迷いみち

6話

「しかし、あんたのとこくると結婚っていうか、子供もいいなって思うんだよね」
テーブルで頬づえつきながら、麻里が呟く。

子供達が寝静まったのを見計らって、麻里がお土産にと持ってきたどこぞの外国のワインを2人でのみ始めた。
今日も旦那は泊まりだそうだ、さっき急になった電話。
最近はもうなれっこだ。

「子供だけ欲しいって? 旦那はいらないの?」
バリバリのキャリアウーマンを地で行く麻里。
部下を従えて、バシッとパンツスーツを着て、ハイヒールをコツコツと鳴らしながら闊歩する姿は似合いすぎる程だった。

「面倒くさいっていったら言い過ぎかもしれないけれど、一緒になってもいいって思う男って大抵売約済みなのよ」
ワイングラスをくるくる回し、真っ赤な液体を揺らして電器にかざす姿もまた様になっていた。
「そういえば、大学の時だっけ? 一人だけいたよね、本気になった人。あんたの嬉しそうな顔見た事あったような」
麻里が顔を赤らめて男の話をしたのは、後にも先にもあの一時だけ、いつも冷めたというかクールに見える麻里が垣間見せた少女の顔。
「あーあいつね。って私、純に話さなかったっけ?」
すっとぼけて言う麻里に
「後で話すからって、逃げられてそのまんまだよ。もしかして私の知っている人だったりして?」
ほんと、なんの気なしに言ったその言葉だったのに返ってきた言葉は私を驚嘆する言葉だった。
「アラケンだよ、新井健一。初恋の人だったんだぁ。あーもう嫌な事思い出しちゃったじゃない! 今日は呑むぞー。純この話をふったからにはちゃんと付き合いなさいよね」
そう言って手にしたグラスをグーッと傾けて、こくりこくりと喉を鳴らした麻里。

恭平の担任なんだよ、アラケンが。
そう言いたかったはずなのに。
今日はその話で盛りあがろうと思っていたはずなのに。
帰り際に言われたさりげない一言に動揺して、麻里に言えなかった私。
まさか、こんな方向からアラケンの話を聞かされる事になるとは思いもしなかった。

大学の合コン先で偶然居合わせたらしい2人。
その当時流行り始めた、ポケベルの番号を交換したらしい。
何度か呑みに行ったという。
特定の相手がいなかった2人は何度かの帰り道、自然に身体の関係に。
意地っ張りな麻里は、好きだなんて言えるはずもなく。
そんな関係が暫く続いたそう。
「それでも、幸せだったんだよね」
当時を思い出し、目を細める麻里は目尻にうっすらと涙を浮かべていた。

やっぱりここで言わないと、後で他から話を聞かされたのでは麻里の事だ、何を言われるかたまったもんじゃない。
タイミングっていうのは外すと碌な事がおきないのは今までの経験上、学んだ事だ。
私は一度、深呼吸をすると麻里を見つめた。

「あのね、麻里。今日そのあんたが座っている椅子に、アラケンが座ってたんだよ」
私の言い方も唐突すぎか。
麻里はこれでもかって程目を丸くしている。
固まってしまった麻里。
私は立ち上がって、恭平の学年便りを麻里に渡すと担任の名前が書かれたその場所を指さした。
「恭平の担任で、今日家庭訪問だったんだ」

麻里はその名前を指でなぞると
「へぇ〜ちゃんと夢を叶えたんだあいつ」
愛おしそうにそう呟いた。

「そうそう『お前ら、たいがいにしろよー』って学校で叫んでるみたいだよ」

その一言が壺に嵌ったのか、さっきとは違った涙を流しながらケラケラと笑いだした麻里。
「何、真似っ子してるんだあいつ〜」

私も釣られて笑いだした。
その笑いが落ち着いた頃、思い切って聞いてみた。
「もしかして、誰にも本気になれなかったのは、アラケンの事が忘れられなかったから?」
麻里は一瞬、間を置き
「半分はそうかもね。でも半分は違うかな」
遠い目をして呟いた。

「会ってみたい気もするし、もう会いたくないとも思う。正直自分でも良く解らない。でも授業参観には行ってみたいね」
と妖艶な笑み。
背筋がゾクゾクっとした。
「じゃあ、今度の参観日が決まったら連絡するよ」
そう言う私に
「冗談よ」
と一言。

