けるのかもしれない。
麻理の背中を押して乗り込んだアラケンの車。
助手席を恭平と交代して、麻里と晃平と並んだ後部シートは真冬だというのに、暑いくらいだった。

「じゃぁ、後で迎えにくるから」
アラケンはそう言い残して去っていった。
両手に荷物を持って実家に入る。
出迎えてくれた母親に
「お久し振りです」
とお辞儀をした麻里をみて
「麻里ちゃん、久し振り。いつ見ても綺麗だね麻里ちゃんは」
なんて。でもそれはお世辞じゃないのは解っている。麻里は本当に綺麗だから。

子供達は早速父の元に行って将棋三昧らしい。
嬉しそうに居間から出ていく父をみて、連れてきて正解だったんだよな。
と改めて思った。
そして残った私達。
女3人集まればっていうけれど、おしゃべりは止まらなくて。
母の
「あんた、もう着替えないと時間だよ」
という言葉を聞かなかったら私は気がつかなかったと思う。

「じゃあ、ちょっと着替えてくるね」
と立ち上がり、あの和室に向かった。
吊るしてある喪服を見て、あと何回これを着るのだろうかと思ってしまった。
サテン生地の喪服は手を通すとひんやりと肌に纏わりつく。
ぶるぶるっと寒気がして全身に鳥肌が立った。

身支度を終え、居間に戻ると一瞬母と麻里の会話が止んだ。
「何、何? 私の悪口でも言ってたとか?」
軽い口調でそう言ってみると

「めっそうもない」
と麻里が間髪入れずにそう答えた。
それは、学生時代の頃のやりとりと一緒で、お互いに顔を見合わせて噴き出した。
変わってないわねぇと言う母の声が嬉しそうに聞こえた。
こういうやりとりが、懐かしかったから、アラケンにお願いしたんだと麻里が口にした。
「おばさんに会いたかったんですよ」
と言う麻里。お世辞ではないだろう。母もより一層目を細めて「いつでもいらっしゃいな」と声を掛けていた。
程なくして、家のチャイムがなった。
実家の玄関はインターフォンではなく、昔ながらのピンポーンという高い人工的な鐘の音。
「ほら、ちゃんとお別れしてくるのよ」
と母に見送られ、私達は実家を出た。
玄関先で母は丁寧に、恭平がお世話になりました。なんてアラケンに声を掛けるとアラケンもまた
「とても、素直な良い子でしたよ」と深々とお辞儀したりしていて、何だか不思議な感じがした。

葬式は先生の自宅近くにあるお寺でおこなわれた。
古くからあるこの寺は結構有名で、周りには樹齢百年以上の木々が社を守るようにそびえたっていた。
生徒を包み込む先生に重なった。
卒業以来、会ったのは一度だけだった。私達の成人式の集まりに顔を出してくれた先生。
懐かしいあの声で
「お前ら、たいがいにしろよ。二十歳になったからって調子に乗って酒呑み過ぎるなよ」って。みんなで懐かしいって笑ってたっけ。
祭壇に飾られた先生の顔はとても穏やかな顔だった。
深くなった皺は笑い顔を強調していて、厳しかった先生の面影は全くなかった。
奥さまの挨拶で「いつも生徒さんの事を考えていました」と聞いた時にはそんな先生を誇りに思う反面、家族はいろいろな思いがあったのだろうなと変な事を考えてしまった。

親族の席にはひ孫さんさらしい子供もいて、お経だけが響く境内の中、無邪気に祭壇の先生にむかって「じぃじ早く起きないかなぁ」という子供特有の甲高い声が涙を誘っていた。

「おまえら、たいがいにしろよ」
目を瞑ればいつでも思い出す事ができる。
麻里と2人、目を真っ赤にして祭壇を見つめた。

焼香を終え、外に出ると訪れた弔問客の中に懐かしい顔を何人も見つける事が出来た。