贅沢な願い事

運命の日

「とうとう腹を決めたってか、苦節10年。お前の努力とやらを見物させてもらうとするか。」

「本当に長い協力だよ。これで香也が蜘蛛の巣から逃げ出せなくなるかと思うと……」

中学のいや、小学の頃からこいつらとはずっと一緒だった。
本当だったらここにもう一人。
10年、10年だぞ。
この俺の壮大な且つ緻密な計画は明日決行することになったんだ。
絶対、捕まえてやる。
ここまでの努力は無駄にしない。
今まで協力してくれたこいつらのためにもな。

グラスを傾けて、夜空を見上げた。
月も俺に味方になってくれているようだった。
見事な満月が都会の夜空にぽかりと浮かんでいた。

「どんだけ、腹黒なんだよ。俺、香也に同情してきたくなってきた。」
大地は殆ど呆れ顔だ。
だけど、こいつは一番分かってくれている。
俺が、どんなにこの時を待ちわびていたのかを。

「本当に、中学の頃はまさかここまで付き合わされるかとは思いもしなかったわよ。ストーカーの上を行くわね。」
美佐子もこんなことを言っているが、今までこいつにどんだけ世話になったか分からない。明日だって。美佐子の協力なしではあいつの通勤時刻や電車に乗る位置までは知ることが出来なかったんだからな。

持つべきものは友人だ。

最後の確認を終えて、渋る友人達を明日の為にと退散させた。
明日は決行の日なのに、終電を逃してここに泊まられたのでは堪らない。
本当だったら、会社まで1駅のところに住んでいるのに、あいつに会う為に7つも駅を戻らなくてはいけないのだから。

中学の頃はあいつよりも背が低かった俺。
毎日牛乳飲んで、初めの頃は毎日、腹壊して。
放課後は地元のバスケのチームに入って。
泣く泣くあいつと別れた高校でもバスケは続けた。
その成果なのか、背は十分なまでに伸び続けた。
勉強も頑張った。
声変わりの遅かった俺は高校で劇的な変化を遂げたらしい。(美佐子談)
大地や美佐子と集まる事はあっても決して香也とは会わなかった。
それは、俺の決心が鈍ってしまうからだ。

あいつに初めての彼氏が出来たと聞いた時は本当は気が狂いそうだった。
あいつの唇を思い出し、その唇が誰かと合わせる事になるかと思うとマジで眠れなかった。
でも俺は、決めたのだ。
自分に納得するまでは絶対あいつに会わないと。

気を紛らわすために、女とも付き合った。
俺の容姿が気に入ったのか、声を掛けてくる女は山程いた。
その中でも、俺が選ぶのはいつだって、香也に似ている女だった。
初めてキスを覚えた相手は香也の唇に似ている奴だった。
何度も何度もキスをしたが一度も目をあけた事はなかった。
妄想ばかりが膨らんでいた。

女の身体を覚えたのもこの頃だ。
その相手は、あいつに足が似ている奴だった。

初めこそ快楽に溺れたもののそれは長続きすることもなく。
それは経験を重ねるだけの行為となっていった。
必ず訪れるだろういつの日か、あいつに幻滅されないように。

付き合えると決まったわけではない。会ってさえもいなかったのだから。
けれど、俺の未来には香也がいるそう思わずにはいられなかった。
いや、違うな。
彼女のいない未来なんて考える事が出来なかったんだ。

あいつが高校3年の頃、彼氏と、とうとう一線を越えたと聞いた時には相手を殺してしまうかもしれないとまで思った。
でもそこでも俺は我慢をした。
だってそうだろ、比べる男がいた方がいいに決まっているんだから。
俺だけしか知らない方がよっぽどいい。
だけど、それじゃ駄目なんだ。
あいつに選んでもらわなくてはいけないんだ。

俺が一番なのだと。

美佐子に頼んでいるからどうしようもないのだが、あいつの男遍歴は全て俺の耳に入ってくる事となる。
流され易いのだろうか、あいつの周りには男が寄ってくるのか、半年位の期間でまとわりつく男が変わっていた。
中には付き合っていない奴もいたらしいのだが。

あいつは短大へと進んだ後、地元からさほど遠くない中小企業に就職した。
学生の頃とは事情が変わってきた。
だってそうだろ、その頃のあいつの周りにいた奴らは聞くところ同年代の奴らばかり。
精神的にも金銭的にも将来のことまで考えるような付き合いに発展する可能性は低いからな。
美佐子もちゃんとフォローをしてくれたようで、迷っているあいつを引き止めてくれた過去があるくらいだ。
だけど社会人となるとそれも難しい。
なんせその頃まだ俺は大学生で、社会人になったあいつより立場が弱かったのだから。
俺より、大人で、金銭的にも余裕のある年上の奴がきたら。

この時期は俺の最悪な時期だった。
案の定、香也の前に一人の男が現れた。
おっさんばかりの中で、一人だけ輝く、若手のホープだったらしい。
3つ年上のその男に香也は恋をしてしまった。

今度は本気みたいだよ。

言葉少なに語ってくれた美佐子。

俺の我慢の限界を超えてしまうその時に事件は起こったらしい。
香也の恋する男は取引先の重役の娘との結婚が決まってしまったと言う事だった。
落ち込みまくった香也を美佐子は介抱したらしい。
危ないところだった。