「それにしても、あのアラケンが先生ね〜。不思議な感じだよ。バリバリのサラリーマンになっているんだろうなって思っていたのに」

そんな会話をしたころには、テーブルの上にはワインの空き瓶が2本とチューハイの空き缶が6本並んでいた。
普段呑みつけない私は限界に近づいていた。
麻里も段々瞼が落ちてきたみたい。
幸い明日は土曜日だ。
学校も休みだし、麻里の会社も休みと言っていた。
今のうちにと、隣の和室に布団を2組敷いた。

既に、頭をもたげ始めた麻里を起こしコップに氷水を入れて麻里に渡す。
「あーお酒じゃないー」
って飛んでもない事を行っている麻里に、早く飲んでシャワーに行くよ。と促すと
「はーい」
と子供ような返事が返ってきた。
こんなに酔っぱらった麻里を見るのはいつ以来だろう。
いつもはいくら呑んでも、可愛げがないくらいなのに。
やっぱりアラケンの話がここまで麻里を酔わせたのかと思うと、少し切なくなってきた。


フラフラろする麻里の肩を支えながらやっとの思いでと浴室まで辿り着く。
片手で器用にブラウスのボタンを外していく麻里。
バサッと落ちたブラウス。
子供を産んだ私とは違う、女性特有のクビレやまだ張りのある胸が私の間の前に飛び込んできた。
一緒に温泉を行っていた独身の頃は、気にした事がなかったのに。
あまりの違いに愕然とした。
化粧も洋服もスタイルでさえ何一つ、構っていない私。
とても同じ年とは思えぬ、麻里の姿に見とれてしまった。
気にする事なく、麻里は最後の一枚をはぎ取ると、勝手知ったる我が家の浴槽に手を掛けて、シャワーを浴び始めた。
冷たい水を浴び、少し酔いがさめたようで
「純、ありがとうね。大丈夫そうだよ」
と、ちょっと大きな声を出した。
私は背を向けて、自分の寝室へ。
まだ下ろしていない下着とタンクトップとパジャマを持って浴室の洗濯機の上に置いた。

きっとシャワーを浴びてしまったら、動くのが億劫になりそうで、呑み散らかしたリビングを片付け始めた。
麻里がシャワーから出ると入れ替わりに浴室に入った。
冷たいシャワーを浴びると麻里じゃないが少し頭がすっきりしてきた。
手早く済ませリビングに戻ると小さな明かりがついているだけ。
麻里は隣の和室ですっかり寝入っていた。
隣の布団に私も滑りこむ。
目を瞑るという感覚もないままに深い眠りに引きこまれた。

ガタっという音で目が覚める。
隣をみると布団は綺麗に畳まれていて、ハンガーにつるされていた麻里のスーツは無くなっていた。
ガシガシと寝癖のついただろう頭を掻きながらリビングに向かうとテーブルの上に手帳を破ったメモが置いてあった。

――昨日はありがとう、今日は野暮用があるんで先に行くね。下着借りてく!サンキュ――

急いでいたのか、走り書きのようなメモ。
それにしたって……
ふーっ。
洗濯機に入れた麻里の下着……
私ので良かったのかしら?
きっとサイズだって違うはず。きっとじゃないわね。
双子みたいって言われていたあの頃の私はもういない。
片手でお腹の皮をつまむと一緒についてくるニクイ奴。
もはや、ため息しか出なかった。
体系だけでも頑張ろうかなぁ
寝室に戻り洋服に着替えるも、鏡は意地で見なかった。

子供を起こして朝食を食べさせると、洗濯物を干す。
麻里の下着を手に取ってちょっとこれは大っぴらには干せないかもと洗濯籠に戻した。
ここら辺の住宅街。
ベランダは横並びで洗濯物は良く見えるんだよね。
いつもは気にした事ないけれど、これは勘違いされたらちょっと……
隣に住んでいる機関銃のようにしゃべるおばさんの顔が浮かんでしまった。
籠にポツンと置かれた紫色が主体のレースのヒラヒラ。
上下お揃いのそれは、私が絶対選ばなそうな高級品だ。

寝室のカーテンレールに小さなピンチをつけ、そこに干した。
ここなら安全だと満足げにほほ笑む私がいた。