贅沢な願い事

一番長い日1

「じゃあ」

「あ、うん。気をつけてね」

俺は背を向けて歩き出す。
ほれ、何か言う事あるだろ。
わざと歩みを遅くするけれど、香也の声を聞く事なく今日もまたこの角まで来てしまった。

この角を曲がったあと、塀にもたれてため息をついている俺の事なんて、あいつは考えもしないだろう。
付き合えたことで、浮かれていた俺だが、ひと月も経つと焦りが出てきた。
メールをすれば返ってくるし、無理に誘っても断られる事は無い。
だけど、一度だって香也から誘われた事は無いんだ。

何をやっているんだろうな。
追いかけるような恋がしたいんだろ、香也。
俺はいつまで経っても空回りのままだった。

そして、そのまま時が過ぎ、香也と付き合い始めて3カ月に経った。
同僚に文句を言われながらも、早めに仕事を切り上げた金曜日。
俺はいつものように、香也にメールを打った。

「飯、行くぞ」
そんなそっけないメール。
香也の好みだというクールな男を演じている。
これがクールなのかは疑問に思うところだが……
甘い言葉もなんもないそのメールに香也はいつも直ぐに返してくるので、今のところ大丈夫なのだろう。

「了解! 後少しで終わるから。出る頃メールするね」
本当は、いつも返事が来るまでドキドキしているなんて、絶対知られてなるものか。

もし断られでもしたら、きっと余計な事を考えてしまうだろう。
誰かと一緒なのか? 俺よりそいつを取るのか?
情けないほど、ヘタレな俺。クールな男なんて何処にもいない。


その日の食事は香也の好きなイタリアンだった。
機嫌良く笑っていたし、良い感じだったと思う。
明日は土曜で休みだ。
今日こそは香也の方から。
でも、そんな俺の願い虚しく、そんな素振りさえ見せない香也。
俺には何が足りないんだ。

そんな事を考えていたら、段々口数が少なくなっていったらしい。
心配そうに俺の顔を覗きこむ香也がいた。
「俊平?」
付き合い初めて直ぐにそう呼ばせる事に成功した。

やっときたか?

誘え、誘ってくれ。
明日どうする? ってそれだけでいいんだ。

「んっ?」
出来るだけ優しい声を出したつもりだった。
香也の言葉を待つ。
それなのに

「どうかした? 頭痛いの?」
なんて。確かに、お前の事で頭痛いさ、だけど俺はそんな事を聞きたいんじゃねえんだよ。

食事を終えた皿は片づけられて、目の前には飲みかけのコーヒー。
俺は一気に流し込み
「痛くない。そろそろ行くか」
と席を立った。

そして、今日もまたいつもの繰り返し。
香也からの誘いの言葉は聞けなかった。

後ろ髪を引かれる思いで、香也の家の前で背中を向けた。
そして、ゆっくりと歩みを進める。
今日もまた……
俺だって、もう25過ぎの健康な男だ。いつまでも、こんなママゴトみたいな恋愛なんてしていられない。もう限界だった。


どうにも、寝付けないうちに、朝を迎えた。
カーテンの隙間から零れる朝陽に目を細めた。
いつものように初めに携帯を確認するも、着信はなかった。
こんな天気のいい日に、どうして俺を誘わないんだよ。

朝飯を食いながら、今日の事を考えた。
親父の車でドライブでも行くかな。
今日は強引に夜中まで。
本当はずっと、待っているつもりだった。
香也から何か言ってくれるのを。
けれど、もういいよな。
いい加減マンションの事も言わなくてはならないだろう。
本当の計画は、もうとっくに向こうに戻っている予定だった。
休日の前の日は香也を呼んで――
今日こそ連れて行こう。
そう思って、香也を呼びだすメールを打った。
1分でも早く会いたいが、女には支度ってもんがあるだろう。
自分が待てる限界の時間に待ち合わせだな。
一人ほくそ笑みながら、送信したのだが、いつもは直ぐにくる返信が30分経っても来る事は無かった。
もしかして、まだ寝ているのか?
初めはそう思おうとしたんだ。
トイレに行くにも携帯を握りしめて、香也からのメールを待っていのだが何時まで経っても香也からの返信はこなかった。