だけどそれで事は収まらなかった。
そいつが、結婚するまでとの条件で香也と付き合いたいと言い出したというじゃないか。
結局、美佐子の反対を押し切って香也はそいつと付き合い始めてしまった。
先の見えない不毛な恋だ。

俺は拳を握り締め、休日の前の日は自棄酒を煽る日々が始まった。
あいつと一緒にいる香也を想って。
そんな俺を大地と美佐子はいつも心配してくれた。

そして、俺が社会人になる頃。
香也の不毛な恋は終止符を打つことになった。
とうとう、結婚してしてしまったと泣きながら話す香也を幾晩も慰め続けたと美佐子が言っていた。

今がチャンスじゃないの

美佐子の言葉に一瞬揺れてしまったのも事実だった。
だけどまだ、まだ駄目だ。
社会人になってまだ余裕の無い俺にはどうしたって、香也の所に行く事なんてできなかったのだから。

その頃になると、俺の携帯には香也の写メが一杯になっていた。
半分は美佐子と一緒に写ったものだったが。
携帯の留守電を聞かせて貰った事もある。

写メも声も中学の頃のあいつそのままだった。
ストーカーの気持ちが分かる気がする。
ってよりか、今の俺はりっぱなストーカーだな。

そして、就職後1年の本社研修を終え、2年の東北勤務となる。
この頃は俺は全く女遊ばなくなっていた。
もう直ぐ近づく、香也への想いが膨らみ過ぎてしまったからだ。

一方、香也の方もあの男との別れが後を引いたらしく男の影はさっぱりだったらしい。
そう思えば、あの男の存在も良かったのかもしれない。

もしあの男と付き合っていなかったとしたら。
俺と付き合った後にでもその男の事を思い出すかもしれない、それは綺麗な思い出のままに。付き合っていない今だって、考えただけでも、おかしくなりそうなのに。
隣にいる香也が、あいつに憧れを残したままだったら――ふらっと気持ちが揺れてしまうかもしれないからな。
勿論、行かせるつもりは毛頭ないが。
香也の中に男の存在が居座り続けることは堪えられない。
だから結果的にはこれでよかったんだと思い込む事にした。

そして、晴れて本社勤務となった俺。
引継ぎやら、何やらで準備に3ヶ月も経ってしまったんだ。
それも今日で御終いだ。
明日、決行する。
じわりじわりと糸を手繰り寄せるように。

もう逃がさないからな。
晩はあいつらと酒を飲んだにも関わらず、興奮しすぎて眠れなかった。

緊張の朝。
いつもより入念に仕度をした。
クローゼットの中から一番のスーツを手に取って、備え付けの鏡に自分の姿をうつした。
この日のために通い続けたジムもバカにしたものではない。
学生の頃と変わらぬ体型を維持できていたのだから。

大分早めに自宅を出た。
はやる気持ちを抑えながら駅へと向かった。

いつもとは反対方向の電車に乗り込んだ。
時間もまだ余裕がある。
一駅一駅近づいてくる目的地。
そこは俺の育った町でもある。
最近帰ってなかったよなと、実家の面々を思い出しているうちに目的地に着いた。

美佐子に教えて貰ったホームの端。
まだ香也はいなかった。
香也の立つ位置の死角に入る自動販売機の横でじっと待つ。
落着かない心臓。
背中に汗がつたう。

こつこつとリズム良く聞えるパンプスの音。
10年ぶりに見る香也の姿だった。
少し色素の抜けた髪はカラーを入れることなくしても十分に綺麗だった。
肩より少し長めのストレート。
あの頃何度この髪に触れたいと思ったことか。

ホームの端に凛と立つ香也の肩に手を置いた。
久し振りに触れるきゃしゃな身体に全身が震えた。

スローモーションのようにゆっくりと香也が振り返った。

「よお、久し振り。」
緊張の一瞬。

しかし、香也は俺の顔を見つめてにっこりするとまた顔を前に向いてしまった。
って無視されたのか俺。
とは想いつつもさっきの顔が目に焼きつく。
零れんばかりの笑顔だった。
香也の周りに男が寄ってくるのが痛いほど分かってしまった。

ホームには電車の到着を告げるアナウンスが響き渡る。
もう一度声を掛けた。
「お前な、久し振りに会った同級生無視すんのかよ。香也ってそんな奴だったっけか?」
同級生という言葉につられたのか香也はまたこちらを向いた。
そして、その瞳で俺の顔をじっと見つめた。
香也の瞳に俺の顔が映っていた。
俺は耐え切れずに目をそらせて、また声を出す。

「もしかして、俺の事忘れちゃったって言うんじゃねえよな。香也ちゃんよぉ。」

それは照れ隠しだった。
そんな言葉を言いたかったんじゃないのに。
もっと格好よく決まるはずだったのに。
だけど今度は目をそらす事が出来なかった。

そして、香也から言葉が発せられた。

「もしかして、俊平君?」

っておい。何で疑問系なんだよ。
俺はどんなに遠くたってこの目にお前が映れば間違えないと言えるのに。
だけど、香也が俺の名前を呼んでくれたことに気を良くする。
まだこれが始まりだから。
この先、お前が呼ぶ男の名前は俺だけでいい。
そう願わずにはいられないほど、香也に狂っていた。

俺の願いはずっと前から只一つ。

香也の最後の男になる事だけだった。