迷いみち

21話
先生の葬儀には急な話だというのに、各年代、幅広い年齢層の先生の教え子が集まってきていた。私達の同級生もそれに洩れず、地元に残っている人だけでなく、遠方に越した人までもが先生との別れを惜しみ訪れていた。
麻里と私は嘗ての同級生と輪になって先生の話に興じていた。
何の気なしに、やった視線の先。大銀杏の根本で一人佇むアラケンの姿が目に入った。
私はそっと輪を抜け出し、アラケンの元に歩み寄った。

「アラケン」
話しかけた私に、背を向けたまま

「純……かぁ」
とあの頃の呼び名。再会して初めてそう呼ばれ、思わず身を固めてしまった。そんな私に気づく事もないアラケンは背中を向けたまま話始めた。

「俺さ、先生に憧れて教師になったんだ。先生は子供の目線に降りてきてくれて、どんな事でも真剣に耳を傾けてくれた。小学を卒業してから今日までいろいろな先生に会ったけれど、あの先生以上の先生は一人もいなかったよ。もっと元気なうちに会いに行けば良かった」

淡々と語られるアラケンの言葉の一つ一つが胸に響いた。
私も同じ。厳しくって、優しい先生が大好きだったから。

「アラケンもそんな先生になれるよきっと」
それは慰めでも何でもない私の本心だった。

「ありがとな」
その時初めて振り向いたアラケンの瞳から、一筋の涙が零れおちた。
男の人の涙を初めて見たかもしれない。
不謹慎かもしれないけれど、綺麗だと思ってしまった。

「俺さ、小学校の頃先生に相談した事があるんだ。好きなやつがいるって」
そこで一旦区切りをつけて私を見たアラケン。
いつしかのアラケンの言葉を思い出して、自分がかーっと熱くなるのを感じた。

「勿論名前は出さなかったけれど、先生は解っていたかもな。今頃、空の上から笑って見ている気がする。遅すぎだろお前、ってな」
アラケンは、ニカっと笑って皆の方へ歩き出した。
私はどう返したらいいのかも分からずに、複雑な想いのままアラケンの後ろ姿をぼんやりと見つめていた。
後頭部を掻きながら、皆の輪の中に入っていったアラケンを見ていたら、ふと麻里と目があった。私は視線をそらす事なくじっと麻里を見つめてしまった。
すると今度は麻里が一歩一歩私に近づいてくる。
悪い事をしている訳ではなかったが、逃げ出したい衝動にかられる。
麻里になんて言われるか怖かったから。

麻里はにっこりとほほ笑みながら、私の前で止まった。
そして、輪の中に入ったアラケンを見て
「良い男になったよね」と一言。
私はそれにどう返せばいいのか、迷いながらも
「そうだね」と一言だけ返してみた。

「あのさ、純」
そう麻里が言いかけた時

「おーい、麻里、純」
と私達を呼ぶ声。麻里の言葉が遮られた。

麻里が何を言いたかったのか、本当は聞くのが怖かった、だから私達を呼んでくれたその声に安堵したのだが
「麻里?」
私は、麻里に続きを促していた。
私も麻里も少し顔がこわばっていたように思う。
でも麻里は私の声で顔を緩め
「何でもないよ」
と仲間の輪に足を進めた。
何でもないように見えなかったのは、私に疾しい気持ち、そう、アラケンに対する気持ちが只の同級生だという域を超えていたからだ。
複雑な思いで麻里の後ろをついていった。
仲間の輪に戻った私達は、改めて当時の仲間に連絡を取って同窓会をしないかという話を聞かされた。勿論誰も異論を唱える人などはおらず、時期はゴールデンウィーク辺りにと言う事に大方決まった。アラケンを筆頭に、当時から目立っていたやんちゃ連中が仕切る事に決まった。そして、先生をなごり惜しみながらその寺を後にしたのだった。

アラケンの車に麻里と乗り込むと、直ぐに
「私から降ろしてね」
とわざわざ告げる私。そして、アラケンは
「了解」
と短い返事を返した。
車内で麻里とアラケンと他愛もない会話をしてあっという間に実家の前に着いてしまった。

「ありがとう」
とお礼を言ってドアを開けた。
麻里も助手席に移る為に一緒に車を降りた。

「また連絡するね」
とお互い口にして、麻里は私に背を向けた。
車に乗り込む麻里の横顔がちらっと見えた。
アラケンにほほ笑む麻里の顔。
身体の奥からどす黒い何かが沸いてきたようだった。

紛れもない、この感情は嫉妬だ。
自分でそう仕向けた癖に、私は麻里に嫉妬をしていた。
そんな自分にはっとして、慌てて顔を作る。
麻里の髪がさらりと流れ、こちらに向きなおすと、助手席のウィンドウを下げてにこやかに手を振った。

「またね」
走り去る車の音。
麻里の笑顔が私の脳裏に焼きついた。
車を降りると、冷たい風が身にしみた。

玄関先で全身に清めの塩を振りかけて、頭を大きく振る。
嫉妬した自分の思いも振りはらうかのように、大きく頭を振る私。
そんな事をしたって、消えるはずがないというのに。

「ただいま」
そう言って居間に顔を出すと、夕食を終えた皆が団欒している最中だった。
きっと、疲れた顔をしているのだろう、皆口々に
「お疲れ様」と私をいたわる言葉を掛けてくれた。

お茶を入れる為に台所に立っていた母にもう一度
「ただいま」
と言うと
「何か食べる?」
と問う母。お清めの席にあったお寿司を少し摘まんだ程度だったが、先程の事が堪えているのか食欲がわかなかった。
「食べるのはいいや、着替えてくるからお茶私のも宜しくね」
食べるのはいいや、なんて言った癖にテーブルの上にあった唐揚げを摘まんで口に放った。
醤油味の濃い母の唐揚げは久し振り。懐かしい味がした。

台所を出る私の背中に
「お行儀悪いわよ」
なんて、子供に言うようなセリフを言われてしまった。まぁ確かに子供なんだけれどね。
母の言葉は、今は私の口癖になっている。

――お行儀悪いわよ――
自分の物言いとそっくりで、階段を上りながら、苦笑してしまった


私が着替えて、居間に戻ると年末の特番を見ながら皆、大爆笑している。
これを見ると年末なんだよなぁとしみじみ時の過ぎゆく早さを実感した。
炬燵に足を入れると、悴んだ足の指が湿り気を帯び、暖められていく。
私の心もこんな風に暖めてくれたらいいのにと、テレビを見ている皆を見ながら少し虚しくなる私がいた。