ポーカーフェイス

4話
「な、なんで」

さっきのページを見てからか、こいつの言葉に対してなのか動揺して声が上ずってしまう。
それに対して、さも何でもありません。なんて余裕な顔をしているこいつに腹立たしくなってしまう。
私の気も知らないで……

最後に会ったのは、私達のバスケの引退試合になったあの会場だった。
男子も女子も勝ち残ったチームだけのその会場。
私達は女子高だから、チームの仲間は先に始まる男子の試合を見る事は無かったけれど。
私は、こいつが出る事を知っていたから。
うちに良くお茶を飲みにくるおばちゃんが話していたから。
集合時間よりも早いその時間、こいつの試合を見る為に家を出た。
偶然にもその会場で試合前にばったり会って「頑張れよ、応援してやるから」なんて声掛けて。
「見てろよ、惚れるから」なんて冗談言って。

会場の隅でこいつのプレーを目を離す事なく見つめていた。
長い腕から、放たれるシュートは円を描くように綺麗にゴールに吸い込まれていく。
背が高いのに、俊敏で無駄のない動きは他の誰よりもカッコ良かった。
だけど、ここまで勝ち残った相手チームだって伊達じゃない。
息をのむシーソーゲーム。取って取られての繰り返し。
最後はこいつのシュートミスを拾われて、逆転負けをしてしまったのだ。

話しかけようと思った。「やるじゃん」って「よくやったよ」って。
だけど、近づいた私の目に入ったのはマネージャーからタオルを渡されて項垂れている姿。
そんなあいつの肩にそっと置かれたマネージャーの手。
そこに出ていく事なんて出来なかった。
きっと私が言いたかったその言葉も掛けられたに違いない。
私はそっと背中を向けたのだ。
昔からずっとそう、私は逃げてばっかりだ。
自分でそうした癖に、自分でそう望んだのに。

「菜月」
ずるいよ、突然名前を呼ぶなんて。
しかも、そんな低い声知らないもん。

「何だよ、賢治」
そういう私の声も低かった。

冷え始めたマグカップを机に置いて、座ってやるよとばかりに、隣に腰かけた。
ゆっくりとベットが沈む。
ここは私のベットなのに、何で私の方がどぎまぎしなくてはいけないの?

「試してみる?」
それが何を意味しているのか、はっきりと解った。
子供の頃のあの日と同じ言葉。

「い・や・だ。だってあんなに痛い思いはアレ一度で沢山だっつうの」
この後に及んでまだ憎まれ口を叩いてしまう自分。
あの頃のように素直に「うん」と言えれば何かが変わるのだろうか?

「ばーか、あれはお前だって悪いんだぞ」

そう言いながら、思い浮かべた光景はきっと同じだったはず。2人で一緒に噴き出した次の瞬間。
まるでスローモーションのように、長くてごつい指が私の頬に伸びた。
少しだけ、ひんやりした指先。
何をするのか、解るだけに固まってしまう私などお構いない様子で、一言

「汚名返上だ」
そう言うと、段々と近づいてくるこいつの顔。私はなすすべもなく固まり続ける。
そして、ゆっくりと合わさる唇。ただ重ねられただけのその唇。だけど、全く離れてくれる事は無くて――。
奥歯の当たりからジュワッと酸っぱい唾がやってきて。頭の片隅でキスはレモンの味ってこういう事かもしれないなんて漠然と思っている冷静な私もいた。だけどそれは始めのうちだけ。
少しづつ角度を変えながらも一向にキスをやめないこいつに頭の中はハレーション。

ごくりと唾を飲み込む音に早くなった鼓動がドクンと跳ねた。

私の腕は自然とこいつの広い背中にまわしていた。さっきまで寒かったはずの私の身体は照り始めて、熱いくらい。
息をするのも忘れて、背中越しに回した指でトレーナーをギュッと握る。
これは何? 初めて味わった感覚におかしくなりそうだった。
どのくらいそうしていたのだろう。
こいつがクッと息を漏らすと同時に、添えられた手が、ゆっくりと離れていった。

呆然とする事暫し。落ち着くどころか更に早くなる鼓動。
思い切って薄眼を開けると、満足気に口角をあげるこいつ。

「なんで?」
聞きたいけれど、聞きたくないような。だけど聞かずにはいられなかった。